4-4.まつろい
――次の日、
空に浮かぶは金色の
「
先程から同じ言葉と嘆息ばかりが漏れる。
一日くらいで帰ってくる、と
太股に首を載せ、気持ちよさそうに目を細めているこがねをおざなりに撫でつつ、時計の音に集中する。一分一秒が、とても長い。
「待つ身が辛いと昔の人はよく言ったものだわ」
呟いて、また大きなため息を漏らした直後。
「ひいさま、ひいさま」
ふすま越しにツキミが話しかけてきた。
「ツキミさん、どうなさったんですか?」
「みつやさんがきてますの。美味しい食べ物の匂いがしますの」
「みつやさんが? 今行きますね。応接室に案内をお願いします」
「はいなー」
真鶴はこがねを見る。声で起きたのだろう、彼もまた金色の瞳をこちらに向けていた。
「隠れて見回りをお願いできる? こがね」
頭をくすぐりながらそういえば、こがねは大人しく
すでに
「
一声かけて中に入れば、お茶を運んだらしきツキミが、みつやの側で目を輝かせているのがわかった。
「やあ、
「こんにちは、みつやさん」
「美味しそうな匂いがしますの! 何持ってきたんですの?」
「ツキミちゃん、相変わらず鼻がいいねえ。ちょっと待っていてくれたまえ」
苦笑したみつやが、机の上に置いていた風呂敷をほどく。中から出てきたのは、パンだ。しかも十個はある。
「木村のジャムパンだよ。まあ、先んじてのお祝いにと思ってね。
「お祝い、ですか?」
パンを目の前に喜ぶツキミをさておき、
「
「ま、まだ、正式に
「あれ、そうなの? 鬼の
「とりあえずは、保留です」
「そうだったんだねえ。ってツキミちゃん、よだれよだれ。垂れそう」
「はっ……失礼しましたですの!」
ツキミが慌てて手拭いで口元をぬぐう。
待ちきれない様子の彼女へパンを一つ手渡しし、みつやは扉の方を見た。
「
「ふゆ
「あの女のとこに? よく行かせたね」
「お仕事ですから。
「なるほどね……仕方ない。パンは全部平らげてしまおう。ツキミちゃん、僕たちは一個でいいから、あとは全部食べていいよ」
「いただくですの! ひいさま、お部屋で食べていいですの?」
「はい。ゆっくり休んで下さいね」
「じゃあ、これ。真鶴ちゃんの分」
「いただきます、みつやさん」
みつやは自分と
「ひいさまのお茶もありますの。ごゆっくりどーぞ」
一つ、可愛らしくお辞儀をし、ツキミは鼻歌交じりに退室していった。
ジャムパンを少し
「それにしても
「わたしは花と念話ができて、はじめての満月を迎えるのです。一体、どんな髪色になるか……不安で」
「
「はい……」
「髪がどんな色になっても、あいつなら褒めそやしそうだけど」
みつやの言葉に何も返答ができず、パンを一口、食べた。アンズの甘酸っぱさが口腔を満たし、香りが鼻から通り抜けていく。
「みつやさんも、
「髪は紫紺。目は紫に変わるよ。急患がいるときは、非常に困る」
「普通一般の方が見たら、驚いてしまうでしょうね」
「まあ、満月の夜は基本的に休んでるよ。
「天乃さまが、何か?」
「え、何、あいつまだ
「はい、聞いていません。どこか体調を悪くされるのでしょうか」
「うーん……」
パンを食べ終えたみつやが、こめかみを指で叩いて難しそうな顔を作った。机にあるツバキの水差しを揺らす勢いで、
「教えて下さい、みつやさん」
「……
「え?」
渋々、といった様子でみつやは口を開いた。真摯な顔つきで。
「まつろわぬものたちはね、満月で力を暴走させてしまうことがあるんだ。それが、
「何か、もっとひどい症状が……?」
「万が一、
「
「それは知ってるんだね。そのとおり。だからぼくが結界を張る役目としているんだ」
「よかったです。みつやさんはそのために」
対処法がある事実に、
「うん。とはいえ、
「お酒、ですか。確かに今まで飲んだ姿は見たことがないです」
「代わりに甘いものを持ってきたわけだけど。それにしてもあいつ、遅いなあ」
と、みつやが机に突っ伏した、ときだ。
『
「ツバキのお方……?」
館全体が微かに揺れる。
「地震?」
「これって……」
顔を上げる二人の前で、ぱらぱらと天井から埃が舞い散った。途端、全ての明かりが消え去る。たちまち暗闇が辺りを制した。
「えっ……」
「ひっ!」
みつやが大きな悲鳴を上げる。次いで、物音。どうやら椅子から転げ落ちたようだ。
カーテンを下ろしていたせいで、月明かりも入らない。
「ツキミさん、ツキミさん? 鬼火は……」
「……い。怖い、怖いっ」
暗闇に目が慣れない中、立ち上がる
「みつやさん、大丈夫ですか? どうしましょう……」
ツキミの力が、なんらかの理由で消えたのだろうか。鬼火は必ず一つ、どこの部屋にも残されているはずなのに、今はそれすらない。
「怖い、助けて……! いやだ、暗いのはいやだっ」
「みつやさん、落ち着いて下さい。大丈夫です、わたしがいます」
「母様……!」
「え?」
呟くみつやに、強い力で抱き締められた。彼はそのまま
「かあさま、怖い……暗いのはいやだ……怖いのは、いやだっ……!」
「みつやさん……大丈夫、大丈夫。一人じゃありませんよ」
そっと、こがねにそうするように、
突然電灯が復活する。その光は強烈で、思わず
まぶたを開ける。みつやはまだ目をつぶったまま自分を抱き締め、離そうとしない。
抗うこともできない力の入れように、真鶴がもう一度口を開きかけたそのとき――
「何を、している」
強張った声がして、顔を扉の方へ向けた。
そこには、恐ろしいほど無表情の
「あなたさま」
「何をしていると、聞いている」
「これは、あの」
「ま、これはひどいところを。いいえ、あなたたちにとってはお楽しみだったのかしら」
「違います、これは」
「
「……君と俺は、同じ思いだと……そう感じていたのに」
「やはり君も、まともな
「あなたさま、聞いて下さい。誤解なのです、違うのです」
「黙りなさいな、小娘!
ふゆ
ようやく光に気付いたのだろう、みつやも目を開き、はっとした表情を作る。
「
「もう、いい。二人とも現世に戻れ」
失望と傷心、その二つをにじませた声で、
「君の幸せがみつやにあるというのなら、それでいい」
「違うのです、あなたさま!」
「……君は姉君の元に帰れ。話は、つけておく」
どうして、と
どうしてこんなときに、こんな大事なときに、自分は表情一つ変えられないのだろう。
焦りも何も、届くことはない。
指二本の刀で
強烈な目眩がして、
その中で、まぶたが下りるさなか――ツバキの花がぽとりと、落ちるのを見た。
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