4-3.裏切らないと。誠実であると。幸せにすると。

 遅れたというのに、ふゆは堂々としたものだ。しかも彼女は真鶴まつるに見向きもせず、ハナミの横へとしとやかに座る。


「よくも遅刻して、悪びれた様子一つもないもんだねぇ」

「女には支度がかかりますの。それを捨てたハナミ、あなたにはわからないでしょうけど」

「減らず口を叩くもんだ。今ここで食ってやってもいいんだけど、オレは」


 にたり、とハナミは笑う。長い犬歯を剥き出しにするように。


 二人の険悪な情調を止めたのは、誰でもなく加賀男かがおだ。


「そこまでにしろ、二人とも。よく来た、ふゆ

加賀男かがおさまのためならば」


 嬉しそうに微笑むふゆに、唾を吐きかけるような勢いで、らんは忌々しげな表情を見せた。


「貴様は相変わらず無作法な蜘蛛だな。星帝せいていさまを名前呼びなどと」

「禁則事項ではございませんでしょうに。犬神、あなたはただ、羨ましいのでは?」

「小娘程度が……」


 らんがこぶしを握り締めたのを、真鶴まつるは見る。今にも一触即発といった雰囲気だ。


「落ち着けといったはず。ここで殺気を出すことは禁じている」

「ほんに、ほんに。まっこと穏やかではないのォ」


 加賀男かがお銀冥ぎんめいの言葉に、三者の間に流れた敵意のようなものが消え去っていく。


 肩を軽くすくめたふゆが、笑みを浮かべたまま口を開いた。


「それで? 話はどこまで進みましたの?」

「人柄か、能力か、よ。あの娘、花と念話まではできておる」

「ま、いつの間にかしら。……ですが長雅花ながみやばなはまだ、咲かせたとは聞いてませんわね」


 流し目で見つめられ、真鶴まつるはそれでも背筋を伸ばしたまま、視線を受け止める。


 冷たい瞳だった。憎悪も怨念も通り越し、無価値なものを見るような目だ。


(これならまだ、前の方がましだったかもしれないわ)


 背筋が自然と総毛立つ。だがここで、弱い自分をさらけ出すにはいかない。手の震えをこらえ、なんとか微かにうなずいた。


「ふゆさまの仰るとおりです。長雅花ながみやばなは未だ咲かせられておりません」

とおの頃合いだったな、確か。裏華族うらかぞくのものが祝貴品しゅくきひんを生み出せるようになるのは」

「はい、らんさま。そのとおりです」

「アンタは十八だっけか。オレたちにとって八年ってのは短いけどさ。人の身なら長く感じるくらいの年月だよなぁ」

「この先、開花させられるか否か。中途半端なものを星帝せいていどのの側に置くわけにはいかぬのよォ」


 銀冥ぎんめいが天を仰ぐのを見て、真鶴まつるは膝に置いた手を軽く、握る。


 やはり、長雅花ながみやばな――祝貴品しゅくきひんを作り上げることができていない自分は、加賀男かがおと共にいられないのか。


 歯がゆさに、唇を真一文字に結んだ、そのとき。


「長い目で見守る、というのも必要なのではありませんの? 真鶴まつるさんは人の子なのですもの。わたくしたちと時の流れが違って当然」


 助け船を出したのは、誰であろうふゆだ。


 突然救いの手を差し伸べられた気がして、真鶴まつるは思わず目を見張る。


「期間を設けて、それまでに長雅花ながみやばなを開花させることができたなら。皆さまも納得するものだと思いますわ、わたくし」

「期間、か。なるほど。珍しくまともなことをいうな、土蜘蛛」

「ふむん、それであるならば。まあ、許せるであろうか」

「どうしたの、アンタ。ずいぶんしおらしいじゃないのさ」


 らんと銀冥ぎんめいがうなずく中、怪訝な顔でハナミが疑問をぶつけた。


「失礼な夜叉鬼やしゃおにですこと。わたくしはただ、加賀男かがおさまの幸せを願うだけ」

「さて、どうだかね」

「期間はまた後で設けるとして」


 ハナミを無視したふゆが、真鶴まつるを見つめる。感情が読み取れない、底知れない光がその瞳に宿っていた。


「お約束なさい、真鶴まつるさん。決して加賀男かがおさまを裏切らないと。誠実であると。幸せにすると」

「は、い。それは……もちろんです」


 気配に圧倒され、しかしやっと出た言葉は本心からのものだ。


 加賀男かがおの笑顔を大切にしたい。傍らにいて、もらった以上の優しさと心遣いを与えたい。そう思ってしまうのは、欲張りなことなのだろうか。


 疑問に思う真鶴まつるをよそに、ふゆは首肯することもなく視線を三人のおさへ、それぞれ送った。


「本人もこう言っておりますわ。加賀男かがおさまが望まれることならば、わたくしたちもそれに応える、支えるのが長の勤めではなくて?」


 ふゆが笑みを消し、畳みかける。


「仕方ない。この場は一度、収拾するとしよう」

「犬神のいうとおりじゃのォ。祝言しゅうげんの前に、長雅花ながみやばなを咲かせるまでの期間……それを設けるのは、また別の日でもいいであろ」

「そうだねぇ。オレもそれで構わないよ」


 らんたちは一斉に加賀男かがおを見た。彼は笑みを浮かべることなく頭を下げる。


「協力、感謝する」

「やめておくれよ、星帝せいていの旦那。世話になってんのはオレたちなんだからさ」

「とは言え、まだ完全に真鶴まつる嬢を認めたわけではありません」

「ほんに、ほんに。まあ、またの機会に集まることにしようぞ」


 あくびをする銀冥ぎんめいは眠たそうだ。現在は暮れ六つ十八時の鐘が鳴って、少しばかり。きっと腹も空いたのだろう。


 銀冥ぎんめいの様子を見たのか、加賀男かがおがうなずく。


「また後日に会同を開こう。今日はみな、苦労だった」

「は。それでは我らはこれにて」

「やっとこさ食事ができるってもんだ。オレ、もう腹が空いちまったよ」

「ではでは、星帝せいていどの」

「ああ。気をつけて帰ってくれ」


 加賀男かがおがゆっくり立ち上がると、おさたちもそれにならう。真鶴まつるも静かにその場で立ち、深く一礼をした。


 それにしても、ふゆの心変わりとあの目付き――真鶴まつるは退室していくおさたちに礼をしながら思う。


 言葉では助けてくれた。それは事実だ。だが、何か含みがあるような気がして、素直に受け止めることができない。


(わたしの心が狭量なのかしら……)


 らんと銀冥ぎんめい、そしてハナミが退室するのを確認してから、そっとおもてを上げる。


「今日は助けられた。感謝する、ふゆ

加賀男かがおさまのためですもの。ねえ、真鶴まつるさん」


 ふゆはまだ部屋にいた。加賀男かがおの側におもむき、かぶりを振っている。


「は、はい。ふゆさまにはなんとお礼を申し上げればいいか」

加賀男かがおさま、お願いがありますの」


 真鶴まつるを無視して、彼女はあからさまにしなを作った。


「なんだろうか」

「実はここ最近、満月が近いためか体の調子が悪いのですわ。霊気れいきたかぶる、というよりも上手く調節ができず……」


 着物の袖で顔半分を覆う彼女は、確かに少しばかり青ざめている。


天岩戸あまのいわとを使うか?」

「いいえ。霊気れいきの減少だと思いますの。できることならば、星帝せいていである加賀男かがおさまに直接、霊気れいきの調節を、と」


 加賀男かがおが困った様子で真鶴まつるの方を見てくる。


「君の城へ行くことに問題はないが……」


 あ、と真鶴まつるは瞬時に理解した。


 たぶん、彼は真鶴まつるを、この屋敷に一人にすることを心配してくれている。離れることを、惜しんでくれている。伝わる思いに、自然と胸が温かくなるようだ。


「あなたさま、どうぞふゆさまの容体を診てあげて下さい。何かあったら大変です」

真鶴まつるさんもこういって下さってますし……お願いしますわ、加賀男かがおさま」

「わかった。先に行ってくれ。あとから向かう」

「では、蜘蛛車でお待ちしておりますわね」


 唇をつり上げたふゆ加賀男かがおから離れ、真鶴まつるの横を通り過ぎる。


 彼女は何もいわなかった。嫌味や罵詈ばりの一つすら。


 扉が閉まり、真鶴まつるはようやく一息つくことができる。胸元を押さえ、ほっとため息をついた。


「……すまない、君を一人にしてしまう」

「気になさらないで下さい。大切なお仕事なのでしょうから」

「ああ。霊気れいきの調節ができるのは、天岩戸あまのいわと以外で俺しかいない」


 近付いてきた加賀男かがおが、真鶴まつるの頬を優しく撫でた。


「一日くらいで帰ってくる。君と離れるのは、寂しいが」

「あなたさま……わたしもです」


 手のひらに頬擦りしてささやく真鶴まつるに、加賀男かがおは穏やかに微笑んだ。


「ツキミは置いていく。二人でゆっくり羽を伸ばすといい」

「いいえ、ちゃんとわたしの仕事をします。お帰りを待ち侘びておりますね」

「うん……行ってくる、真鶴まつる

「お気をつけて」


 静かに、真鶴まつるの頬から手が離れた。


 加賀男かがおを見送るため、真鶴まつるは彼の後をついて外に出る。


 玄関の近くには、巨大な蜘蛛を馬代わりにした馬車が止められていた。


 まるで名残惜しい、といわんがばかりにこちらを見る加賀男かがおへ礼をして、平気なふりをよそおう。


 本当は、もっとずっと一緒にいたい。だが、星帝せいていとしての加賀男かがおの仕事を妨げるのは、それこそわがままというものだ。


(これが寂しい、ということ)


 蜘蛛車を見送り、すっかり静まった玄関で一人、目を閉じる。


 冷たい風が髪をさらっていった。ほつれた毛を手で押さえ、屋敷へと戻る。


 その夜、真鶴まつるは一人で床についた。実家にいた頃は当然のように一人だったのに、今は胸がざわつく。加賀男かがおがいないだけで、抱き締められないだけで、よく眠れない。


 虫一つの声もしない庭を見ながら、ただ、まどろみが来るのを待った。

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