第四幕:逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
4-1.君を思っている
咲き誇るツバキに触れる。思いをこめ、ただひたすら、
「花よ、ツバキのお方よ……わたしは
唱えて集中すれば、頭の中で
「音が聞こえる気は、するのだけれど」
屋敷の庭に、自分の嘆息と空に輝く
しかし、全く何も聞こえなかったときよりかは、何かを掴み取れている気は、する。
「ひいさま、お月見してるのですの?」
声をかけられ縁側を振り返れば、栗をお膳に盛り付けたツキミがいた。背後には
「いいえ。力の使い方を少し……お二人は?」
「満月には早いが、月見でもしようと思ってな」
「頑張りすぎですの、ひいさま。お団子も作ったから食べるですの」
確かに多少、疲労を感じていたところだ。ツキミの言葉に
「まるで秋みたいですね」
「
「はい」
今は暦も変わり、六月だ。
「月見団子はあとで食べるですの。ビワを買ってきましたの、はい、どーぞ」
「ありがとう、ツキミさん」
縁側に三人で並び、
「美味い。これは当たりだな」
「本当に美味しいです。疲れも消えていきます」
ビワのかけらを
「……少しはここに慣れただろうか」
横に座る
「はい……最初は戸惑いもしたりしましたけれど。今では皆さん、よくして下さいます」
「それならいいんだ」
「あの、あなたさまの方こそ……疲れてはいませんか?」
「なぜそう思う」
「わたしを押しつけられ、知らない人間を屋敷にというのは……精神的に疲弊するかと」
「知らない人間、ではないな」
「え?」
軽く目を見張れば、天を仰いでいた
「その、君のことは色々、こがねに聞いていた。だから、知らなくはない」
「こがねが……? それでは最初から、あなたさまは」
「ああ。一方的にだが、君のことを知っていた」
言いづらそうに口を開く彼を見て、
「こがねは、わたしをどのように言っていたのでしょう。変なことを聞かされたのでは?」
「変なこととはなんだろうか」
誰かに口付けをされたところを、こがねは見ていたかもしれない。そう思って、口をつぐむ。
いくら病に伏せていたとはいえ、幼い頃だとはいえ、見知らぬ誰かに口付けを許したのは不注意にも程がある。唇を奪われた事実を、なぜか
「……優しくて、笑顔が綺麗」
「え?」
「こがねが、告げてきていた。君はそういう人間だと」
顔を上げれば、
「申し訳ありません、あなたさま」
「なぜ謝る」
「今のわたしは、笑み一つすら浮かべられないのです。それに、優しいだなんて。本当はとても欲深く、浅ましい人間ですから」
「それは俺も同じだ。こがねのように、いや、あれよりも執着し、嫉妬もする」
「あなたさまは、心根の優しいお方だと思いますが……」
目を伏せ、ささやく。
事実、
彼の心の温かさ、与えられたそれらに何も返せない自分が、辛かった。
沈黙が下りる。木々の梢がこすれる音が、大きい。
そのときふと、寝息が聞こえた。横を見れば、ビワをたらふく食べたと思しきツキミが、いつの間にか寝転んでいる。
風邪を引いてはいけない、と起こそうとした、刹那。
「
真剣な声で名を呼ばれる。置いていた手に、
「あなたさま?」
そのまま手を絡めとられる。肩を引かれ、気付いたときには
「ね、寝るにはまだ早いと思いますけれど……」
「聞こえるか。心臓の音が」
腕に抱きすくめられ、頭を撫でられる。
「俺の心臓が脈打つのを、君には聞こえているだろうか」
「は……い」
どくん、どくん、と音がした。深いしじまの中で、それだけが耳に滑り込む。
「わたしと同じ音……」
「そうだ。
両の頬を手で挟まれ、静かに顔を上げられた。
真摯な藍色の瞳が自分を見つめている。射貫いている――そう自覚すると、動悸はより速くなった。
「あなた、さま」
「君を思っている、
突然の告白に、吐息だけが漏れる。
目を軽く見開いた
「君がいい。君がほしい。
「あ……」
いつも寝る前にそうされるように、柔らかく抱き締められた真鶴は、はくはくと口を開いた。
「はい」とすぐさま言いたいのに、自信のなさと力の足りなさが、言葉を出すことを許してはくれない。
(お願い)
代わりに、
(わたしに自信を。天乃さまの側にいる資格を……)
目を強くつぶった、途端だ。
『声は、聞こえる?』
ぱん、と何かが弾ける感覚が、体の奥底でした。
「あ」
全身が震える。体中に鳥肌が立ち、髪の毛先、爪先一本一本が見知らぬ感覚に
「
「声、が」
たくましい腕の中、抱き留められながら庭のツバキを見た。
風にそよぐツバキが、仄かに輝いている。
『ようやく話せたね、
「ツバキのお方……?」
『そう、あたいたちはずっとアンタを見守ってきた』
「どうした、
若干慌てた様子の
「聞こえます、ここのツバキの声が。とても
嬉しいと思う気持ちは今、欠け落ちている。それでも心はほっとした。
「一体突然、どうして花の声が聞こえるようになった?」
「きっと……心から願ったからです、あなたさま」
「あなたさまの横にいるため、その力がほしいと思いましたら……」
「……
今まで優しかった腕の力が、まるで
「よかった。本当に、よかった」
「あなたさま……ありがとう、ございます。わたしもとても嬉しいです」
抱き留められる喜び。花と心を通じ合わせられたこと。その全てが胸をくすぐる。
だが、まだ足りない、と感じた。こがねが告げたという綺麗な笑顔を、
「笑顔の一つ、ここで浮かべられたらと思うのですけれど」
「
耳に吐息がかかり、くすぐったい。きっと、人はそれすらも幸せと呼ぶのだろう。
「……あなたさま。わたしも、あなたさまのことを」
「今は何も言わないでくれ。焦らずに待つから」
頭頂に顔をうずめたままささやかれ、困ってしまう。
思いを伝えたいのに、と
「
「え……?」
一旦、軽く体を離した
「君との
「……はい」
花と念話ができたとはいえ、
次に、
「ツキミが起きてから、使いを頼もう」
「そうですね。あの、あなたさま」
「なんだろうか」
「体を……その、離して、下さい。ツキミさんが起きたら、恥ずかしくて」
「断る」
きっぱりと言われてしまい、
(これもきっと、幸せの一つなのね)
そう感じ、
優しい鼓動の音が幸福の象徴――そう思えて。
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