第23話

 駕籠に乗せられたからには遠方かと思ったが、そうではなかった。東吾が連れられてゆくのを見られては都合が悪いのかもしれない。

 着いた先は小料理屋のようであった。看板に目を向けようとした東吾の背中に、刀の柄頭が押しつけられる。


「中へ入れ」


 きっと、近くにはこの男の仲間が他にも控えているのだろう。

 廊下を歩きながら、ため息が零れる。己はただ単に朝顔とだけ向き合って地味に生きているのに、どうして面倒事に巻き込まれてしまったのだろうか。


 そうして、風雅のことも巻き込んだのだ。風雅こそ、血が繋がっているだけの弟のことだ。放っておけばよいものを、敢えて関わろうとした。

 顔を合わせることもなかった弟のことを、風雅はずっと案じてくれていたのだろうか。


 ――それ以上深く考えてはいけないような気がした。東吾の気持ちがついていけない。

 今はただ、己のことに集中せねばならない。

 この先に待つのは、風雅が言うところの天狗なのだろうか。その忠告も虚しく、東吾は天狗に攫われてしまったのだ。


 気を引き締めた東吾は、浪人が開け放った障子の向こうにいた人物が見知った顔であったことに拍子抜けしてしまった。上座にゆったりと座る小柄な老爺は、熊手屋庄兵衛である。


「熊手屋殿?」


 そうだ、この男たちは庄兵衛が雇った用心棒なのだ。こんなにも数がいるとは思わなかったが。


 浪人たちを使ってわざわざ呼び寄せた理由は一体何なのだろうか。庄兵衛は、この者たちが間違えて連れ去ろうとした東吾の兄を傷つけたことを知っているのだろうか。いくら用心棒だとしても容易く刀を抜きすぎだ。


「久遠様、少々手荒な招待になってしまい、申し訳ございません」


 などと言いながらも、庄兵衛は扇子で鷹揚に顔を仰ぐ。


「少々込み入ったお話がございまして、ご足労頂いたのでございます」


 東吾の後ろには浪人が立ち、退路を塞いでいる。東吾はそのまま座敷へ上がった。

 刀は差したままである。取り上げてしまわないのは、東吾のような男が人を斬れるわけがないからだろうか。そう判じられたのなら、あながち間違ってもいないのだが。


 庄兵衛とは剣の間合いの外と言える距離を保つ。あまり近づくと刀を取り上げられる恐れがある。

 袴の裾を正して座り、まっすぐに庄兵衛を見ると、庄兵衛は満足げにうなずいた。


「さて、どういったご用件でしょうか?」


 そう訊ねるも、東吾も内心では苛立っている。それを顔には出さぬように努めた。

 庄兵衛は扇で口元を隠すと、ほぅ、と息を吐いてから切り出す。


「久遠様と私めとのお話で、朝顔のこと以外にございますか?」


 そうかもしれない。しかし、こんな呼びつけ方をしておいて朝顔の話をしようというのか。いくら好き者でも程があろう。


 東吾の表情に不快感が滲んでいたのかもしれない。それを見て取ったはずの庄兵衛は、それでも楽しげに笑った。


「あなた様の咲かせる朝顔は素晴らしい。本当に、どのように手をかければあんなにも珍しい変化が起こるのでしょう?」

「それを教えてほしいと?」


 人の技を盗むのは褒められたことではないが、教えてほしいのならば教えてもいい。同じように咲くのかどうかまでは面倒を見る気はない。これが東吾を呼びつけた理由であるのならば、教えるからさっさと帰してほしかった。


 東吾の声に冷たさを感じたのか、庄兵衛は扇子をゆらゆらと動かしながらも東吾から目を逸らさなかった。


「いえ、お教え頂いても同じように咲かせられるとは限りませんから、結構でございますよ。――それほど素晴らしい腕をお持ちでありながら、あなた様は笹乃屋さんに朝顔を独占させてしまわれる。あなた様の朝顔は、私の手の届かぬものになるわけでございます」


 まだその話をするのかと、東吾はげんなりしていた。

 ただ、庄兵衛が抱え込んだ執着の炎を東吾は正しく受け取らなかった。そこまで強いものだとは思わなかったのだ。

 庄兵衛は薄暗い笑みを浮かべていた。


「ですから、色々と考えたのですよ。最初は、笹乃屋さんを追剥ぎに遭ったように見せかけて亡き者にしてしまおうかとも考えました。しかし、それよりもよい手を思いついたのです」


 恐ろしいことを平然と言う。庄兵衛はこんな男であったのかと、東吾は庄兵衛のことを正しく捉えられていなかったのだと思い知らされた。


 いかに珍しかろうと朝顔だ。朝に咲いて昼には萎れる儚い花が、人の命に勝るはずもない。

 そんなことさえ、庄兵衛にはわからなくなってしまったのだろうか。くつくつと笑い声を立てている。


「あなた様には今後、私が用意した場所で朝顔を育てて頂きます。ああ、雅号はどうしましょうかねぇ。〈久遠東吾〉様というお人はこの世から消えてしまうのですから、あなた様がお作りになった朝顔を笹乃屋さんに優先的に売るという約束は無効になりますよ」

「一体、何を申されるのですか?」


 庄兵衛は、東吾に自らの朝顔を育てさせたいらしい。ただしそれは、〈久遠東吾〉としてではなく、庄兵衛の抱え職人としてだ。そんなものは断るに決まっている。


 東吾にとって利のない話だ。容易にうなずくとは思っていないだろう。それが、何故か落ち着いている。庄兵衛のその落ち着きが不気味だった。


「久遠様に瓜二つのお侍様がおられるそうですね」


 東吾は何も答えなかった。黙って座っていた。その様子を淀んだ目で眺めながら庄兵衛は言う。


「そのお侍様が久遠様の身代わりになればよいのですよ」

「何を――」


 冷や汗がじわりと滲む。この暑い時に締めきった部屋の中はひどく不快であった。

 不快にさせるのは、暑さばかりではなく、庄兵衛の妄執か。どんどん人から離れて化け物になっていく。


 庄兵衛もまた、捻じれて咲いた花になるのか。美しくなくとも、珍しくあればよいのか。その花の値打ちは誰が決めるのだ。


「同じ顔をされているのですから、そのお侍様が久遠様として葬られれば丸く収まるでしょう?」


 どこまでもおぞましいことを口にできる。この本質を今まで見抜けずに付き合ってきたのだ。


「どんなに珍しくとも、たかが花。花のために人の命を奪うと申すのですか?」


 どんな言葉も庄兵衛には届かない。東吾の言い分に気分を害した様子であった。


「たかが花だなどと、あなた様の口から聞きたくはございませんな。しかし、花は人と同じなのですよ。値打ちを見出すのは、当の花ではなく、それを愛でる人の方です。美しいと感じる人がいて、初めて美しい花となる。ただ咲いているだけではなんの値打ちもございません。人も、必要とされて初めて値打ちがある。違いますか?」


 人の勝手で花を歪め、思い通りに咲かなければ葬った。その花々の呪いが己の身に降りかかっているような心持ちであった。


「私が素直に従わなければどうなのです? あなたが望む花を私が咲かせるとは限りませぬが」


 この男を喜ばせるためだけに心血を注いで朝顔と向き合いたいとは思わない。それくらいならばこの場で斬られて息絶えてもいい。


 東吾が恭順を示さないのに、庄兵衛は余裕を持って相対していた。それは、後ろに浪人が控えているからだろうか。力尽くでどうにかなると思っているのなら、見込み違いだと言いたい。


 しかし、庄兵衛は東吾などよりも長く生き、商いを手広く行ってきたのだ。その程度の駆け引きはお手の物であった。

 どうすれば相手を動かせるのか。それをよくわかっている。


「あなた様はなんのしがらみもなく生きておいでのようで、実はそうではございません。何を盾に取るのが一番でしょうな。金を使えばどうとでもなるのですよ。――まずは久遠家の方々でしょうか? 確かご兄弟がいらっしゃいましたね?」


 庄兵衛ならばやりかねない、と東吾が認めてしまったせいだ。動揺が顔に出てしまったかもしれない。庄兵衛はにやりと笑った。


「少々気の荒い連中ですのでね、何をするかわかりませんよ」


 そんな程度の挑発にも乗ってしまう。

 刀の柄を握り締めて発した言葉が、自分の声とは思えないほどに低く唸るようなものであった。


「もしそんなことをしたら、そこもとの素首を叩き落してやろう」


 正治郎に何かしたら、絶対に許さない。あのまっすぐな義弟に傷ひとつつけさせてなるものかと、己を愚弄されることよりも堪えがたい怒りが込み上げる。

 東吾は不甲斐ない義兄だというのに、それでも慕ってくれる義弟なのだ。なんとしても守らねばならない。


 大人しい男だとしか思っていなかったのだろうか。東吾の剣幕に、庄兵衛は僅かに身を引いた。しかし、それだけである。その後は満足そうにうなずいた。

 そんなことを口にしてみせても、本気で手を汚す覚悟はないとでも思うのか。

 ただ、後ろにいた男が腹の底に響く声で言ったのだった。


「俺たちをその辺のごろつきか何かと一緒にするな。俺たちには俺たちの志があり、そのためにおぬしの手助けをしておるに過ぎん」

「はいはい、そうでございますね。私のような商人風情には及びもつかぬ志でございます。その大望のためには金がいるのですねぇ。それならば、金が天下を握っているということで。このお方の変化咲き朝顔は、十両、二十両といった値で取引されるのですよ。この方は金の花を咲かせるのでございます」


 嫌な言い方をする。

 しかし、この男たちは金のために雇われてはいるようだが、逆に言うなら金の繋がりでしかない。

 そこでふと、東吾は追剥ぎのことが気になった。


「播磨屋殿も追剥ぎにあったというが、あれはもしや――」


 すると、庄兵衛は嫌な顔をした。その表情が物語っている。


「よい朝顔を見つけたから買いに行くのだと、わざわざ自慢げに言いに来るものだから。その金をそっくりこの方々が頂いただけの話ですよ。ねぇ、川島さん」


 この男は川島という名らしい。

 よく見ると、ただの浪人とも違うような気がしてくる。剣の腕は相当であるということだけはわかるのだが、逆にいうのならそれくらいしかわからない。ただ、どこかに仕官していたのではないかと、ふと思わせるものがあるのだ。


 風雅はこの男とも対峙した。腕が立つと言われたのだから、この男に負けぬほどの技量らしい。剣を合わせたことで、風雅は東吾以上にこの男のことを知ったのかもしれない。

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