3-9.今日の月も美しい
……
今は新月を越えて、
こういう夜は少し苦手だ。
唇に指を当て、自室の縁側に腰かけつつツバキを目で愛でた。
「あのとき、わたしに口付けをしたのは誰なのかしら……」
最近、よく昔の件を考えるようになった。
「こがねは何か知ってる? わたしが伏せる前からあなたとは友達だったじゃない」
友人は器用にも片目だけを開けると、猫のように頭を擦りつけてくる。
「あなたの言葉がわかればいいのに。まだ花とも話すことはできないし、難しいわね」
こがねを撫で、
ツキミと共に屋敷の掃除や洗濯などを終え、現在、
「本当、何もできないのね、わたし」
帯から淡く光る懐中時計を取り出し、見つめる。
「これが悲しい、のかしら。虚しいということなのかしら」
疑問に対する応えなどどこにもなく、もう一つ嘆息した。
時計を帯に挟み、かぶりを振る。
「今からお
こがねは眠っているのかぴくりともしない。道具箱から
彼との関係は平行線だ。式を挙げることもなく、他の
「わたしはどうしたいのかしら。
子を産む器で、飯炊き女で、それでいいと思っていた。
だが、なぜか
優しい彼のことだ、
「でも、甘えていてはいけないわよね」
せめて他の
「痛っ……」
ぼうっとしていたせいだ。指に針を刺してしまう。
針を置いて人差し指を見れば、ぷっくりと赤い血が玉になっていた。
こがねが何事か、といった様子で首を上げる。
「今、何か聞こえたが」
「いいえ、あなたさま。気になさらないで下さい」
「……入るぞ」
言うが早いか、普段着の
膝元にいるこがねを見てか、
「こがねもいたのだな。その指はどうした」
「あ、いえ、少し考え事をしておりまして」
すぐ側に膝をつき、目ざとく指先を見た
「指を貸してくれ」
「大丈夫です、このくらい」
「いいから」
有無を言わせぬ声音に、
「あ、あなたさま」
ぞくりと、何か形容しがたい感覚が、背筋を伝う。
「……これで、いいな」
指が口から離れた。顔が熱い。体も。全身が熱を帯びた早鐘になったかのようだ。
「ありがとう……ございます」
「俺の手拭いをつくろってくれていたのか」
間近な距離で、
「はい。まだほとんど、できてはいませんけれど」
ようやく手を離され、
「縫い物は急がなくても構わない。どうだ、散歩でも行かないか」
「お散歩ですか?」
柔和な声音にそっと、顔を上げる。
背筋を正し、多少距離を取った
「手紙を出しに、
「あの、ツキミさんは……?」
「知らぬ間にせんべいを食ったらしい。今は眠っている」
「ツキミさんが寝てらっしゃるというのに、わたしがお屋敷を離れていいのでしょうか」
「最近、君は念話と家事で忙しかっただろう。少しは休息するべきだ」
「……はい。そこまで仰って下さるなら」
「こがねもいる。心配することはないだろう」
「それでは身支度を」
「気張ることはない。ほんの少し、山の方へ行くだけだ。道も舗装されている」
「わかりました。無作法にはならないようにしますね」
「無作法をするのは
うなずけば、
「お留守番をよろしくね、こがね」
首をもたげたこがねに告げ、
「手を、貸してくれないか」
左手を差し出し、
手を握られただけなのに、
(
思う
「今日の月も、美しい」
「そう、ですね。細いけれど、本当に……」
動悸がひどい。胸が脈打ち、今にも飛び出しそうだ。体のほてりはやむことを知らない。
病は、日に日にひどくなっている。治らない、医者にも治せない病が。
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