人間が安心して暮らせる国
「やあ旅人さん。〝世界一人間が安心して暮らせる国〟へようこそ」
入国ゲートで国境審査官の男性から声をかけられた。
「やあどうも。ここはとてもいい国だと聞いてるよ」
「そりゃあもう!僕たちが動くうちは、国境内の人間は誰一人傷つけさせないですよ」
もちろん、旅人もね。そう言って審査官は、ギギギと軋んだ音を鳴らしながら敬礼をした。
この国は国民の九割がアンドロイドらしい。らしいというのも、外見も言動も全てが人間と変わらないために実際に国民の何割がアンドロイドなのか自分たちでもわからないのだそうだ。
数百年前から現在と同等以上の高度な科学技術を持っていたトップクラスの科学大国。それゆえ技術目的で国民が他国へ拉致される事件が後を絶たなかったという。
そこで当時の科学者達が創り出したのが人間と見分けがつかないくらいに精巧で、人間よりも人間らしく動くアンドロイド。人間に紛れて生活することで人間が連れ去られる確率を下げることが主な目的で、国外に出ると自動で起動する爆弾が内蔵されていることから拉致自体の抑止力にもなったという。技術力のあるこの国だからこそ成せる策だ。
「この国はどうですか?」
宿帳を書いている時、宿の主人が声をかけてきた。私はペンを持ったまま顔を上げ、主人の顔をまじまじと見た。首を傾げる仕草には国境審査官のような異音もぎこちなさも無い。目の前の彼がアンドロイドか人間かは全くもってわからない。
「そうだなあ……インフラ設備も整っていて、監視カメラと警備ドローンで国中に防犯対策がされている。自然が豊かで動物も多い。私が今まで訪れた国の中でもトップレベルに平和な国だろうね」
「そうでしょう、そうでしょう。この国以上に安心して人間が生きられる国はありませんよ」
「間違いなくね」
満足のいく回答を得られて嬉しそうな主人へ笑顔を返して再び宿帳へと視線を移す。
「どうです?いっそこの国に移住するというのは」
書き終えたものを主人へ渡し、荷物を持ち上げようとした手が止まる。主人の目はまるで見透かすように真っ直ぐと、寸分も揺らぐことなく私を見ていた。
時計の針が動く音だけが二人の間に響く。
「……せっかくだけど、今はまだ旅を楽しみたいんだ。私が余生をのんびり過ごしたくなったらまたここにくるよ」
「そうですか。それでは仕方ないですね。アナタの旅の終着点がこの国になる日を楽しみに待っています」
主人の顔は最初と何ら変わらない、笑顔のまま。
荷物の持ち手をグッと握りしめ、軽く礼をしたあと借りた部屋へと足を進めた。酷く不気味なあの目から一秒でも早く逃げ出したかった。
部屋の中へ入った瞬間、その場に座り込み深く息を吐く。安心と、恐怖と。色々なものを空気とともに吐き出した。
初日のことはなんだったのか。その後は何事も無く観光を満喫し、予定どうりに国を出た。あの主人が不気味なだけで聞いていた通りのいい国だった、なんて感想と土産を抱えながら。
あの国に人間はもう一人も居ない、と聞いたのは次の国に着いてしばらくしてからのことだった。
夢境の旅 よもぎ望 @M0chi_o
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