第4話 新たな始まりの年
「お……おいっ……ちょ……ヴィー……!」
「なんだ?」
「いくら夕暮れだからって、そ、外っ……外、だからっ……!」
コソコソと周囲に聞こえない声で、真っ赤な顔で抗議してくる婚約者に、カルヴァンはニヤリと頬を歪めるだけですっ呆ける。
「何が言いたいかわからないな?」
「おまっ……相変わらず性格悪ぃ……!」
カァッと顔を赤らめてから、ぶんぶん、としっかり恋人繋ぎで繋がれている手を振って抵抗を示すが、そんな可愛い抵抗で離してやる謂れはない。
カルヴァンは素知らぬ顔で、さらにぎゅっと絡めた指に力を込めた。
「いいだろ。年に一回の、騎士団も聖女も関係なく休める祭りなんだ。今日くらい、婚約者とデートしたって罰は当たらないだろう。エルムとは関係ない祭りだしな」
「おま……それ、昔も言ってた気がするけど、別にエルム様に関係ない祭りの日だからって、規律を破ってもいいってわけじゃねぇからな?」
「聞こえないな」
口笛を吹いて上機嫌に嘯くカルヴァンは、もう三十を超えた男だというのに、悪童と評されるに相応しい。
「若い頃、お堅い規律に縛られまくってたお前は知らないかもしれないが、納涼祭ってのはカップルのデートの定番なんだぞ?買い物するもよし、食べ歩くもよし、魔法の見世物の幻想的な雰囲気で相手を口説くもよし」
「知ってるよ。お前が毎年『この日は女を引っ掛け放題だ』っつって女としけこんでたからな」
人通りのあるところで手を繋がれる恥ずかしさに一矢報いようと、歯を向いて嫌味を返すと、ニヤリとした笑みが帰ってくる。
「手繋ぎデートよりもそっちをお望みなら、このまま
「いやまてよくない。それはよくない」
ギラリと灰褐色の瞳に雄の情欲の炎が揺らめいた気がして、慌てて目を逸らせてふるふると蒼い顔を横に振る。この下半身暴れ馬の男は、口にしたら本当にやりかねない。
「お前とこうして祭りに繰り出すのは、十五年ぶりか。どうする。何から見る?」
「ん……そうだな。せっかくだし、表通りの出店見てみたい」
少し恥ずかしそうに咳払いをしてから、イリッツァはもごもごと口を開く。
控えめであっても、しっかりと要望を口に出せるようになったのは、十五年前のリツィードからすれば信じられないくらいの進歩だ。
酷く”人間”らしい振る舞いが出来るようになった少女に気を良くして、カルヴァンは二つ返事で了承して表通りへと誘う。
「ぅお、すげ……十五年前とは全然違うな……!」
「そりゃ、流行も違うし、十五年も経てば少しくらい進化する」
十五年前には見たこともなかった物を売る店がずらりと並ぶ通りを見て、キラキラと素直に眼を輝かせるイリッツァに、頬を歪めて上機嫌に笑いながら、カルヴァンは少女の歩幅に合わせてゆっくりと歩いた。
「ヴィー、ヴィー!俺、アレ食べてみたい!ナイードでは見たことない……!」
「はいはい。ったく……買い食いも辞さない、逞しい聖女様になったもんだ」
満面の笑顔で嬉しそうにはしゃぐイリッツァに、彼女が指さした揚げ菓子を買って渡しながら、ふっと吐息を漏らすように笑う。
「ん、甘……ふ、はは……確かに、昔じゃこんな行儀悪いこと、考えられなかったな」
揚げ菓子に齧り付きながら、イリッツァもリツィードの幼少期を思い出して笑う。
生まれて初めて連れ出された納涼祭では、歩きながら物を食べるなどもってのほかだとカルヴァンに全力で訴えた記憶があった。
「ぅん?どうかしたか、ヴィー」
はふはふと口の中を冷ましながら隣の長身を見上げると、灰褐色の瞳が何とも言えない表情で見下ろしていた。
「いや……随分懐かしいな、と思って」
「ん?……あぁ。ははっ……まぁ、十五年ぶりだからなぁ」
軽く笑い飛ばすのは、昔、何度も見たいと願った、あの笑顔。
既に日は落ちて世界は暗がりに包まれているはずなのに、世界が色付いて見える、不思議。
「ヴィー?――って、ぅわ!?」
ふっと影がよぎった――と思ったとたん、するりと身体ごと抱き寄せられ、髪に口付けが落とされた。
ドキン、と大きく心臓が脈打ち、思わず声がひっくり返る。
「なっ――ななななな何してんだ!外だっつってんだろ!」
「いいだろ。お前のその顔が、十五年、ずっと――ずっと、見たかったんだ」
喚くイリッツァに構わず、もう一度、愛しそうに唇を落とす。
噛みしめるように言われた言葉に、ドキン、とイリッツァの心臓はもう一つ音を立てた。
「ぁ……ぅ……」
イリッツァも思い出す。
ナイードの片田舎で、何度、カルヴァンを想って絶望しただろう。
この生は神罰だと受け止め、懐かしい親友に二度と会うことは出来ないと覚悟しながらも、どうしても諦めきれずに嘆いた夜が、何度あっただろう。
その絶望の闇の果て――奇跡のような運命が複雑に折り重なって、今、この瞬間がある。
「俺、も……うん。納涼祭が来るたびに、ヴィーのこと……思い出してたよ」
「!」
「だから、今日、誘ってくれて……嬉しかった」
気恥ずかしさに頬をほんのりと紅く染めながら、素直な気持ちを口にすると、丁度中央広場でステージが始まったのだろう。
幻想的な音楽が奏でられ、俄かに広場の方角が騒がしくなる。
「あ、始まったみたいだな。今年の火の魔法は誰がやるんだろ。行こう、ヴィー」
恥ずかしさを紛らわすように踵を返したイリッツァは、繋がれたままの手を引いて――地面に足を縫い付けられたように動こうとしないカルヴァンに、疑問符を上げる。
「ヴィー?」
「言っただろ。見世物の幻想的な雰囲気で相手を口説くのは定番だ」
「……はぃ?」
思わず半眼になって問い返すも、カルヴァンは手慣れた様子でイリッツァの絹のような銀髪をさらりとひと房手に取って口付けを落とす。
目にも止まらぬ早業で、繋いだ手を解いたと思った瞬間には、するりと細い腰に逞しい腕が回っていた。
「お前も珍しく素直になってるみたいだし。――ってことで、予定通り、しけこむか」
「いやいやいや、何が予定通りだ!ふざけんな!」
火の粉が舞い踊り、幻想的なアートを夜の闇に描き出す中、炎より赤く顔を染め上げたイリッツァは、全力で抵抗のいを示し、貞操の危機から身を守るのだった。
【番外編】納涼祭の思い出 神崎右京 @Ukyo_Kanzaki
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