第14話 最終章 その後

近未来社会派小説


 飯田内閣の2期目の2年目。G7が大阪で開催された。本来は昨年の予定だったのだが、復興途上だったので、1年遅れての開催となった。大阪の地は、まだまだ大震災の爪痕が残っていたが、人々は以前と変わらずエネルギッシュに活動していた。大阪の活気が徐々に戻ってきたのである。G7のメンバーは、わずか2年でここまで復興させた日本と飯田総理をほめたたえていた。

 この数年間で世界は大きく変わっていた。まずはU国とR国の休戦状態だが、どちらの国も戦争を継続させる力はなく、2022年1月の時点の国境ラインに戻るということで、決着を見た。U国は国土を回復したが、R国から戦争賠償を得ることができず、EU各国やA国から支援を受けながらの復興が始まっていた。もちろん日本も支援金を拠出している。R国は経済危機に陥り、政権はいつ倒れても不思議ではない状況となっている。U国がNATOに加盟しないことを条件に終戦となったが、EU加盟までは阻止できず、R国の衛星国への影響力は小さくなってきていた。

 北方四島は、R国人の多くの不動産が日本人に売却され、賃貸で残るR国人もいたが、多くはR国本土へ移住していった。

 驚きは他にもあった。C国がT島を話し合いで併合をしたのである。T島政権がC国寄りになったということもあったが、T島の自治権を大幅に認めるということで、併合を成し得たのだ。これはC国がコロナ禍の影響とバブル崩壊で経済危機に陥り、武力行使をするだけの財力がなかったのが大きな要因だった。それだけに富裕層が多いT島から上がってくる税金は大きな魅力だったのである。T島支援を表明していたA国は、交易等が今までどおり、なんら大きな変更がないということで、T島周辺に配備していた軍隊をG島に引き揚げさせていた。沖縄のA国軍も多くがG島やH島に移動していった。それは、もうひとつの脅威となっていた北C国の政権が倒れ、K国に吸収されたからである。

 北C国の主席は病死と伝えられているが、はっきりとした病名は明らかにされなかった。主席の妹が実権を握ろうとしたが、高官たちはそれを阻止し、K国との対等合併を表明した。K国はA国の支援を受け、合併を受け入れたのである。K半島は統一されたが、K国にとっては経済危機からの脱出途中であり、統一により大きな負債を背負うことになったのである。K国人は統一を成し終えて大騒ぎだったが、政権中枢は喜んでばかりはいられなかった。

 日本にとっては、北C国に拉致されていた日本人が明らかになり、その多くが日本に戻ってくることができたのである。長年の懸案がやっと解決したのだ。

 G7の会議は戦争の危機を脱した安堵感で平穏無事に終わった。しかし、地球温暖化の問題はますます深刻化していた。地球の危機との戦いはまだまだなのだ。


 飯田内閣2期目も4年目となっていた。新年にあたり飯田は心に決めたことを秘して、主要閣僚と懇談をもった。最初は、小嶋教育大臣である。

「小嶋さん、お世話さまです。教育省は頑張っていますね」

「いえいえ、まだまだです。懸案の教育無償化がまだ残っています」

「でも、だいぶ進みましたよね。教材・教具は無償になったし、先日は修学旅行も無料になったじゃないですか」

「おかげさまで、予算をたくさんつけていただきました。でも、運動着や筆記用具などは、まだ個人負担です」

「それは消耗品ですから、仕方ないじゃないですか」

「仕方ないではすみません。せめて、最初の購入だけでも補助ができればよかったのですが」

「それにはさらなる予算づけが必要ですね。それとサポートスクールが機能してきましたね」

「先生方の努力のおかげです。個々の児童生徒を見つめることができるようになったのはすごい成果です。それに不登校児童生徒が8年前と比べると半減したんです。これ、すごいことですよね。自分で言うのもおかしいですが・・・ここまでうまくいくとは思っていませんでした」

「学校は楽しいところだ。と、子どもたちが実感してきたということですね」

「これって、きっと高校卒業後の職業選択訓練の影響だと思いますよ。自分の生き方を自分で決められるのだということが、子どもたちにも伝わったんでしょう。家に引きこもっていたのではうまくいかないというのがわかったんでしょうね」

「大学進学率が下がったとの報道がありましたが・・」

「8年前と比べると、2割下がりました。学生が集まらなくて閉学になる大学もあります。でも、淘汰されたという点ではいい傾向だと考えています。何の夢もなく、大学に入って自分が学んだことを活かすことができない職場に入って、若いうちに離職してしまうよりは、自分の夢をつかむ努力ができるわけですから、進学率の低下はプラスに考えています」

「小嶋さん、あと1年悔いのない仕事をしてください」

「3期目はないということですね。分かりました。あと1年頑張ります」


 次に懇談をしたのは、久保労働大臣である。

「久保さん、いつもお疲れさまです」

「私は鉄の女ですから、少々の疲れは気になりません。それより総理は働きすぎです。この1年間で何日休まれましたか? 土日もなしで働いていたのではないですか?」

「まる1日休みというのはなかったですね。でも、夜9時には寝ていますよ。料亭での会食というのはしませんから」

「総理のことを議員さんたちが何と言っているか知っていますか?」

「いいえ、何と言っているんですか?」

「ブルドッグです」

「そんな顔をしていますか?」

「顔ではなくて、ブルドーザーみたいに動くし、怒ると怖いというイメージらしいですよ」

飯田と久保は思わず笑ってしまった。

「ブルドッグは誉め言葉かもしれませんね」

と久保が言うと、

「見かけはブルドッグにならないように気をつけます」

と笑いながら飯田が返した。

「ところで総理。非就労者が1割いることはご存じですか?」

「先日、新聞で知りました。どういう人たちですか?」

「就職して、その職場になじめなくて離職した人たちです。職業選択はまちがっていないのですが、職場の人間関係に悩む人たちのようです」

「そのような人がいることは以前から言われていましたよね。パワハラなどのハラスメントをしている人たちはその自覚がなくても、されている人たちには強く感じるようですから何かいい手立てはないですかね」

「上司の評価やパワハラなどのハラスメントをした人を対象に特別研修をしているのですが、そういう人たちって、間違った正義を振りかざしている場合が多いんです」

「最近多いですね。間違った正義。自分は正しいと思ってやっているけれど、周囲の人からすれば迷惑なことなんですよね。それで、何かいいアイデアがありますか?」

「この前、サッカーの試合を見ていて思ったんですけど、イエローカードを導入しようかと思っています」

「イエローカード?」

「全員がイエローカードをもっていて、不快だと思ったら提示するんです。1回目は警告ですから、出された方は注意します。2回目は話し合いです。お互いに感じていることを話し合うのです。3回目は調停です。2人以上の調停員が立ち会って話し合いをします。それでも解決しなければ職場変更です。離職にはしません。要はコミュニケーションだと思うのです。今までは、一人で悶々としていて、突然離職というパターンがほとんどでした。話し合いをすれば、ほとんどのことは解決につながると思うのですが・・」

「そういう日本人であってほしいですね」


 3番目は村田外務大臣である。

「R国から帰ってきたばかりでお疲れでしょう」

「いえ、政府専用機を出していただき、飛行機の中でぐっすり休めました。交渉もうまくいきましたし、総理の忙しさから見れば大したことありませんよ」

「さっきも久保大臣から働きすぎと言われました。私はブルドッグなんだそうです」

「それ、聞いたことがあります。総理は怒ると怖いって・・」

「怒った時、怖くない人っていませんよね」

「今の人たちは怒られる経験が少ないから・・・褒められて伸びてきた人たちですから」

「我々は、今の人たちではないんですね。ところで、R国はトンネル工事をどう評価していましたか?」

「おおむね好意的です。ただ、自動車はカートレインになると言ったら、がっかりしていました。25kmのトンネルで渋滞したら大変なことになるのを理解してもらうのが一苦労でした。R国にはトンネル文化がないんですね」

「そう言えば、国土は平らだからな」

「懸案だった出入国エリアは日本側に決まりました。トンネルを過ぎたところで、パスポートチェックをします。と言っても電子化ですから短い時間で済むと思います」

「不正入国の心配は?」

「トンネル出口でセンサーでチェックします。座席にいない乗客はそこで分かります」

「U国の情報は入りましたか?」

「急速に復興の道を歩んでいます。親R国の人たちはU国から脱出してR国に移住したようです。それで、現地の衝突もほとんどありません」

「防衛隊の施設部隊も国連軍の一部として働いていますからね。無事に帰ってきてほしいものです。おとなりのK国はどうですか?」

「まだ混乱していますね。統一したものの経済格差がひどく、南に移住してくる人たちが多くて、安い住居が足りないようです。もっとも空いているマンションが多いので、マンション市場は値下げ競争が起きています」

「今度、国政選挙がありますよね。大丈夫ですかね?」

「半年後に国会議員選挙、1年後に大統領選挙があります。選挙制度を大きく変えて全国区のネット選挙になりそうです。昨年、日本の選挙制度を視察にきましたから」

「そうでしたね。私もインタビューされましたよ。今までどおりでは、北の人たちが多く当選して混乱するからでしょうね。C国はどうですか?」

「経済混乱からやっと脱却したというところですかね。軍事予算が限られているので、軍部の不満がたまっているのがやや不安です。でも、内政重視ですから他国には手を出さないでしょう。当分の間は心配ないと思います」

「B諸島の国連軍は仲良くやっていますか?」

「日本側は1年任期で、半年で半数入れ替えをしています。C国側は1年任期で一斉に交代するんですよ。ですから、慣れるまでには日数がかかっているようですが・・食事や運動施設は共用なので、比較的早く慣れるようです。面白いことに、日本語とC国語が使用禁止になっていて、使うと罰金ならぬ1ドル募金だそうです。最初の1ケ月で1000ドルぐらい貯まるそうですが、共通語の英語の実践になると隊員は言っていましたよ」

「宿泊も一緒なんですよね」

「はい、日本C国同一の部屋です。国連軍ですから」

「日本とC国の友好の第1歩ですね。ところで募金は何に使われるのですか?」

「食事の特別メニューになるそうです」

「それはいい。ところで他の国で気になるところは?」

「ひとつあります。I国とP国の国境紛争が激しくなっています。小競り合いが続いています」

「以前からもめていましたよね。どちらも核保有国ですから、自重してほしいのですが・・」

「主にP国が手出しをして、I国が受けているという図式です。E国が調停に入ろうとしていますが、P国がなかなかうんと言いません」

「E国はI国の元宗主国ですが、P国はE国とは関係ないので、E国の言うことは聞かないでしょう」

「総理、私が調停に乗り出してもいいですか?」

「村田さんがですか?」

「私の任期もあとわずかです。最後の花道だと思っているので、ぜひ、やらせてください」

「後1年で辞めるつもりですか?」

「当初は4年の約束でした。でも、なんだかんだで倍の8年になりました。引き際は肝心ですよ」

「わかりました。村田さんの思いでやってください。バックアップしますよ」

「ありがとうございます」


 翌日、飯田は経済5閣僚と懇談をもった。

「皆さん、今年もよろしくお願いします。おかげさまで、日本経済は回復傾向にあります。これからは、たまりにたまった国債を減らしていく緊縮財政を強いられますが、民力が高まれば、それも可能です。今日は、皆さんの夢をお聞きしたくて集まってもらいました。では、荒木経済金融大臣からどうぞ」

「あら、私が最初ですか? 私は皆さんの夢を聞いてから発言したいと思いますので、レディファーストで山木商業流通大臣から話をしていただきたいのですが・・」

「そうですね。荒木さんは取りまとめ役ですから最後がいいかもしれませんね。では山木さん、商業流通省もだいぶ活躍しましたね」

「やっとというところです。シャッター商店街の整理がやっと終わったというところです。例の空き家対策事業を使って、商売をしたい人たちが格安で店をもてるようにしました。そして来客者だけを相手にするのではなく、ネット通販をするように仕向けました。高齢者の方々はなかなか難しくて、結構時間がかかりましたが、若い人たちはさすがに対応が早かったですね」

「それだけではないですよね」

「お客さんを呼び込む工夫が必要でした。活用のしようがない空き店舗は撤去して、商店街共有の駐車場にしました。商店街に行きたくても、車だと行けないという声がたくさんあったからです。それと皆さんは気づいていましたか? お茶やコーヒーが飲める店が増えたと思いませんか?」

「そういえば、喫茶店ではないのに、コーヒーコーナーがある店が増えましたね」

「そうです。料理を出すわけではないので、食中毒予防の簡単な講習を受けるだけでコーヒーやお茶菓子を出せるようにしました。例えば、洋服屋さんなのに、店の一角に4人がけのテーブルがあるという感じですね。すると、観光客だけでなく、地元の人たちも集まってお茶のみをしているんですよ。7年前に商店街を調査した時に、気楽に入れる喫茶店がない。という声があったんです。都会には喫茶店がありますが、地方に行くとホントに少ないんですよ。あったとしても入りにくい店で、長居できる感じではありませんでした。そんな時、私の地元の近くにある蔵の町に行ったんです。そこもシャッター商店街だったんですが、その中に陶器屋さんなのに、コーヒーを出してくれる店があったんです。隣の酒蔵でもお茶が飲める。時計屋さんでもコーヒーが飲める。元々は、観光客向けの土日だけのサービスだったということですが、平日にしたら地域の人たちが誘い合ってくるようになったそうです。洋服屋さんだったら、洋服を見に入ったついでに安くコーヒーも飲める。というその気楽さがいいんでしょうね。今では地元のおばちゃんやじっちゃんたちのくつろぎの場になっていますよ」

「地方と都会の給与格差が少なくなって、地方に移住しようという人も増えたからでしょうね」

「それもあります。また出社しなくてもテレワークができる人が増えたからでしょうね。地方経済の落ち込みは回復傾向です」

「ところで、山木さんの夢は?」

「それは流通のハブ化です。西日本大震災で一時ストップしていましたが、博多港には多くのコンテナ船が集まってくるようになりました。シンガポールにはまだ及びませんが、その差はだいぶ縮まってきました。博多港の躍進は日本の良さをアピールして、確実な仕事をするという評判が広がったからです。航空貨物も成田の24時間化で貨物便は深夜帯に離着陸できるようになりました。成田もK国のI空港を抜く勢いです」

「いずれトップになるかもしれませんね。楽しみですね」

「はい、見ててください。次は矢部工業大臣が話したいみたいですよ」

「お待たせしました。矢部さん、お願いします」

「山木さんのがんばりには頭が下がります。工業省は国民にアピールする派手さがないのですが、懸案の労働力の確保は久保労働大臣とも協力し、だいぶ改善されました。過去には工場勤務は3K(きつい・きたない・危険)というイメージがありましたが、今ではそんなことはありません。2時間勤務すると1時間の休みがあり、1日6時間労働が基準になっています。資格を取ると手当も増えるということで、離職する人が減りました」

「半導体などの自給はどうなっていますか?」

「輸入量は7年前の半分になっています。国内生産が増えています。半導体だけでなく、鉄鋼業も回復基調です」

「それはよかった。日本の良さはきめ細かい工業力が生命線です。ぜひ伸ばしてください。ところで、矢部さんの夢は?」

「実は、自分の趣味でもあるのですが、モータースポーツをもっと広げたいと思っています。T社の社長ともよく話すのですが、日本の自動車工業は世界トップクラスです。でも、モータースポーツは危険・不良がするスポーツというイメージが残っています。現実はそんなことはないのですが、新聞やTVで取り上げられることが、とても少ないんですよ」

「先日、愛知でやっていたWRC(世界ラリー)をTVで見ましたよ」

「T社の社長の肝いりでやっているレースです。スペシャルステージは有料なんですが、リエゾン区間は一般車と一緒なので、マラソンや駅伝の応援のようにカメラを構えたファンがたくさんいますよ。モータースポーツのファンは結構いるんですよね」

「そういえば、以前アメリカのインディアナポリスに行った時に、例のインディ500のサーキットに平日に行くと、サーキット中央の駐車場まで無料で入れたんですよ。そこでは白髪の老人たちが古いクルマで走行会をやっていたんです。あのインディ500のサーキットのコースでですよ。アメリカのモータースポーツのおおらかさを感じましたね」

「総理、私が目指すのはそこなんですよ。気楽にモータースポーツが楽しめる。そういう文化をつくりたいんですよ」

「何かいい手立てはありますか? レースカーは高いですよ」

「今、宮城にあるSサーキットでおもしろいことをやっています。普通の車を使ったオリエンテーリングラリーです」

「何ですか、それ?」

「サーキットが広いので、車を使ってオリエンテーリングをするのです。ポイント制なので、スピードはあまり関係ありません。サーキットのコースを一部を走ることもできますが、時速100kmを越して走るとペナルティになるのです」

「おもしろそうですね。私もやってみたくなりました」

「他のサーキットでもやる動きがありますので、底辺が広がってくれればと思っています」

「自動車大国と言われますが、自動車文化は幼稚園並みでは悲しいですもんね。矢部さん、楽しみにしていますよ」

「たとえ大臣をやめても、私のライフワークでやっています。次は、田嶋農林大臣が話したいようですよ」

「それでは田嶋さんお願いします」

「お二人の話を聞いていて、うらやましく思っていました。農林省の仕事はその点地味ですからね」

「いえいえ、農林業は日本の根幹です。自給率アップしたじゃないですか。すごいことだと思いますよ」

「確かに自給率はアップしました。しかし、農家は少なくなりました。今では、ほとんどが農業会社ですよ。効率や後継者のことを考えると、個人経営では成り立たない時代になりました。以前、視察したアメリカの農業に近くなってきました。いいようで、何か落とし穴がありそうで怖いです」

「田嶋さん、考え過ぎじゃないですか? 災害補償も完備されましたし、不作の年でも8割は補填されるわけですよね」

「実はそこが心配なんですよ。自分の責任じゃなくて、会社の責任に転嫁できるじゃないですか。自分で生産している意識が少なくなっているんじゃないかと思うんですよ。前は道の駅の直売場で生産者の顔写真がはいったパッケージとかありましたけれど、今は皆無に近いです。生産者の顔が見えないんです。なんか信用のおけない農産物が増えたような気がします」

「確かに田嶋さんの言うとおりかもしれませんが、経費のことを考えたら大規模農業も仕方ないんじゃないですか?」

「そこで、考えたんです。品評会をやろうと思っています」

「今でも品評会はありますよね。どう違うんですか?」

「今までは、専門家が審査員でした。そうじゃなくて、一般消費者がコスパや新鮮さを商品のQRコードで投票するんですよ。するとランキングや地域別の人気度がすぐに分かるんですよ。こうなったら生産者も気が抜けませんよ。いい加減なものは作れなくなります」

「まるでネット投票ですね。おもしろくなりそうですね」

「農林省も少しは目立ちたいですから・・・次は中山水産大臣ですね」

「中山さん、とてもお待たせしました。水産省も忙しかったですね」

「はい、この7年間、大変でした。燃料代の高騰で、漁にでても赤字になってしまう船が多くなりましたし、魚の値段が高くなり、消費者の魚離れにつながりました。処理水の風評被害もありましたしね。そういう状況から始まったので、アイデアマンが必要でした」

「例のアレですね」

「はい、防衛省からソナー付きの偵察機を払い下げてもらい、防衛隊の基地に置かせてもらいました。それで、漁の時期になると、その偵察機で魚の群れを探知してもらったんです。その情報を各港に流し、漁船に情報提供をしました。漁船は魚を探す苦労から解放されたので、少ない燃料で大量になるわけですから黒字になる船が増えました。偵察機さまさまですよ」

「私もその話を始めて聞いた時は、目を丸くしました。潜水艦探査の偵察機が少しの改造で魚群探知偵察機になるわけですから、考えた人はすごいですね」

「普段セスナに乗っている人で、たまたま見た魚群が印象に残ったんだそうです。我々にとっては恩人です」

「実は、あれ魚群探知なのですが、潜水艦探査もやっているんですよね」

「エッ! そうなんですか? だからあんなに安く払い下げしてもらえたし、パイロットも防衛隊OBなんですね」

「ここだけの話にしておいてくださいね。ところで、これからの水産業はどうなりますか?」

「急速冷凍の技術が発達してきていますので、取れたらすぐに急速冷凍すれば味は新鮮そのままです。そうすれば、魚を安く提供できます。回転寿司やスーパーの鮮魚コーナーは人気がありますから、魚の消費は回復すると思います」

「魚屋さんは?」

「魚屋だけではやっていけない時代になってしまいました。そこで、ショッピングモールやスーパーへの出店をすすめてきましたが、廃業した店も多いのです。ただ、移動販売が増えていて、週に一度くる魚屋さんは結構人気があるみたいです。もちろん売っているのは魚だけじゃないですけどね」

「世の中変わってきていますね」

「その変化に対応できた人だけが生き残れるんですよね」

「それでは大トリ。荒木経済金融大臣お願いします」

「皆さんのお話を聞いていて、日本経済は皆さんのおかげで成り立っているんだな、と実感しました。ありがとうございます」

「荒木さん、それは私のセリフですよ」

という飯田の発言で、皆和やかな顔になった。

「経済金融省も苦難のスタートでした。コロナ禍・円安・U戦争といった経済に響くことが目白押しでした。まずは経済を回さなければいけない。ということで、コロナが流行することも覚悟の上で、経済を動かしました。保健所からは、さんざん嫌味を言われましたが、なんとか乗り切ることができました。円安は、総理が率先して日本の企業力の回復に立ち向かっていただいたので、安かろう悪かろうのイメージを払拭することができ、円の価値がもどってきました。U戦争も休戦になり、少しずつ流通が回復してきたのは好材料でした」

「あの頃は大変でしたよね。そこで、荒木さんは切り札を切ったんですよね」

「切り札ってわけじゃないですけれど・・・入札制度の改革です。それまでの入札は大手が入札して、それを下請け・孫請けに回すというものでした。安く入札して、それ以下で下請け・孫請けに回す。自分たちはピンハネをして何もせずにボロもうけという実態でした。これでは中小企業はたまりません。過酷な労働環境になっていたのです」

「つぶれた業者も結構多かったですね」

「はい、そうです。ですから失業・倒産を少なくするために、最低価格での入札ではなく、指定の価格で入札をし、複数企業が応募した場合は、抽選制にしました。入札した企業が下請けに回した場合は、以後の入札に参加させない。そして一度抽選にあたった企業は次回の入札には参加できないということにしました」

「大企業はびびりましたよ。実働部隊が社内にいないので、入札できなくなる不安が大きくて、下請け企業を参加に引き入れましたからね」

「地方自治体の入札については、県内に本社がある企業が対象でしたから、同じ会社なのに各地に本社ができたのには笑ってしまいましたね。でも、中小企業はピンハネなしに仕事がとれるようになって、失業・倒産は極端に減りました」

「金融にも大ナタをふるったじゃないですか」

「そんな大それたことじゃないですけれど・・金利の利率の値上げをしただけです。外国よりも金利の利率が低くて、日本への投資が少なくなっていたので、それを外国並みにしただけです。中央銀行からはだいぶ抵抗されましたけれど・・・」

「国債の償還は大変だったでしょう」

「金利の利率を上げた分、最初は大変でしたが、新しく国債を購入する投資家もいて、結果はトントンじゃないですか。中央銀行だけが国債をかかえていては、国の信用に関わりますから」

「確かにそうですね。荒木さんの夢は何ですか?」

「私の夢ですか? そうですね。政界からはちょっと身をひこうかと思っています。学者の方が気楽ですから。経済って紙ヒコーキみたいじゃないですか?」

「紙ヒコーキですか?」

「紙ヒコーキは飛ばしても、風に恵まれなければ失速し、うまく風に乗れば上昇する。経済も政策をだしたからといって、それが必ずしもうまくいくとは限らないじゃないですか。ですから、私でなくても大臣はできますよ」

「そんなことはないですよ。我々経済閣僚は、荒木さんだからついてこれたんです」

と一番うるさかった田嶋農林大臣が声を発すると他のメンバーも

「そうだ。そうだ」

と同調を示した。

「あら、うれしいこと。その言葉だけで気持ちよく引退できるわ」

と言って、荒木はメガネをとって、目頭をふいていた。それを見て飯田が、

「皆さん、あと1年はこのままです。でも、その後はわかりません。ぜひ、悔いのない1年にしてください」

その言葉を聞いて、5人は同じことを思った。(飯田さんは勇退する気か?)と。


 3日目は、まず大貫少子化対策大臣と懇談した。

「大貫さん、今年もよろしくお願いします。少子化対策はどうですか?」

「おかげさまで、最新データでは出生率は1.5人を超しました」

「だいぶ上がってきましたね」

「児童手当の増額や、就業保証が効果的でしたね。でも、一番効いたのは独身税でしょうか?」

「あれは強烈でしたね。翌年の婚姻数は令和になって最高でしたからね」

「年収1000万円の30才以上の独身者は400万円の税金が取られるんですから、たまったもんじゃないですよね。私のところには脅迫状は何通も届き、大変でした」

「でも、今は落ち着いているんじゃないですか?」

「結婚はいいもんだと思う人が増えたんですよ。一人で暮らすより、家族がいる良さの方が勝ったんでしょう。まあ、自然の摂理ですけどね」

「このまま出生率が上がってくれればいいですね」

「上昇傾向なので、しばらくは様子見ですね。一気には上がりませんから」

「長い目で見るしかないですね、ところで、大貫さんの夢は?」

「私の夢ですか? 少子化対策が私のライフワークですから、今後も続けていきますよ。大臣でいるかは別としてカウンセラーとしてもやっていけます。赤ちゃんの顔を見ていると幸せになりますから。総理もお孫さんの前ではデレーとしているじゃないですか」

「この前、週刊誌に撮られたんです。タイトルが(にやけたブルドッグ)ですよ」

「私も見ました。思わず笑ってしまいました。どうもすみません」

「大したことではありません。今後もよろしくお願いします」


 次に、千葉財務大臣と懇談をもった。

「千葉さん、いつもお疲れさまです。来年度の予算編成もなんとか終わって、いよいよ国会審議ですね」

「はい、来年度から緊縮財政が始まりますから、省庁の抵抗があって大変でしたが、まずは原案ができました」

「でも、防衛予算がGDPの1%に抑えられるようになりましたから、その分、他に回せるようになったのはよかったですね」

「総理や外務大臣の働きのおかげで、周辺諸国からの脅威が少なくなったことは大きいですね。A国から役に立たない兵器を購入しなくて済みますから・・」

「それを言うと、防衛大臣が怒りますよ。役に立たない兵器でも持っていることが大事だと言われますから」

「そうでしたね。防衛大臣の口癖。見せる防衛ですからね」

「ところで、税収の方はどうですか?」

「はい、所得税・法人税・物品税は順調に伸びています。景気がよくなっている証しですね。独身税だけが減っています。まあ、うれしいことなんですけどね」

「先ほど、大貫少子化対策大臣と話したのですが、独身税のおかげで出生率が上がったと言っていましたよ」

「元々は、大貫さんの発案でしたが、私のところにも脅迫状がいっぱい届きましたよ」

飯田は、思わず吹き出してしまった。

「大貫さんのところにも脅迫状がたくさん来たそうですよ」

「でしょうね。でも、独身よりは家庭をもつ方が自然なんです。今はこないですよ」

「そうですね。ところで、千葉さんの夢は?」

「私の夢ですか? 今は予算がとおることしか考えていません。必ず、どこかに修正が入りますから、その時にあたふたしないことですね」

「まさに税制の神だけでなく、財務の神さまですね。よろしくお願いします」

「こちらこそ、総理にも質問がいっぱいきますから・・」


 飯田は、最後に浅川防衛大臣と懇談をした。

「総理、先ほどクシャミをしたのですが、私の噂をしていませんでしたか?」

飯田は肩をすぼめ、

「すみません。財務大臣と予算のことで話をしていました」

「財務大臣と話をしていたんですか。それでは無理もない。来年度は大幅減額ですからね。私もずいぶん抵抗したんですけど・・・」

「聞きました。でも、必要経費は確保できたんですよね」

「まあ、最低限は確保できました。ミサイル開発費は棚上げになりましたけれど、宇宙戦争でも起きなければですが・・今のところは不要ですね」

「宇宙人が攻めてくるんですか?」

「可能性はありますよ。NASAでは専門分野を創設したそうです。防衛隊も宇宙監視部隊をもっていますから・・」

「そうでしたね。ところで、隊員の士気はどうですか?」

「旺盛ですよ。先日も災害出動で新潟に雪かきに行きましたよ」

「浅川さんもスコップを握ったとか・・?」

「1日だけね。予算が決まれば大臣はヒマですから、たまには体を動かさないと・・」

「ところで、今日は浅川さんに折り入ってお願いがあります」

「どうしたんですか? そんなに改まって」

「来年、私のあだ名ブルドッグを継いでもらえませんか?」

突然の申し出に浅川は言葉を失った。しばらくたって気を取り直すと

「そ、それって来年で引退するということですか?」

「はい、そのつもりです。この8年、がむしゃらにやってきました。そろそろエネルギーがきれてきました」

「そんな、まだ68才でしょ。あと1期はできるでしょう」

「人間は引き際が大事ですよ。長く続ければひずみも出てきます。いい時もあれば悪い時もあります。次の国難がきた時に、私がその任にあたれるかどうか疑問です。例えば、本格的な南海トラフがきたらと思うと、私には不安しかありません」

「それは私も同じですよ」

「でも、私より若いし、エネルギーもある」

「4才若いだけですよ。それに、旧与党出身の私でいいんですか?」

「政党うんぬんを言う人はもういないでしょう。政党を解散してもう7年。国会議員の人たちも個人の力でがんばっています。私たちが目指した政治改革は軌道に乗ったんです。数の論理ではなく、理の論理の政治。これだけでも、私の使命は終わったのかもしれません」

「確かに、政治とカネを切り離したことは大きな価値がありました。政治家の不正が減りました。大企業も献金ができなくなった分、経営に回せるようになったと、ある社長さんが言っていました。それに、選挙にお金がかからなくなったので、それもプラスになりましたね。最初は、こんな人が立候補するの? と思いましたが、この前の選挙では本当に事情通の人や経験を活かした人たちばかりでしたからね」

「ネット選挙だから、顔を売るってできないじゃないですか。口先だけの人は、何もできずに1期で終わってしまいますからね」

「2世・3世議員は極端に少なくなりました」

「そのかわり、政経塾出身の人が多くなりましたよね。そう言えば、浅川さんもM政経塾の出身ですよね」

「昔の話ですよ。あの頃は、日本を何とかしなければいけないという思いでいっぱいでした」

「その仕上げに来年よろしくお願いします」

「総理の思いはよく分かりました。即答できることではないので、しばらく考えさせてください」


 それから1年後、飯田は引退した。周りのみんなから惜しまれながらの引退だった。多くの国民が再選を願ったが、

「引き際が大事です。私の役目は終わりました。後は、若い人に託します」

という言葉を残して官邸を去っていった。

 首相には浅川が選出された。圧勝だった。

「飯田路線を引き継ぎます。これからも日本の良さをもっとアピールしていきます」

という強い言葉で、日本の未来を大事にする姿勢を見せた。内閣はほとんどが入れ替わったが、少子化対策大臣の大貫だけは留任となった。まだ仕事なかばと浅川も感じていたからである。


 3ケ月後、飯田が亡くなったことが新聞の一面に載った。敗血症だった。首相在任中から病気と闘っていたことが明らかになったのだ。そして、葬儀は身内だけでするように言い残していた。国葬という話もおきたが、飯田の意志を尊重して簡素に地元大阪の斎場で浅川首相主催のお別れの会が開催された。読経も弔辞もなく、飯田の遺影の前に献花するだけの会であったが、1万人近い人が訪れた。一様に、目に涙を浮かべ、

「いい人は早く亡くなるのよね。まだ69才で残念だね」

「エネルギーを使い果たしたんだよ。お疲れさまとしか言いようがないね」

などの言葉が聞かれた。浅川は、その人たちに頭を下げながら自分が背負った重圧を感じ取っていた。

「飯田さん見ていてください。あなたが作ろうとした日本を私も目指しますよ」


                完


 あとがき 

 最後まで読んでいただきありがとうございます。初の政治ものだったので、だいぶ悩みながら書きました。書くことにしたきっかけは某宗教団体が選挙活動に関与したということが報道されたことでした。それで、それまで自分が疑問に思っていたことを元にして書いたものです。

 関連作品で「韓国脱出」というのがあります。北C国がK国に攻め込んできて、在留日本人が韓国を脱出するという小説です。興味があったら読んでみてください。

 次回作は、レース小説第2弾「SUGOラリー」です。クルマ好きの方は読んでみてください。                     飛鳥 竜二



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