第13話

 笹乃屋文左衛門が〈吉八〉に到着したのは、それから半時(約一時間)ほど経った頃であった。駕籠かごを飛ばして来たのだろう。己が走ったわけでもないのに、息せき切らしている。それもいつものことだ。


「久遠様っ」

「お久しゅうございますな、笹乃屋殿」


 柔らかく挨拶をする東吾の前に手を突くと、文左衛門は額を畳に擦りつけた。


「このたびはお呼び頂きまして、誠にありがとうございます」


 大店の商人にしては腰が低い。――というのも、東吾の前でだけだと吉造は言う。

 若造に過ぎない東吾だが、文左衛門は最大の敬意を払って接してくれる。それは、変化朝顔のせいであり、もうひとつは身分によるところである。


「そろそろ頭を上げてください、笹乃屋殿」


 東吾が言うと、文左衛門はようやく顔を上げた。四十も後半に差しかかり、月代を剃るのも楽そうな、やや細った髷をしている。それでも体格はよく、大柄だ。駕籠かきたちも文左衛門を乗せて急ぐのは大変だっただろう。


「久遠様、今日はどのような変わり咲きでございますか? これは急がねばと飛んで参りました」


 朝顔は、名の通り朝の花である。昼を過ぎれば萎れ始める。文左衛門が時を惜しんで急いだのも、朝のうちに見ておきたかったからである。


「ええ、今日はこちらをお持ちしました」


 東吾は先ほどと同じように朝顔の入った箱を文左衛門に向ける。

 文左衛門の顔に血の気が増し、はぁ、とため息とも感嘆とも取れる吐息が零れた。


「これはまた、なんと美しい――どうしたらこのような花が育つのでしょう」


 今朝、清江に話したような話をしてもよいのだけれど、吉造や文左衛門のような同好の士を相手にその話を始めると、まあ終わらない。朝顔は萎れる上に飯の支度をして待っている清江もいるので、ほどほどに帰らねばと思ってやめた。


「度咲なので、明日になれば外と内の花が咲き揃います」


 それだけ言って後は笑ってごまかすと、そこは秘密であるのだろうと文左衛門も納得したようだ。大枚に化ける出物の栽培法であるから、そう易々と教えてくれるとも思っていないのだ。


 ただ、こればかりは教えたところでできるとは限らず、思った花が咲かずにへこたれる者が多い。だから教えたくないという気もないのだが。


「どうなさいやす、笹乃屋様」


 吉造が朝顔に見入っている文左衛門に声をかけた。文左衛門はああ、とつぶやくと我に返った。


「頂きましょう。久遠様、この鉢をぜひとも譲って頂きたい」

「お譲り致しましょう」

「お代は、そうですね、これではいかがでしょうか?」


 そう言って、文左衛門は指をピンと二本立てた。二両、ではない。二十両である。気前のよいことだ。

 東吾はにこりと笑ってうなずいた。


「いつもありがとう存じます」


 と、こうして商談は成立したのである。金の受け渡しは後日とし、鉢だけを先に受け渡す。

 文左衛門は上機嫌であった。


「久遠様は武家のご嫡男であらせられたのに、家督よりも朝顔を選ばれた。その心意気があまりに潔く、あたしのような凡夫にはとてもとてもできることじゃあございません」


 よく、これを言われる。

 しかし、朝顔に傾倒して家督を放り投げたわけでは断じてない。その辺りを語るのも面倒で、東吾がいつも笑って流すから、顔を合わせるたびに同じことを言われてしまうのだが。


 天保から嘉永元年まで北町奉行を勤めた、鍋島なべしまなおたかという旗本も変化朝顔通であり、その育成に力を入れていた。武家であっても朝顔に没頭する人物もいる。そもそも、朝顔にとって身分など関りのないことではある。


 文左衛門は、士分に過剰なまでの憧れを抱いているらしかった。金で御家人株が買える昨今、財のある文左衛門ならばそのうち士分になるのではないだろうかと東吾は思っている。

 少し前までは剣術道場に通ってみたりもしていた。ただし、剣術の才がないことだけははっきりとしていると諦めたそうだ。


 朝顔を育てているのが士分である東吾だということも、朝顔の鉢に付加価値をつける一因となっているのならば、まあいいかと思うだけである。


 まず、人は財を欲し、財があれば地位を欲し、地位が上れば長寿を欲す。人の欲には際限がない。手が届くものはなんでも欲しがる。

 ここまでは東吾もおだやかに笑っていられた。けれどその時、不意に文左衛門が言ったのだ。


「あたしは商人あきんどにございますが、財があります。財があれば、欲したものはほぼ手に入るのでございます。ただし、人の心ばかりは難しいもので」


 と、ため息をついた。大店の主にしては気弱なことである。


「うん? どうされた?」


 思わずそう訊ねてしまうほどには様子がおかしかった。


「いえ、せがれがそろそろあたしに隠居してほしそうなのでございますよ」

「はぁ」


 気の抜けた返事をしてしまった。どう返していいのかわからなかったのだ。それでも、文左衛門は続けた。もしかすると、店とは関わりのない誰かに聞いてほしかったのではないだろうか。


 吉造は仕事があると言って中座した。聞かぬ方がよいと気を利かせたのか、長くなりそうだと逃げたのかのどちらかだ。

 それでも、大店には大店の気苦労があるには違いなかった。


「まあ、あたしも父親から身代を受け継いでおりますので、自らが興したわけではない手前、そこを突かれると強くは申せません」

「いや、それでも、店を大きくしたのはそこもと、笹乃屋文左衛門殿でしょうに」


 すると、文左衛門はまたため息をついた。その息が朝顔の葉を揺らす。


「女房も、倅が可愛いのでございます。お前様はそろそろ隠居して好きな朝顔に没頭していればいい、などと申す始末で。ああ、もう、お前様とならばどんなことでも耐えてみせますと言ってくれた、若かりし頃の愛らしいおもかげもなく、横に肥えて肥えて――」


 訊くのではなかったと、東吾が悔いても今さら止められない。これは相当に鬱憤が溜まっている。


「そ、それは、つらい思いをされたようで――」


 当たり障りのないことを言ってみた。こうしたいざこざは、東吾の最も不得手とするものである。

 文左衛門はがっくりと項垂れた。


「いっそ離縁して、若い後添えでももらってやろうかと思うことしきりでございまして――。しかしながら、奉公人のことは女房がまとめているとも言えますので、そう易々とできることではございませんが。あたしにとって心を慰めてくれるのは、この変わり咲の朝顔と、若い肌――とと」


 口が滑ったらしく、文左衛門は手の平で口を塞いだ。しかしまあ、これだけ財力のある文左衛門であるから、吉原くらいは行くだろう。

 花魁おいらんに入れ込むことを思えば、まだ朝顔の方が安いかもしれない。とはいえ、その吉原通いのせいで内儀が冷たくなったようにも思えるのだが。


「人の心が金では動かせないとお思いになるのは、お身内のことでしたか」


 むしろ、なまじ金があるだけにややこしいとも言える。

 文左衛門は口を滑らせたついでと思ったのか、小僧のように一度ぺろりと舌を出すと語り出した。


「いえ、それもあるのですが、実はその、妾を囲おうかと思っておりまして」


 それこそ、何故己を相手に話すのだと言いたくなるが、これも信頼から来るものだろうか。世話になっていることは確かなので、東吾は話の続きを聞くしかなかった。


「ふむ。まあ、よく聞く話ではございますな」


 そんなことしか言いようがない。話の流れは明らかに東吾の苦手とするところである。

 しかし、文左衛門は遠慮なく話を続ける。


「ええ。そうなのですが、あたしが囲おうとしているのは、女郎上がりでもなく、素人娘でして」

「ほぅ」

「それも、武家の娘なのです。武家とはいっても、食うにも困る御家人の娘でございまして」

「ん?」

「人伝に話を聞き、まあまあ美しい娘でしたので、それならばあたしが面倒をみてもいいということになりました。それなのに、その娘の親兄弟が今になって渋り出したのでございます」

「――――」


 こういう話はよくある。現に最近聞いたばかりではないか。

 東吾は今頃昼餉の支度をしているだろう清江の顔を思い浮かべた。


「こちらはもうすでにその気になって待っているというのに。最初はあんなにも、娘をよろしく頼むと仰っていたはずが、娘はやはりひっそりと暮らしてゆくのが性に合っているとかなんとか――」


 まだぶつぶつと零している。

 しかし、考えてみると、妾を囲うことは珍しくないとしても、武家娘をわざわざ妾にというのはもしかすると珍しいのではないだろうか。


 まさか、と思う。

 けれど、一度その考えに行き着いてしまうと、どうしても違う道筋に移れない。急に心の臓がうるさく主張し始めた。いつかの初めての剣術試合の時ほどには体が強張った。

 東吾はそれを落ち着けながら文左衛門に問う。


「その娘御の名はなんと申されるのでしょう?」


 愚痴を並べていた文左衛門が、はたりとそれをやめた。目を瞬かせ、じっと東吾を見ながらその名を口にする。


「清江さん、と。元御徒衆、宮口みやぐちきょう三郎ざぶろう様のご息女で」


 そう繋がるのは、なんの因果か――。

 舟もそこまで知っていて清江を東吾のところに向かわせたわけではないだろう。

 東吾は冷や汗が背中を流れ落ちるのを、なんとも言えない心持ちで耐えた。どんな顔をすればいいのかもわからない。

 文左衛門ははぁ、と再び嘆息した。


「宮口様は暮らしにお困りのようでしたし、あちらとしても悪い話ではなかったはずなのです。どうして急に反故にしたがるのやら」


 東吾はずっと、清江が憐れだと思っていた。二回り以上も年の離れた男の妾にされそうになっていて、それが嫌で逃げ出してきたのだから、憐れである。


 しかし、その男というのが、東吾もよく知っているこの笹乃屋文左衛門であった。大店の主であるが、人柄はそう悪くない。人を陥れたり、乱暴したりはしないはずだ。もし、清江が文左衛門のところへ行った場合、大切にはしてもらえるだろう。食うものにも着るものにも困らずいられる。


 それでも、清江は遊女のように手練手管など知らぬ女子だから、遊び慣れた文左衛門はそのうちに飽きるかもしれない。なかなか顧みないとしても、暮らしに貧窮するような扱いをしないならいいのか。

 だから、清江の親は悪い話ではないと考えたのだろう。


 東吾は今、どうすべきなのかを考えようとした。このまま何食わぬ顔をして、今日のことは己の胸のうちに留めておくのがいいのかもしれない。それというのも、所詮東吾は他人なのだ。したり顔で清江たちの事情に口を挟むべきではない。


 ――そう、それが正しい。

 そんなことはわかっている。


 けれど、正しいからといって、今まで正しいことを選んでこられただろうか。

 ただただ、己の願うまま、心が望むことをしてきたのではないのか。


 それならば、己は今、何を望んでいるのだと自問する。

 清江に人並みの仕合せが訪れればよい。それはやはり、この文左衛門のもとへ行くことではないと、清江がそれを望んではいないと東吾には思えた。


 今、東吾にできることは何か。

 何かができると思うことが、すでに思い上がりかもしれない。己はただの世捨て人で、落伍者だ。大店の主である文左衛門に偉そうなことが言える身だとは思わない。


 しかし、今、言わなければならないのだ。

 膝を正し、東吾はまっすぐに文左衛門に目を向けると口を開いた。


「笹乃屋殿、〈清江〉殿でしたら、私が知る清江殿と同じ娘御でございましょう」

「えぇっ」


 文左衛門が素っ頓狂な声を上げた。けれど、それをすぐに押し込める。

 こほん、とひとつ咳払いをし、威厳を貼りつけ直した。


「久遠様が清江さんをご存じとは。まあ、お武家様同士のことでございますから。ああ、宮口様――家を継がれた兄上様の方ですが、久遠様と同じお年頃ですので、その繋がりでしょうか?」


 東吾はゆっくりとかぶりを振る。

 今は何ひとつ嘘をつかずに、この文左衛門と話そうと決めた。


「いえ、清江殿の兄上とはお会いしたこともございませぬ。清江殿と知り合ってからそう月日も経っておりませぬので」

「そうなのですか?」


 怪訝そうな目をした文左衛門から東吾は目を逸らさなかった。大商人である文左衛門は多くの者と腹の探り合いをしてきたのだ。東吾が付け焼刃でつく嘘など、すぐに見抜かれるだけである。


「はい。清江殿は私のところに下働きに参りました。ご家族が勧めてのことではございませぬ。己の考えひとつで家を出て、働き口を探して私のところに行き着きました。ですから、ご家族は清江殿の居場所を知りませぬ。当の本人が行く方知れず――それ故に、ご家族はこの話をなかったことにしたいのでしょう」


 文左衛門はぽかんと口を開けた。東吾が包み隠さずに語ったせいであるのだが。

 それでも、東吾は続けた。


「私は今の今まで、清江殿と笹乃屋殿の繋がりは存じませんでした。しかし、知ってしまった以上、笹乃屋殿を見込んでお願いするよりありませぬ」


 東吾は両手を突いて文左衛門に向けて頭を下げた。文左衛門が身じろぎしたのがわかった。


「どうか、清江殿のことは諦めて頂きたい」

「あ、久遠様っ、そんな――」


 あんまりだと言いたいのだろう。文左衛門は武家の娘をもらい受けるのを、とても楽しみにしていた。

 しかし、清江は自らの行動で拒絶を表した。それならば、東吾としては、先方が待っている、いい人だから行ってこいとは到底言えない。


 清江の意に染まぬのだから、どうにかしてやりたいと思うだけだ。

 東吾は下げた頭を一度上げた。文左衛門はすっかり困り顔である。


 士分としての誇りはない。率先して守らねばならぬ家もない。そんな東吾が頭を下げたくらいで物事がどうにかならぬことくらい、この年になればわかっている。


「まず、こちらの朝顔は差し上げます。お代は結構でございます。それから、今後珍しい朝顔が咲けば、誰よりも先に笹乃屋殿にお知らせしましょう。それをお約束致します」


 すると、文左衛門は憮然とした。それも当然のことだろう。大店の主にとってこの程度の額などたいしたことはない。むしろ、金を積んで手に入らないものがあることの方が腹立たしいのだ。


「久遠様、そんなことを仰ってしまいましたら、あたしは今後、久遠様が丹精込めて咲かせた朝顔を買い叩くかもしれませんよ。それでも、久遠様はあたしに引け目をお感じになって何も申せなくなるかと。清江さんを手元に置く限りそれは続くのではないですか?」


 さすが商人だけあってよくわかっている。東吾の提案は愚策である。

 しかし、東吾は商人ではない。他に値打ちのあるものも持ち合わせず、こうしたやり方しかできないのだ。


「ええ、もちろん引け目は感じるでしょう。それでも、清江殿は随分と無理をして生きていると申しますか、いつも苦しげに見えるのです。あれではいつか壊れてしまいそうで、何かしてやれることがあるのなら、できることはしようと決めました」


 この世の不幸をすべて背負ったような目をする。

 けれど、妾奉公の話が立ち消えれば、少しくらいは安心して過ごせるだろう。そのうちに家族とも和解できればいい。


 文左衛門以上に、今の東吾は困り顔であったのかもしれない。文左衛門は肩を落として息を吐いた。


「久遠様にそこまでされては、あたしとしても引き下がるよりございませんな」

「笹乃屋殿――」


 諦めてくれるのか、と東吾は文左衛門を見つめた。そんな様子に、文左衛門はさらにため息を零す。


「あたしは変化朝顔を咲かせる腕前ばかりでなく、久遠様のお人柄をとても好ましく思っているのでございますよ。その久遠様の頼みとあらば、もう何も申せません」

「かたじけない」


 東吾がもう一度頭を下げると、文左衛門は穏やかに言った。


「久遠様は嘘偽りなく、ありのままをあたしにお話くださいました。そのご誠意があればこそでございます」


 親子ほども年が違う二人だからこそ、文左衛門は息子を見るような目で東吾に接してくれたのだろうか。その厚意に今は甘えたい。

 文左衛門はふと笑った。


「この朝顔のお代はお支払い致しますよ。その代わり、珍しい朝顔が咲いた時、真っ先に知らせるという約束は守って頂きとうございます」

「それは無論。何から何まで世話になってあいすみませぬ」

「いいえ、久遠様に恩を売れて、まあそういう意味ではよい買い物ができたとも言えますな」


 そんなふうに言われた。やはり、身代を太らせた手腕はこうした時に見える。文左衛門がなりふり構わず、どんな手を使ってでも清江を手に入れようとするような小物でなかったことが、清江にとって不幸中の幸いであった。清江の親も、そうした人物だと見込んだからこそ、娘を預けてもいいだろうかと思ったのかもしれない。


 しかし、できることならごく平凡な家の嫁に収めてやった方が仕合せではある。何故それをせず、妾にしようとしたのかということを考えると、やはり金が要るのか。


 ひとつ解決したように見えて、清江を取り巻く事情はまだ晴れていないのだ。

 それでも、少しは前に進めたのだろう。


 この時、文左衛門は溜息をつきながらひっそりとした声で言った。


「あと、これは念のために久遠様の御耳に入れておきたいことなのですが――。久遠様は花合わせには滅多においでになりませんので、まだお聞き及びでないかと思います」


 変わったことは特になかった。多分、東吾はまだ何も知らないままだ。

 何も答えられずにいると、文左衛門はその続きを零す。


「二日前、同好の士である播磨屋さんが駕籠でお出かけの際、不逞浪士に襲われたのだそうです」

「えっ」


 播磨屋は酒問屋で、この文左衛門の笹乃屋ほどではないにしろ、大店と呼べる大所帯の主である。東吾も朝顔を買ってもらったことがある。


「金が目当てであったようで、播磨屋さんはご無事でしたが、駕籠かきが斬られたそうです」


 たとえ浪人であっても、そう易々と刀を抜いて、ましてや人を斬っていいはずもない。それも追剥ぎとは見下げ果てた所業である。

 生きにくい世であるのは確かだとしても、己のために他者から金品を奪い、傷つけるなどというのは許されたものではない。


 播磨屋は穏やかな老爺で、無事だと聞いてほっとしたものの、人死にが出たのならば手放しで喜べない。

 そこで、文左衛門もはぁ、とため息をついた。


「顔は笠を被っていたので、しかとは見ておらぬそうですが、複数の浪人崩れであったそうです。――物騒な世の中になりましたな。今日はまだ日も高いことですし、久遠様の朝顔が咲いたと聞いて飛び出してきてしまいましたが、あたしも用心棒を雇おうかと考えているところです。実は、播磨屋さんの前は熊手屋さんも危うかったというお話で」

「熊手屋殿まで――」


 熊手屋は浅草材木町の材木商である。文左衛門と同等に朝顔に熱を上げており、当の本人も育てては花合わせに出展するのだ。


「まあ、熊手屋さんもすぐに金を出したので無事だったそうです。それからはもう、いつも用心棒を連れて出歩いていますよ。よっぽど恐ろしかったんでしょうなぁ」


 朝顔に傾倒している人々は皆、金満家である。そもそもが道楽なのだ。朝顔連の人々が襲われたのは、要するに裕福だからだろう。


「それは――、笹乃屋殿もお気をつけ召されますように」


 東吾がそれを言うと、文左衛門はぶるりと身震いをした。


「ええ、ええ。命あっての物種でございますからね。久遠様も十分にお気をつけくださいますように」


 そう言ってくれるが、東吾は朝顔を育ててそれを売った金で生きているだけであり、文左衛門たちとは扱う金の額がまるで違うのだ。道で襲われたところで小判一枚出てこない。


 家には盗人が度々入るが、小物ばかりなので追い払えている。腕の立つ浪人が来たことはない。

 それにしても、刀を差した浪人が追剥ぎとは世も末である。東吾のように侍とは呼べない身であっても、それは嘆かわしいことであった。



 ――そんな話をしてから何食わぬ顔をして東吾は家に帰った。

 今日、文左衛門とのやり取りを東吾が勝手に行ったことは、清江には当分知らせずにおきたい。きっと、これも気に病んでしまうことなのだ。東吾が自ら思い立ってやったに過ぎないとしても、責を感じる。


 上手く話せる日が来るまで、このことは己の胸にしまっておこうと東吾は思った。

 何食わぬ顔をして戻り、東吾は清江の作った昼餉を平らげたのだった。

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