第14話

 そんなことがあってから数日、清江はようやく紬の着物を仕立て終えたようだった。

 朝一番に、その着物に袖を通して東吾の前に現れた。なんとも言えず照れ臭そうにはにかんだ笑みを浮かべる。


 清江が照れるから、東吾まで何か照れ臭いような気になった。照れ臭いというのか、真新しい着物を着た清江は名の通り清々しく、眩しくも見えた。

 あまりじろじろと眺めてはいけないと思い、軽く目を逸らす。


「やはり、よう似合うておるな」


 それだけ、言った。あの反物を贈った以上、似合うとは思っていたのだ。

 東吾は井戸から水を汲み上げ、それを桶に移すという作業を繰り返しつつ、清江の様子を気にした。清江は、ありがとう存じます、とつぶやいた。


 耳が赤かった。うつむいて顔を隠しても、そんなところは隠せない。

 可愛らしいものだと思う。やはり、こんな娘に日陰の身は向かない。


「もうすぐ朝餉の支度が整いますので」

「うむ、わかった」


 短く、そんなやり取りを交わす。

 特別なことは何もない。平凡な朝だった。

 ただ、その平凡さがそよ風ほどには心地よかった。



 そうして、その日。舟が東吾のもとを訪れた。

 こちらからは出向いたが、向こうから来たのは久しぶりだ。舟も清江がどうしているのかと顔を見たくなったのだろう。


「舟さん、ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました」


 玄関先で清江が丁寧に手を突いて舟に礼を述べた。その時の清江は、最初にここを訪れた時よりも悲壮感は和らぎ、穏やかなものだった。それを舟も感じたようだ。見るからにほっとしている。


「清江さん、お元気そうで何よりです。東吾様のおかげでございますね」


 東吾は清江の後ろで立ったまま苦笑した。


「ええ、本当に、とてもご親切にして頂いてばかりで」


 清江がそんなことを言った。東吾から清江の顔は見えないけれど、それを向けられた舟が優しく笑った。

 けれど、そこから表情を改め、どこか気まずそうな目をする。舟がそうした顔をすることが、東吾には珍しく思えた。不穏だと、背筋に感じるものがある。


「それはよかった――と、まあよかったのですが、本日ここへ参りましたのは、お耳に入れておいた方がよろしいかと思うことがございまして」

「わたしに、ですか?」

「ええ、清江さんに。清江さんがお家を出られてから、ご家族は清江さんの行方を捜されておいででした。けれど、ご本人のお気持ちをよそに、あんまりなお話を進めたのですから、少し頭を冷やしたらいいと、私は知らぬ存ぜぬを通して参りました」


 その時、清江がはらはらした様子で東吾の方を振り返った。清江は未だに東吾が清江の事情を何も知らないと思っているらしかった。

 しかし、舟はあっさりと言う。


「ああ、東吾様はもうご存知ですよ。私がお話ししましたので」


 えっ、と口元を押さえて目を見開いた清江に、東吾は頬を掻きながら軽くうなずいた。

 これを東吾が知らないで通してしまうと、この先の話ができないのだろう。舟なりに深刻にはならないように軽めの口調で言ったのだ。


「うん、まあ――」


 おかげでそれほど気まずい思いはしなかった。舟はさっさと話を進めてゆく。


「それでですね、清江さんのご家族とお会いしても、私は清江さんの居場所が知れるようなことは何ひとつ口にしなかったのですが、近頃になって皆さん随分弱気になられてしまいまして。あの子はもう生きてはいないのだろう、としょげ返っているのです。据えたお灸が少々ききすぎてしまいました」


 世を儚んだ娘は身投げをした。だからどこを探しても見つからないし、もう生きてもいないと思い込んでしまったのか。

 事実、一歩間違えたらそうしたこともあったかもしれない。

 舟は溜息をひとつつき、それから頬に手を添えてつぶやいた。


「まあ、清江さんが許せないとお思いなら、私からとやかく申すことはございません。けれど、無事だと、それだけはお伝えしてもよろしいかと。私もお手伝い致しますので」


 黙って聞いていた清江は、しゃんと背筋を伸ばし、落ち着いたものであった。怒るでも慌てるでもない。


「――そうでしたか。わざわざお知らせくださり、ありがとう存じます」


 声からも心は読み取れなかった。それでも、色々なことを考えているのだろう。だからこそ、それを東吾や舟に覚られないように封じているのではないかと思えた。


 もう、笹乃屋文左衛門との話はついている。清江は身を隠す必要もないのだ。ただし、それをまだ伝えていないだけで――。

 舟は今、清江に答えを急かすことはしなかった。不意にくしゃりと破顔する。


「ええ、用件はそれだけです。ところで清江さん、そのお着物がよくお似合いですね」

「あ、いえ――」


 急に話題が移り、慌てた清江がうつむくと、その頭越しに舟は東吾を見て笑顔を作り直した。その目が多くを語る。


 この娘を守ってやってほしい、とそんなことを東吾に望んでいるような気がした。

 守るというのは、家族や妾にしようとする男からという意味ばかりではない。もっと内面の、繊細な部分でのことだ。悩みを抱え込み、それを人に言えずに苦しむ娘だから、その心を守ってくれと。


 朝顔としか向き合っていない東吾に、舟の望みは無理難題である。どうして己にそれを望むのだと言いたいところだが、関わった以上、今さら後には引けない。

 もうすっかり、東吾も清江のことが心配ではあるのだから。

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