第2話

 ――朝顔の始まりは、奈良時代とされる。遣唐使が唐土より持ち帰ったのだ。

 その当時、朝顔は薬とされていたが、次第にその見目のよさから鑑賞用に栽培されるに至った。


 それから長い歳月を経て、文化ぶんか丙寅へいいん(一八〇六年)三月四日、下谷したや御徒おかちまちが焼け野原となる大火事が起こる。千人以上もの死傷者を出した、牛町火事と呼ばれるその大火が、なんの因果か朝顔の歴史を変えることとなった。


 家屋が焼けたのち、その寂しい土地にいくつかの花が植えられた。火事で失った多くのものは蘇らぬとしても、花々は心を慰めるはずであった。

 ところが、下谷の焦土跡に咲いた朝顔は少しばかり変わったものであったらしい。


 珍しい物好きの江戸っ子は、この変わり咲の朝顔に食いついた。

 すぐに萎れる儚い朝顔であるが、種ひとつで比較的簡単に咲く。鉢植えで育てられ、場所を取らない。

 その手軽さもあり、珍しい朝顔を咲かせてみせようと、文化から文政ぶんせい期にかけて朝顔が大流行したのであった。


 とはいえ、凝り過ぎると家が傾くほどに散財する道楽だ。天保てんぽうの頃には飢饉や、天保通宝つうほうが作られたことによって銭の相場が下がったり、疫病が流行ったりと、朝顔どころでなくなったこともあり、一時は下火になりもした。


 それでも、嘉永かえいからまた再燃し、文久の今になってもまだ好事家はおり、闘花会(品評会)や朝顔連もある。

 文化の頃に比べると、今は多種多様。より複雑な変化を遂げている。


 ただし、平穏に見える徳川の世も、昨今は徐々にきな臭さを増していた。世間は倒幕だ尊王攘夷だとうるさい。

 そんな時に朝顔にかまけている東吾を褒めるのは、好事家だけである。



 ――おびただしい数の鉢植えが並ぶ夏の庭を眺め、屋敷を訪った義弟は、これ見よがしにため息をついた。東吾はそれを聞き流す。これはいつものことであった。

 だが、それでは勘弁してもらえない。


「兄上は、このご時世によくもまあ飽きもせず、年中朝顔のことばかり考えていられるものですね」


 皮肉交じりにそんなことを言う正治郎も齢十七となった。小柄であどけなさを残し、やや幼くは見えるものの、もう子供ではない。


 その正治郎は、東吾が退いてからも足しげくこの屋敷へ通ってくるのだった。同じ下谷とはいえ、すぐそこではないというのに。


 東吾はというと、月代さかやきを剃るのをやめ、総髪をまとめただけの髪に着流しといった風体である。屋敷に置ける限りの鉢植えを置いて朝顔を育てている。


 庭に種を直に撒いてしまうと、土竜もぐらや根切り虫にやられてしまうので、朝顔は鉢にしか植えられない。だから、東吾の庭は鉢植えだらけである。世間から朝顔屋敷と呼ばれてしまうのも道理であった。


 朝顔は夏のもの。けれど、変わり咲の朝顔は花をつけるのが遅いものもあり、秋頃まで楽しめる。


 季節が外れても、紙の上に掛け合わせを記してみたり、床土を作ってむしろをかけて種撒きに備えたりと、東吾は本当に年中朝顔のことばかり考え、手をかけて過ごしていた。

 それが案外楽しかったのである。金のために始めたことだが、上手くいけば満足感もあり、どうやら性に合っていた。


「おぬしこそ、よく飽きもせずにここへ通って同じことばかり言えたものだ」


 呆れるほど、正治郎は諦めが悪かった。この数年、同じやり取りばかりを繰り返している。

 鉢植えに柄杓で水をやる東吾を、正治郎は縁側からキッと睨んだ。背中でそれを感じたからこそ振り返らない。


「何度でも申します。兄上、どうぞ家にお戻りください。久遠家は兄上が継ぐべきなのです」

「くどいな、久遠はおぬしが継げと申したはずだ」


 東吾は義弟を見ずに朝顔の葉が病にかかっていないかだけを気にした。そんな義兄に、正治郎はいつも騒ぎ立てる。


「しかし、それがしが兄上に勝っていることなど、ただひとつとしてございませぬ。血がすべてだと、そんな頭の固いことを兄上までもが申されるのはおやめください。家は、より優れた者が継ぐべきなのですっ」


 年が離れているせいか、正治郎は東吾に幻想を抱いているところがある。それは、昔の東吾が養子という引け目から、学問、剣術、と何かにつけてひたむきに取り組んでいたせいでもあった。


 一度ふと、肩の荷を下ろした時、己はそう立派な人物ではないのだと知った。本当は、剣術になど興味がなかった。学問も楽しくない。できれば誰にも会わずに一日を過ごしたいし、飯を食うのも面倒だと思う時すらある。


 生来、だらしないところがあったのだ。家を出てからそんな己を認め、随分と楽になった。正治郎には悪いが、東吾は正治郎の思い描く出来のよい兄ではない。


 正治郎はそれでも、来るたびにこうして同じことを繰り返していた。それを宥めすかし家に帰す。進んで久遠の家に寄りつこうとしない東吾を正治郎なりに案じ、理由をつけては会いに来てくれているのかもしれないが。


 そんな時、正治郎が立つ後ろの畳を老女が箒で掃き始めた。

 家を出るにあたり、それでも東吾は飯の支度も洗濯もできるわけではなかった。最低でも身の回りの世話をしてくれる女手が必要であり、この屋敷を買い取ってすぐ、口入くちいれから寄越してもらったのが、このふねである。


 六十も半ばを超え、そろそろ腰が曲がってきた。髪も白く、体は枯れ枝のように細い。けれど、筋の通った女人なのだ。

 息子夫婦に家のことを任せ、夫と共にのんびりとした隠居生活ではあるのだが、孫も手がかかるほどに小さくはない。することもなく家にいたのでは、嫁と衝突するだけだそうだ。それくらいならば、家計の足しにと働きに来てくれている。


 舟は、客人を前に掃除を始める。無作法ではあるが、最早正治郎は客と見なされていないというところだ。舟は通いであるのだから、いられる時には限りがある。早く掃除を済まさねばならない。長居する正治郎に付き合っている暇はないのである。


 にこりともせずに舟は畳を掃き続ける。

 正治郎はそんな舟が苦手であった。口先を尖らせ、埃で一度咳き込み、渋々立ち上がった。


「では兄上、また参ります」

「そうか」


 そんな暇があれば精進すればいいと思うが、偉そうな口を利けた身でもない。東吾はそれだけを言った。

 正治郎が帰ると、舟は深々と嘆息した。


「よく同じやり取りばかり繰り返せたものでございますね。聞いている私でさえ飽き飽きしておりますのに」


 舟のこうした遠慮のないところが、東吾は案外気に入っている。思わず笑った。


「いや、俺も飽きた。そろそろ勘弁してほしいところだが」


 余った桶の水をパッと庭先に撒く。夏の陽の光に、水の粒が煌めいた。


「家を出た兄に何をたのむのやら」


 すぐに諦めるだろうと思っていたのだが、思った以上にしぶとい。養父母はそんな正治郎を止めずにいるようだ。養父母は正治郎を通して東吾の暮らし向きを聞き、それなりに気にかけてくれているのかもしれない。

 己には過ぎたる親だと思う。


「正治郎様が卵をお持ちくださいましたから、夕餉にお出し致します」


 金に困ってはいないと言っているのに、何かと持ち込んでくる。朝顔ごときが大枚に化けるなど、信じ難いことであるのだろうか。



 その後、舟が夕餉の膳を用意してくれた。とはいえ、夕餉は軽めでいいと言ってある。

 冷や飯に溶いた卵をかけて食べた。あとは豆腐の味噌汁、枝豆の東煮あずまに、茄子の糠漬け。東吾自身が飯にはあまり関心がない。


 東吾が食べ終えるのをそばで待っていた舟が空いた膳を下げにかかった。舟は夕餉の後片づけをして家に帰る。

 そうして、また朝になれば飯を炊きに来てくれる。


 ところが、その翌朝のこと――。

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