第29話 奴隷大国アスキルド
奴隷大国アスキルド。
ハルモニア大陸の南部に位置するその国は、「外」からの接触を拒絶するかのように大都市を包む城壁が高くそびえている。
その中央には入国する人々を選別する、堅牢な大門が堂々と構えていた。
現在、その門を越えた領内、出入国の人々で賑わうアスキルド大門区域の一角で、ある人物たちが話し込んでいた。
「いいかい、お嬢ちゃんたち。今までは勇者って看板を引っ提げてればどんな国でも顔パスで済んだんだろうが、今回あんたらは勇者としての身分は使えない。それは分かってるな」
念を押すように
男は前回、幼女となった勇者イリアを誘拐したあげく、窮地に陥ったところイリアに救われて改心した元野盗の親分である。
対する少女は長く美しい白銀の髪に、いかなる宝石も敵わないであろう銀の瞳、年相応に柔らかい面立ちの可憐な女の子であった。
その腰には少女には不釣り合いな、銀の水晶で形作られたような聖剣が掛けてある。
また、少女の顔の近くには黒羽の妖精のようなモノがパタパタと飛んでいた。
まさかこの少女と妖精を見て、これが勇者と魔王の成れの果ての姿だと気づける者がどれだけいるだろうか。
銀髪の少女、イリアは申し訳なさそうに男に質問する。
「あ、やっぱりムリでしょうか。前にこの姿でもハルジアの王城にはなんとか入れたんですが」
「あのなあ、無理に決まってんだろ。どこのどいつがこんなちっこいガキを見て勇者だと思うんだよ。普通は笑い飛ばすだろうし、話す相手が悪けりゃ通報されて取っ捕まるぞ」
「それにハルジアの国王とやらがこの前の事件の黒幕だったんだろ? だからその時に城に入れたのだってあんたの言い分を信じたわけじゃないと思うぞ」
「はぁ、そんなこと考えてもみませんでした。言われてみればそうなのかもしれませんね」
しょぼん、と落ち込んだ様子のイリア。
「ま、そういうわけだからよ、その姿で勇者の身分を使うのはやめてくれ。身分関連のトラブルはろくなことにならねぇよ。……とくにこの国じゃな」
「とりあえず、あんたらは俺たちの
「はい。本当にご迷惑をお掛けします」
申し訳なさそうにイリアは深々とお辞儀をする。その右手首には奴隷の証としてのタグが巻かれている。
そう、今回大国アスキルドに入るにあたって、イリアはこれから売買される立場の奴隷として入国することとなった。
アスキルドに至るまでの地方の町や村程度であれば、滞在時の身元確認は適当でとくに問題はなかったが、国の中枢たる大都市となるとそうはいかない。
アスキルドの都市門は他の国の都市と比較してもかなり立派で頑強な作りとなっており、それに比例するように入国管理も厳しい。
しかしイリアは勇者として諸国救済の旅をしていた頃と同じノリで入国しようとしていた。
そこをアスキルドに精通している元野盗の親分に慌てて止められ、急遽身分を奴隷に偽って元野盗の一団とともに入国することになったのだった。
「この国は扱っている商売が商売なだけあって一般入国時の身元の確認が厳しい。嬢ちゃ、勇者様に今の子供の姿用の身元証明がない以上、普通に入ることはできねぇ。……ただひとつの例外が
そう、売り買いされる奴隷がいないと国が成り立たっていかない以上、一般人の入国と比べると、
……もちろんそうやって入るのは簡単ではあるが、奴隷として入った以上は管理番号の付いたタグを手首に巻かれて、その後は自由に出国することは難しくなるのだが。
「まあ、おっさんの気遣いは分かったけどよ、あんたの奴隷扱いでこの国に入ったってことは、こいつが何かトラブルを起こしたらあんたに責任が降りかかるんじゃねぇのか?」
黒い羽をした妖精、もとい魔王アゼルが気になったのか質問を入れる。
「その通りだよ、だから面倒ごとは起こさないでくれって頼んでんだろうが!」
「お、おう」
「ちなみにお前については手荷物に隠れて通過してるから、お前単独でトラブルを起こした場合は絶対に俺たちの名前を出すんじゃねえぞ」
「お、おう。気をつけるぜ。(まあ、そもそもお前らの名前なんて知らないんだがな)」
元野盗の親分、……オヤジの剣幕にやや押されながらアゼルは応える。
「オヤジさんには本当に何から何までお世話になりました。ところで他の仲間の皆さんはどうされているんですか?」
「ああ、あいつらには色んな必需品を揃えさせてるところだ。これから新しく運び屋を始めるにあたっても必要なもんはあるからな。あと、職種を変えるわけだから
ギルドとはあらゆる職業や依頼の管理・仕分けを行なう統括機関だ。
各大都市に支部が置かれており、商業連合国アニマカルマに本部が存在する。
このギルドを通さずに職業の変更やクエストの受注を行なうことは基本的にご法度とされており、違反した場合にはギルドの私設兵が
数少ない例外は王族などの国家権力に直結する場合と、とある宗教団体が絡む場合のクエストであり、この場合はさすがのギルドもやすやすと口出しを行なうことはできない。
「そうなんですね。これから新しい道を歩むのも大変だと思いますが、どうか頑張っていってください」
イリアはこれからの彼らの道行きを祝福するように深く頭を下げる。
「あいよ、勇者様に助けられた命、大事に使っていくさ。まあ、この国から出る時は一声かけてくれ。奴隷のままじゃ簡単に出国できねえが、自分で自分を身請けしたと俺が保証すりゃ、堂々とこの国から出ていけるからな」
「さすがに今すぐその手続きをすると怪しまれるからな。あんたらの用事が終わるまでは仮の奴隷としてこの国で過ごしてくれや」
「まあ、周りを見れば分かるだろうが、この奴隷の国アスキルドは他所で噂されるほど空気の悪いとこじゃねえ。キチンと奴隷に対しても福利厚生はあるし、奴隷が結婚や財産を持つことも当然許されている。奴隷の生命を勝手に主人が害することも許されてはいねえ。これに違反することは重罪で例えお偉いさんでもしょっ引かれるって話だぜ」
それはイリアがこの国に来て意外に感じていたことでもあった。
もちろん今までもアスキルドには数度来たことがあったのだがその時は火急の時であり、今回のようにゆっくり平時の街を見渡す余裕もなかった。
このアスキルドでは今のイリアと同じように手首に奴隷のタグを付けている人たちが老若男女を問わず数多くいる。
おそらくは視界に入る8割ほどは奴隷だろう。
しかしその多くは笑顔で生活を営んでいた。お店で働く人もいれば、お客として買い物をしている人もいる。通りに目をやれば往来で手を繋いで歩くカップルもいた。
「……はい、驚きました。奴隷というからにはもっとひどい扱いを受けているものだと思っていました」
「まあ、実際に拐われたり、親に売られたりと悲惨な経緯で奴隷になった連中もいるのは確かだが、この国の王の方針とやらでな。なんでも人には生まれ持った『基本的な人権』ってやつがあるらしくて、例え奴隷であっても必要以上に不当に扱うことは許さない、ってなことだと。正直よくわかんねぇよな」
「でも今の王の治世で国は豊かになってんだから間違いはないんだろうさ。それに優秀な奴隷は他国に派遣することで結構な利益を上げてるそうだしな」
「へぇ、そうだったんですね。いい意味でイメージを裏切られました。意外でしたけどその考えは素敵だと思います」
非常に感心したようにイリアは頷いている。
「…………、だけどな、例外はやっぱりどこにでも存在する。いいか、この国では魔法使いの奴隷にだけは絶対に関わるな」
今までの気安い感じとは違う、凄みを効かせた真剣な様子でオヤジは警告した。
「魔法使いたちとこの国とは色々と昔から因縁が深くてな。絶対に関わらねえ方が身のためだ。あともしどこかで魔族を見たとしてもスルーしな。……魔族については嬢ちゃんの方が詳しいだろ。なんたってあんたがこの国を魔族の占領から救い出したんだからな」
「…………はい」
一年前に勇者イリア率いる4人の出現によって戦況を覆され、魔王軍は撤退を余儀なくされた。
その時に追い込まれた魔王軍の一部はこのアスキルドを占領して立て籠った。
それによって多くの人的被害が出たが、これも駆けつけたイリアの活躍によって無事混乱に終息を迎えたのだった。
「わかりました。オヤジさんの忠告はありがたく頂いておきます。ところで今からギルドに登録に行くのでしたらお金が必要なんじゃないですか? 多くはないですが運賃代わりにこれを持っていって下さい」
そう言ってイリアは袋から自身に必要な分の金貨を取ったあとに、残りを袋ごとオヤジに渡そうとする。
「いやいやっ、そんなわけにはいかねえよ。こっちは一度はあんたを攫った身だ。その詫びでこの国まで運んで来たんだ。ここでさらにあんたから施しまで受けちまったら、俺たちは立つ瀬がねぇやい。……その金はいつかあんたが俺たちに正式に仕事を頼むときの為にとっといてくれや」
野盗改め運び屋のオヤジは金貨の入った袋を押し返し、頑として受けとろうとしなかった。
「そうですか。……わかりました。その時はぜひよろしくお願いします。では私たちもそろそろ目的の情報集めに動き始めたいと思いますので、おじさんたちも頑張ってくださいね」
イリアは男のプライドの機微を理解できていなかったことを少し恥じながらも、彼らのこれからを祈って笑顔でオヤジを見送る。
「ああ、昔の仲間の情報を集めるんだっけか? まあとにかくトラブルだけは絶対起こすなよ。絶対の約束だぞ!」
「はい、約束ですね。絶対です!」
イリアは目をキラキラと輝かせて親指を立てる。
「おう、それじゃあな! あ、あとこの街で黒いローブは着るんじゃねえぞ。間違われるからな」
謎の言葉を残し、気のいい親父風に男は去っていった。
「??? ……何のことだろ? さて、それじゃあ私たちも行きますか」
イリアはアゼルともう1人?、に向けて声をかけた。
「そうね、でもあの男も言ってたけどここでの立ち振る舞いには十分に気をつけなさいよイリア。何が原因でトラブルが起きるかなんて分からないんだから」
一般人の前では喋ることを遠慮していた聖剣アミスアテナが会話に参加し始める。
「分かってるよアミスアテナ。……だけどここの人たちが魔族を毛嫌いするのは、まあ仕方のないことだとは思うけど。どうして魔法使いの人たちにも関わるなって言ったんだろ?」
「ん、なんだ。本当にその辺りのことを知らないんだな」
意外そうにアゼルが呟く。
「あれ? アゼルは知ってるんですか?」
「まあ、基本的なところは一通りな。これでも200年を生きる魔王だぞ。主に人間たちの間での諍いではあったが、一時期は俺たち魔族にとっても魔法使いは脅威だったからな。ま、知らないってんなら俺の知ってる範囲で教えてやるぞ」
そう言って、永き時を生きた魔王は、長きに渡って続く彼らの因縁を語り出した。
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