夢境の旅
よもぎ望
天使の国
もし、背中に翼が生えたなら。もし、鳥のように空を自由に飛ぶことが出来たなら。誰もが一度は夢を見て、諦めたことだ。
だがそんな夢を叶えた人々が居た。人里から遠く離れた山奥の小さな集落。美しいブロンドの髪に透き通るような肌と大きな翼を背負う彼らの姿は、天使が現れたのかと錯覚してしまう。
そんなに美しい翼で大空を飛べたなら気持ちがいいだろうな。集落を案内されている最中にそう独り言を零した。前を歩く彼女の耳に届いてしまったようで、聞いた彼女はふふっと小さく笑った。
「貴方が思うほど、翼はいいものじゃありませんよ」
「そうですか?少なくとも、私にとっては夢に見るほど憧れるものですよ。その夢を求めてこんな山奥に来てしまうくらいには」
世辞ではない、心からの言葉を彼女に伝える。私たち人間は空に憧れ、諦め、それでも諦めきれずに飛行艇やドローンを作り出して空を目指した生き物だ。生まれた時から空を飛ぶことを許された彼女らには嫉妬すら感じてしまう。
「本当に、そんなにいいものじゃないんです」
今にも泣きそうな、悲しみに満ちた声に思わず足が止まる。彼女は私の方をゆっくり振り返り、背中の美しい翼を撫でながら続けた。
「翼があれど、私たちは貴方たちと同じ人間です。エルフやハーピー、ましてや天使などではありません。何の力もない人間なのです。人間にこの大きな翼は重すぎて、空を飛ぶどころか薬を飲まなければ背中の激痛で起き上がることすらできません。かといって翼を切ることも痛みが邪魔をして叶わな。ただ、痛みに耐えて生きていくしかないのです」
続けて、痛みに耐えられず自殺してしまう者も多いこと、仲間の多くが翼目当ての人身売買組織に捕まって行方が分からないこと、今集落に残っている数人は翼の苦しみを後世に伝えぬよう子孫を残さないと決めていることも話してくれた。噂だけでは知り得ないあまりに残酷な現実に呆然と立ち尽くすことしかできない。私たちは無知の憧れと期待で今までどれだけ彼女たちを苦しめて、追い詰めてきたのだろう。
「これを聞いてもまだ、貴方は翼が欲しいと言うのですか?」
彼女が真っ直ぐに私を見つめる。全てを悟り、諦めているような目。どう言葉を返していいのかわからずに生唾をごくりと飲み込む。暫くの沈黙の後、何も言わない私に彼女は優しく微笑んで歩き始めた。その少し後ろををただついて歩くことしか出来なかった。
数日の滞在中に集落の人々は優しく私をもてなしてくれた。私が少しでも詫びになればと旅先で見た景色や出会った人々の話をすると、滅多に山を下りない彼らはとても喜んでくれた。少しでも辛いことを忘れさせることが出来たなら、というのも期待の押しつけかもしれない。
「もう出られるのですか?」
山を下りる前に声をかけられた。案内をしてくれた彼女だ。
「ええ、そろそろ下りないと夜になってしまうので」
「そうですか……でしたらこれを」
そう言って彼女は背中に隠していた右手を前に出して見せた。手のひら大の円の中に網目がある吊るし飾りのようなもの。円の下に付けられた羽がふわふわと風に揺られている。
「これは私たちの民族で代々伝えられる御守りです。柔らかい木の枝と麻紐で作った飾りに自分の抜け落ちた羽を結んだもので、大切な相手の幸福を願って贈られるものなんです」
「そんな大事なものを私に?」
「はい。折角こんな山奥に来ていただいたのにお土産のひとつも無いのは申し訳ないですから」
「いいえ!申し訳ないのは私の方です。皆さんのことを知りもしないで勝手な想像だけで押しかけてしまって……本当にすみませんでした」
深々と頭を下げて謝罪をする。すると彼女は私の手を取って御守りを優しく握らせた。羽が手のひらに触れて少しくすぐったい。
「私たちはアナタに感謝しているんですよ」
「感謝……ですか?」
「ええ。ここには天使を求めてやってくる方ばかりで、本当の私たちを知るとガッカリしてすぐに帰ってしまうんです。ですがアナタは何日もここに居て、私たちの為にたくさんお話をしてくださった。それがとても嬉しかったんです。見たことも無い外の世界に夢を見て、憧れてしまうくらいに」
それはあの日私が彼女に言った言葉のようだった。私の気持ちが伝わっていて嬉しくなるのと同時に、また辛い思いをさせていなくて良かったと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。御守り、大切にします」
御守りを背負っていた鞄に付けて、くるりと回れば太陽の光に羽が透けてとても美しい。その後すぐに私が帰ると聞きつけた集落の人々が見送りに集まってくれた。全員にお礼を言っていたら予定よりもかなり遅れたが、最後はお互いの姿が見えなくなるまで手を振りながら山を下りた。
「どこまでも、羽ばたいて行けますように」
姿が見えなくなる直前、彼女の声で微かにそう聞こえた気がした。
数年が経った。今でも空を飛ぶ鳥を見ると彼女たちの美しい翼を思い出す。みんなまだあの山で暮らしているのだろうか。せめて最期の時だけは安らかにと、遠い山へ祈りを捧げる。
さて、と一呼吸して荷物を背負い直す。次の国はまた珍しい、国民みんなが仮面を付けて生活しているという噂だ。どんな話を聞けるのか想像するだけで今から心が踊ってしまう。おやつの林檎を齧りながら国境へ向けて歩みを進めた。
あの日の御守りは、今日も私の歩みに合わせて揺れている。
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