第11話

 そんな頃、ようやく変化朝顔の花が咲き始める。

 東吾はひとつの鉢を持ち上げ、それをつぶさに観察してみた。

 

青掬あおきくすいまる雪白ゆきじろそこてりがきかずぎれ風鈴ふうりんしんくるいだい牡丹ぼたんざき〉という花である。


 内側に強く巻き込んだ葉は、もはや朝顔の葉とは一見しただけではわからない。蔓もほぼ巻かず、ふわりとしている。白い花は、朝顔特有の丸い一枚の花弁とは違い、異常に花弁の数が多い。これはすべて咲くと毬のように丸くなる。〈度咲〉というのは、一日目に外側の花弁が開き、翌日に内側の花弁が咲くもの。


 今はその一日目である。翌日になればそれは珍しく美しい花になるのだ。

 同日中に外と中の花弁が咲ききるものは〈二重ふたえざき〉と呼ばれて区別される。

 これもひと目で朝顔だとは見抜けぬ者も多いに違いない。


「これは、一体どうしてこのようなことに――」


 清江はこの朝顔を見た途端、難しい顔になってしまった。己が知る朝顔とはあまりに違うからだろう。


「どう、というと――桔梗咲、きれざき、石畳咲、石化、などの変化の中でも種子を結びやすいものを正木まさぎというのだが、これは本来なら種を作るべきところまでもが花弁に変化してしまい、種を残すことができぬ出物でものと呼ばれるものなのだ。これを咲かせるには、変化をせずとも同じ変化を持って育ったおやの種を用い、そこから――」


 ぽかん、と音がするほど、清江は呆けていた。そういえば、前に正治郎にもどうやって咲かせているのかと訊かれたので答えたのだが、途中からまるで聞いていない顔つきになっていた。


 東吾が面白いと思っていても、馴染みのない者たちにはその仕組みを語られてもついていけない。ただでさえ、理屈がわかったところで咲くかどうかは時の運という厄介な代物である。


「ええと、まあ、そういう具合で」


 調子に乗って饒舌になったことが妙に恥ずかしくなって、東吾は首筋を掻いてごまかした。清江はそれに気づいたのか、クスクスと軽やかに笑った。


「難しいことはわかりませんが、不可思議なものですね。それにしても、東吾様にはこうして打ち込めるものがおありで、それが羨ましいなどと申しましたらお笑いになりますか」


 打ち込めるものが朝顔だというのがまず変だ、と正治郎は言うのだが、清江はそれを羨ましいと言う。

 例えば、剣術であったり学問であったり、人それぞれ自分が追い求める道を定めて歩いている。しかし、暮らし向きや身分によってはそれを選ぶゆとりもないのかもしれない。


 この朝顔も、好事家がいなければ金にもならず、ただの道楽でしかない。東吾は恵まれていたと言えるのだろうか。


「いや、清江殿も今後、打ち込めるものに出会えるのではないか。まだ先は長いのだ」


 若い清江なら、今からいくらでも出会いはある。しかし、女子が打ち込むものとはなんだろうか。特に武家の娘は早くに縁づいて男の妻になる。

 そうしたならば、夫を支え、子を成してゆく。そうすると、おのずと子を育むことに打ち込むようになる。

 今の清江の現状からすると、それも難しいだろうか。


 それならば、いつまでもこの状態を続けず、上手く口利きをしてくれる者を探した方がいいのかもしれない。しかし、東吾にそんな伝手はなく、頼める相手も舟くらいのもの。舟がそれを言ってこないのは、まだよいところが見つからないからか。


 実際のところ、家を飛び出した娘に世間の、それも武家は厳しかろう。清江はよい娘ではあるが、親に逆らうようなことをするのなら嫁いでも舅や姑に従わないのではないかと思われてしまう。武家というのは、どうにも融通が利かないところである。


 それこそ、いっそ町人でもいいのかもしれない。妾ではなく、内儀として大事にしてくれるのならば、それはそれで仕合しあわせに過ごせる気もする。


 もし良縁が降って湧いて、清江が去るとして、今度はどういう者がここに来るだろう。まだ清江がここへ来てそれほど経っていないというのに、頭を切り替えて次のことを考えるのが嫌だった。


 それは、気に入っていた舟が去って、一度ここで落胆し、そこからようやく清江が馴染みつつあるからだろう。せっかく慣れたのに、一からやり直しなのだ。また繰り返すのかと、それに疲れてくる。

 そういうことなのだ。きっと。



 東吾はこの鉢を慎重に箱に納める。朝顔の鉢の持ち運びのために特別に誂えた細長い箱である。四方の一面が外れる仕組みになっている。中を見ながら慎重に運びたいので、上に蓋はない。横に持ち手もあり、鉢を運ぶ時には重宝する。


 この朝顔をどこへ運ぶのかというと、まずは植木屋へ行く。そこから植木屋が得意先を訪って、買い手がつきそうならば東吾が交渉する。

 花合わせに出すことが目的である者が多い中、東吾はそこには惹かれなかった。名を売るために出した方が買い手はつきやすいのだろうけれど、そうした場はあまり好きではない。


 見に行くだけならいい。人様が作った珍しい朝顔の鉢を見て学ぶことは多くある。


 それでも、東吾も変化朝顔をいくつか咲かせているのだと知ると、途端に対抗心を掻き立てられるのか、チクチクと皮肉めいたことを言ってくる手合いもいる。のらりくらりと躱すのだが、腹を探られるのが面倒だ。

 よって、花合番付などにも東吾の名が載ることはない。


「では、行って参る」

「はい、お気をつけてお戻りください」


 朝顔の鉢を手に、東吾は清江に見送られて外へ出た。東吾が出かけたら、清江も自分のことに手を回せるだろう。好きにしていたらいいと思うのだけれど、真面目な清江はそう要領よく切り替えたりはできないかもしれない。


 東吾は歩きながら考える。

 清江がここへ来てから半月ほど経つ。清江の家族は、清江を妾奉公に出すことを諦めただろうか。


 当の本人が姿を消したのだから、どうしようもない。先方に頭を下げて話を流したといったところだろう。金が入らず、暮らし向きは苦しいままかもしれない。清江一人分の口減らし程度ではそれも変わらない。


 いなくなった清江を探しているとして、戻ればまた同じ目に遭うのなら、清江は戻りたがらないだろう。それこそ今度は遊郭に売られるかもしれない。家族は家を出た清江の気持ちをどう受け止めているのか、それを東吾も知りたいと思った。


 そんなにも思いつめていたとは、可哀想なことをしたと悔いているのならいい。無事でいることだけは伝えてやりたいという気になる。


 唯一事情を知るのは舟だが、清江の居場所を教えてしまうと、清江の気持ちを無視して連れ戻しに行くかもしれず、未だ隠し通しているのではないか。こればかりは東吾がどうにかできることでもなく、もうしばらくは様子を見るよりない。

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