あたしと師匠の緑の秘密

関川 二尋

あたしと師匠の緑の秘密

「ですから、年齢確認のボタンを押してただかないとお会計できません」

「だから、必要ないだろ? オレが未成年に見えるか? さっさと会計しろよ、急いでんだよ」


 当時あたしはコンビニのバイトをしていた。

 まだ師匠に弟子入りする前のことである。

 大声ですごんできたのはスーツのよれたサラリーマン、夕方だけどすでに酔っている。


   🦝


「お店の決まりですし、押していただかないとシステム上、お会計できないんです」

「だったらお前が押せばいいだろ! めんどくさいこと客にさせんのかっ!」


 あー。たまにこういう客がいる。

 でも、正直言ってわたしはかなりビビっていた。

 大人が大声で怒鳴るのはやっぱ怖いのだ。

 なんか理屈の通じない野生動物を相手にしているみたいで。


 しかも店長は不在、相方の女子高生はバックヤードに入ったまま出てこない。

 まぁそれも無理ないだろう。あたしもちょっと前まで女子高生だったから気持ちは分かる。


   🦝


「わたしが代理で押すことはできません。そんなことをすれば私がクビになるんです」

「ちょっと押すだけだろっ、さっさとやれよ。他の店ではみんなそうしてるぞ」


 もちろんそんなことはできないし、他の店でやってるなんてのも嘘だ。レジには監視カメラだってついているのだ。


 もういろいろとめんどくさくなってきた。

 それでもあたしが押すことだけはありえない。


   🦝


「とにかく年齢確認していただかないと、お客様には販売できません」


 その言葉にみるみるサラリーマンの顔が真っ赤に染まってゆく。


「ふざけんなっ! オレをバカにしてんかっ! お前じゃ話にならん、店長をだせ!」

「店長は不在です」


 とやり取りしている間に、商品を選んでいたお客さんが、それを棚に戻して帰ってゆく。

 こんな雰囲気じゃ当たり前だ。

 誰も助けてくれないのは寂しいが、最初からそんなものは期待していない。

 さらに新しく来店した客も入り口で回れ右して帰ってしまう。


   🦝


「だったらすぐ呼びだせ! 正式にクレームを入れてやる! 携帯ぐらい持ってんだろ」


 ふぅ。もうため息しか出ない。

 ボタン押すだけなのに、なんでこんなに熱くなってんだろ。

 怖いし、ツバは飛んできて汚いし、もうホントこの仕事うんざりする。


「なんだオマエ、その態度は! オレは客だぞ」


 とその時だった。


   🦝


 和服姿のお客さんが、袖に腕を突っ込みブツブツと何事かいいながら、ゆらりと店内に入ってきた。

 

 あ。

 彼は二軒隣に住んでいる、あたしの幼馴染のお兄ちゃんだった。

 実にいいところに来てくれた!


   🦝


 が、彼はあたしに気付かないのか、我関せずといった態度で、店の奥へと進み棚の向こうに消えてしまった。

 がっかり。でもお兄ちゃんはそういうところがあった。

 あまり他人に興味がないというか、興味があるのは絵と妖怪だけというか、ちょっと変人というか。

 つまりは平常運転だったのだ。


   🦝

  

「聞いてんのか? その態度はなんだと聞いてるんだ。オレをめんどくさいクレーマーだと思ってんだろ、バカにしてんのか!」


 あ。自覚はあったのね。

 馬鹿にはしてないけど、すごくめんどくさいと思ってる。

 買わなくていいからさっさと帰ってほしいと思ってるのは確か。

 それ言っちゃダメだから言わないけど。


「お。マドカ君じゃないか」


 助かった! お兄ちゃんが声をかけてくれた!


   🦝


 ちなみにお兄ちゃんの手には黄色の買い物かごがあり、かごの中には【緑のたぬき】と発売されたばかりの『日本の妖怪ビジュアル図鑑』が入っていた。


「……ここで働いていたのかね?」

「はい。お兄ちゃん、珍しいね、買い物に出てくるなんて」


「ああ。実はわたしの書いた絵が掲載されることになってね」


 と、かごの中の『日本の妖怪ビジュアル図鑑』を取り出してみせた。


   🦝


 ちなみにサラリ―マン、あっけにとられたようにあたしたちの会話を聞いている。

 というのもお兄ちゃんの雰囲気のせいだろう。

 背が高く、長い髪は銀色、肌は色白で、恐ろしく整った顔をしているのだ。

 スーツを着ていればファッションモデルとして十分通じる容姿なのだ。


   🦝


「ところで、会計が進んでいないようだが?」


 ここでサラリーマンの呪縛が解けた。


「この姉ちゃんがボタンを押さねえから会計できないってレジ止めてんだよ」

 お兄ちゃんに同意を求めるような口調でそういう。


「だったらマドカ君、さっさとしたまえ」

「年齢確認は本人に押してもらう決まりになっているんです」


「だったらキミ、さっさと押したまえ」

 お兄ちゃんはあっさりとそう告げる。相手はしっかり年上だが、キミ呼ばわりが実に自然。


   🦝


「兄ちゃん、オレが未成年に見えるか? こんなボタン最初から無駄なんだよ」

「あー、悪いが、私には興味のないことだ。長くかかるようなら、私の会計を先に済ませたい。後ろに並びたまえ」


 またそんなこと言い出す。

 助けに来てくれたんじゃないの?

 ふぅ。ちょっと予想はしていたけどね。


   🦝


「さっきからお前の態度もなんだ? 年上に向かってその口のきき方はなんだ!」

 よせばいいのにお兄ちゃんにも絡みだした。


「貴様こそ何様だ? オレを誰だと思っているんだ?」

「知らねぇよ」


「……では名刺代わりだ。この本の36ページ『ぬらりひょん』のページを見るといい。私のぬらりひょんに対する思いが筆に乗った、会心の作なのだ」

「だから知らねぇよ、そんなンどうだっていいんだ」

「いや、よくない。少なくともここまで解説したオレの立場がないだろう?」

「おまえ、何言ってんだ?」


   🦝


「百聞は一見に如かず、か」

 お兄ちゃんはそういうなり、本をパラパラとめくり、さっと該当のページを男の眼前に突き付けた。


「どうだ! これを見て何も感じないのか? 妖怪の総大将と呼ばれながらも、なんか姑息な感じのいたずらしかしない老人の姿に!」


 サラリーマンはあっけにとられたように、そのページを見つめている。

 その様子にお兄ちゃんは袖に手を入れうんうんと満足げにうなづいている。


   🦝


 ちなみにお兄ちゃんの妖怪画、まだ有名ではないけれどたまにこういう本にイラストが掲載されるようになっていた。

 本当はもっとカラーで、大画面で、画集にみたいにすればもっと迫力が伝わると思うんだけど、残念ながらまだそういう編集さんとは出会えていないらしい。


   🦝


「わかってもらえたようだな、ぬらりとした坊主頭、ひょんとした、人を馬鹿にしたような薄ら笑い、しかしそれは人を欺く表層に過ぎず、その緑色の眼光には底知れぬ迫力を秘めているのだ。そう、このカップ蕎麦の鮮やかな緑のように」


 と上機嫌で説明している。


「これをきっかけに、おそらく私は妖怪画の画壇に華々しくデビューすることになるだろう。だからこの絵と私をよく覚えておきたまえ、稀代の妖怪絵師になる男、それがオレだ」


   🦝


「あのよ、兄ちゃん……これ、イラストなんかないけど」

 と、男が白けたように告げる。


「バカなっ! 36ページだぞ」


 お兄ちゃんはその本をひったくると、目を見開いた。

 そこには解説の文字だけが並び、イラストはない。

 

 あたしは事前に聞いて、そのページを見ていたのだ。

 ちなみに本を一通り見たのだが、お兄ちゃんが描いたと思しきイラストは一枚も見つけられなかった。


   🦝


「くそっ! あの編集長めっ! !」


 本を地面にたたきつけそうな勢いであったが、思いとどまったらしい。急に力が抜けたように千円札を一枚あたしに寄越した。


「すまん、マドカ君、釣りは募金箱にでも入れてくれ」


 そう言うと本を抱えてフラフラと店を出て行ってしまった……


   🦝


「なんか悪かったな、姉ちゃん」


 お兄ちゃんの一人劇場という嵐が去ったあと、件のサラリーマンは急に冷静になった。


「このボタン押せばいいんだよな。釣りは募金箱にでも入れてくれ」


 そういってお兄ちゃんと同じく去っていった。


   🦝


 ふぅぅぅ。

 あたしは長い溜息を吐き出した。


「なんか男って疲れるなァ」


 カウンターにはお兄ちゃんが忘れた【緑のたぬき】が一つ残されていた。


 仕方ない。あとで自分の分も買って届けに行こう。


 師匠、きっと落ち込んでるはずだから。

 




 ~おわり~

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