第6話

「あ」二人の声が重なった。「ドアが閉まります」という抑揚のないアナウンスに慌ててエレベーターに乗り込んだ。目的地の4階のボタンを押す。若者の洋服店が並ぶ3階のボタンは既に光が灯っていた。予告通りドアが閉まり、箱の中には茉莉ちゃんと私の二人きりになる。

「買い物?」何か言わなきゃ、と咄嗟に言ってから、先に久しぶり、とか元気?とか挨拶するべきだったかしらと後悔する。

「はい。服ほしくて。」茉莉ちゃんが気にしない様子で答えるので胸をなでおろす。

「あ、そうなんだ、私も。」

「へえ。」そこで会話が終わり、二人して上昇するエレベーターの回数を示す数字を見上げる。「3階でございます」というアナウンスともにドアが開いた。茉莉ちゃんがエレベーターを降り、こちらを向いて会釈する。私も、小さく手を振り返した。ドアが閉まる、はずが、残り数センチのところで、もう一度ドアが開いた。何事かと前を見ると、茉莉ちゃんが私の正面に立っていた。右手で「開」のボタンを押している。

「あの」怒ったような泣きそうな顔で茉莉ちゃんが言った。こうやって正面から見ると、気の強そうな、大きな目が徹にそっくりだ。

「私たちのせいですか?」

「え?」

「お父さんと別れたのって私たちのせいですか?」大きな目が、さっきよりうるんだように見える。だけど、決して目をそらさない茉莉ちゃんを見ていて、はっとした。私が、勝手に逃げ出して、完結したつもりになっていた、あの場所でのあの人たちの生活は、続いているのだ、もちろんのこと。そして、その人と私が過ごした事実が消えることも、ないのだ、のちろんのこと。そんな当たり前のことに、私は今まで、気づかなかった。

「私たちがいたから?そうなの?」閉まりかけるドアを何度も静止して詰めよる茉莉ちゃんの手が、本当に小さく、でも確実に震えていた。違う、あなたたちのせいじゃない。伝えなければいけない。あなたたちは悪くない。だけど、私も悪くない。徹も悪くない。誰も悪くない。そう、伝えなければ。

 またしても閉じようとするドアを、私は両手で制止する。流石に少し驚いた様子の茉莉ちゃんが「何ですか…」と呟いた。

「茉莉ちゃん、ごめん、あのね、ずっと言えなかったんだけど、」松本春子最上級の微笑みを作る。ドアが、いい加減にしろと言わんばかりに私の手もボタンの指示も無視して閉じていく。

「私、実は、火星人なのっ」

音もなくドアが閉まる。一瞬見えた茉莉ちゃんは、さっきまでと全く同じ表情でただ固まっていた。数秒経って、今頃は馬鹿にされたと怒っているかもしれない。でもまあそれならそれでいい。変な奴だったと思ってくれればいい。

 引っ越そう。少し早い夕飯を食べながら、そう決めた。仕事もあるし、あまり遠くには行けないけれど、とりあえず、いける範囲でなるべくここから離れよう。私はおとぎ話のお姫様にならなければいけないし、火星人にならなければいけないのだから。ネットで不動産屋を調べながら、またあのスーパー店員の言葉を思い出した。

「ちゃんと、かけがえないっすか?」

なんだよそれ、と今更心の中で突っ込みを入れ、一人の部屋で、テレビの中の芸人に負けないくらいの声量で、答えた。

「かけがえなく、なりたいっすね!」

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ハルコさん @363037

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