角持つ民

鹿紙 路

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 私の一族は、氷河の下を通ってこの土地にやってきたのです。


 暖流の上から吹きつける風が、雪嶺にぶちあたって厚い雲となり、大量の雨と霧を降らし、苔と地衣類が覆う、濃い緑の豊かな森が広がる土地でした。魚や獣や鳥、漿果や球根をとって暮らしていました。


 

 あるとき南の平原から、一人の若者がやってきました。自分の一族が戦に負けて、命からがら逃げてきたというのです。気がつくと自分一人だけが生き残っていたということでした。

 私の一族は話し合い、若者に一つの試練を与え、それを乗り越えられれば一族に迎え入れると決めました。

 一族の最大の護り神は、この世を創ったというワタリガラスです。そのワタリガラスは、森の奥深くに棲んでおり、洞窟を守っています。一族がはるか昔に通った、あの氷河に続いている洞窟です。若者は一族の長老に尋ねました。

「その洞窟へ行って、置かれているつのを持ってくればよいのですね」

「そうじゃ、はるか昔に捨ててきた、氷河の向こうの土地に棲んでいた、おおきな獣の角を、わしらはあそこに置いてきてしまった」

 若者のたった一人の旅が始まりました。

 ハイイロオオカミやクズリ、ヒグマなど、初めて出会う動物をかいくぐり、折り重なる倒木をまたぎ、冷たい川を渡ってなんとか洞窟にたどり着きました。

 若者に、ワタリガラスはこういいました。

「ここを通すわけにはゆかぬ」

「なぜです」

「わたしの護ってきた一族が、はるか昔に捨てたものを、再び取り戻されれば、わたしがいる意味がなくなってしまうのだ」

「そんなことはないでしょう。わたしの見てきた限り、あなたは一族皆にとても大切にされていました」

 ワタリガラスの黒目がきらりと光りました。

「若者よ、人とはうつろい易きものなのだ。おまえがおまえの一族を、一瞬にしてうしなったように」

 若者は困り果てました。

 疲れ果ててもいました。

 彼の一族を滅ぼした衝動が、彼自身の体をも灼きました。そして弓矢を構えたのです。



 私の一族は若者を迎え入れ、角を手に入れました。しかし海は冷え、森は干からびて、いきものたちはこの土地を去って行きました。

 若者は、殺したくなかったと、ぼろぼろとなみだを零しながら死にました。

 けれど、私の一族は死にませんでした。

 角を取り戻し、おおきな獣となったからです。



 私の一族は、氷河の下を通ってこの土地にやってきたのです。

 あなたと同じように。

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角持つ民 鹿紙 路 @michishikagami

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