3-8.少し、遠い
※ ※ ※
黒と深緑が特徴的なラチネ織りのブラウスに、幾何学模様の刺繍がなされたベルト。灰色の
ストッキングを着用しているとはいえ、慣れない洋装に
現在の時刻は
(変ではないかしら)
隣に座り、無言で前を見据えている
彼も今回はスーツを着ている。コートとソフト帽を見事に着こなす
「あなたさま……お疲れ、でしょうか?」
「ああ、いや。慣れない服を着ているからかもしれない」
「あなたさまも?」
「なるほど。というからには、君も洋服が苦手と見た。すまない、付き合わせてしまう」
「い、いいえ。確かに、あまり落ち着きませんけれど……」
ふゆ
「
「今回ばかりはふゆ
「そうなのですね」
「……それにしても少し、驚いた」
「何がでしょう?」
「洋装のことだ。君は、その、和服しか持っていないのかと」
「姉がくれたものなのです。似合わない気はしていますけれど、役立ってよかったです」
「そんなことはない。普段より、なんというか……大人びて見える」
「あ、ありがとうございます」
ふんわりと微笑まれ、
森の中を行く馬車は坂道を降りていく。
帝都の世相を反映する
ヤナギの街路樹が風にそよいでいる。賑やかな煉瓦街は、銀座の様子を模していたのだろうか。相変わらず
しばらくして、停留所に馬車が止まった。
「ここからは少し歩く」
先に降り、駄賃を払う
路地に入れば、遠目からでもわかった。
「これならば確かに、海蜘蛛が困るのも無理はないな」
「お店が見当たりませんね。カフェなどがあっても、おかしくはないと思ったのですけれど」
「そうだな。海蜘蛛に話を聞きに行こう。彼は
「はい、お供します」
「わああっ、止めてくれ! 暴走だぁっ!!」
「え……」
瓦礫を壊すような音が聞こえる。とっさに振り返れば、
「あ、っ」
何かに押された
「お嬢さんっ、逃げとくれぇ!」
蜘蛛の瞳に込められた、悪意。そして殺気。動けない。
「
「あなたさま……っ」
「
叫び、大の字に手足を広げた瞬間だった。手のひらから放出された緑のまたたきが蜘蛛を包んだ。瞬時に勢いが止まる。
あと少し、僅か
「せ、
蜘蛛が引く車に乗っていた青年は、顔を青ざめさせて車体から飛び降りてくる。
「……無事か、
「は、はい。申し訳ありません、あなたさま」
振り向いた
青い短髪にスーツ姿の青年が、
「すんません、
「海蜘蛛の
「へい……最近、
「愚か者! 被害が大きくなったら、どう責任をとっていたと言うんだ!」
何事かと表通りから、そして無事だった路地のあやかしたちが、怪訝な様子で
「君が酒をあおりたい気持ちはわからないでもない。だが、もし……」
細められた瞳が
これ以上、衆人の前で、住人を
「……もういい、
「け、けども」
「
「へ、へい! そりゃもう」
涙を浮かべた
「すまない、危ない目に遭わせた。周囲の様子を確認したいから、君はここで待っていてくれ」
「わかりました、あなたさま」
無表情のままに答え、
遠くの路地の角、石造りの家屋が見事に半壊していた。街灯も折れ、鬼火が青白い炎を爆ぜさせている。
(何かに押された気がするのだけれど……)
残された
丸眼鏡をかけた女生徒――小さなキツネの尾と耳を持つ少女が、足首を押さえて横座りしている。逃げようとして転んだのかもしれない、と
歩道を渡り、井戸近くの隅にいる少女へと近付く。
「大丈夫ですか? 怪我をなさったのですか」
「うん。足、ひねっちゃって……ってなんだ、人間か」
あからさまに諦観する少女に、それでも
「少し、足を動かさないで下さいね」
「え……あ、ありがと……」
「どういたしまして」
多少赤くなっている部分にハンケチを当てれば、心地いいのか少女が吐息を漏らす。
「
「あなたさま。この子が怪我を」
人混みを掻き分け、こちらへ向かってきた加賀男に「わっ」と驚いたのは、少女だ。
「
「え、ええ。多分そうではないかと」
「他にも数名、軽い負傷者がいる」
「どうしましょう……」
「こういうときこそ、
加賀男が二度、
「
彼が片手を上げた、刹那。
細かい金箔にも似た光が、周囲の空から降り注ぐ。あやかしたちから歓声が上がった。金箔のまたたきは少女の足にもぴたりと張り付き、体に浸透するように溶け消える。
「この輝きは……?」
「あやかしの持つ
「あ、痛み楽になったぁ」
「完全な治療ではない。家に帰り、養生することだ」
「ありがと、
今にも飛び上がらんとする少女に、
(わたしが
あやかしたちに囲まれ、礼をいわれている加賀男を見て強く、感じる。
(当たり前がわたしにもできたらいいのに)
無力感はしかし、表情を動かす糧とはならない。少女からハンケチを返してもらい、ただ、みなから慕われる
彼が少し、遠い――そんなことを感じたのは、なぜだろう。
答えも出せぬまま、微笑を浮かべる
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