3-5.逃げてはいけないとわかっているのに
「お邪魔でなければ、わたくしもご一緒しても? 仕事で話したいこともございますの」
近付いてくるふゆ
真鶴に向けられる笑みは華やかだが、瞳にありありと
「何かあったか」
「少しばかり。座ってもよろしいでしょうか、
「わかった。ただし、手短に済ませてくれ」
「もちろんですわ。お邪魔しますわね、
「いえ……」
「鬼子、
「話というのは?」
「実は……」
困ったように口を開いた彼女は、
それからは、
美味しいはずの
二人の様子を、静かにうかがう。よく通る声で話すふゆ
(怖がってはいけないのに……堂々としていなければ)
思えば思うほど、二人から遠く離れていく感覚に襲われた。
独り――そう、感じる。
(これが寂しい、ということ? でもお姉さまのときとは違う。もっと……)
それ以上言葉にできない感覚が、胸に穴を作るようだ。
無心を務めて食べ進めていけば、いつの間にか紅茶も飲み干してしまった。しるこの椀も空になる。
鬼の
「あの」
二人の会話が一瞬途切れたとき、静かに声をかけた。
「どうした」
「何かしら、
「わたし、先にお屋敷へ戻ります。お仕事の邪魔はできません」
「一人で? それは危険だ」
「あら、
「だが……」
「ふゆ
立ち上がるこちらを、
「……時計は持っているな」
「はい」
「馬車乗り場が途中あっただろう。そこで落ち合うことにしよう。少し待っていてくれ」
「わかり、ました」
重い口調に、遠慮も否もできない。
「それではわたしはこれで……」
「さようなら、
「ありがとうございます」
ふゆ
一階に下りて外を目指す。カフェには様々な種族が満ち溢れ、好奇の視線を
(美味しかったわ、おしるこも紅茶も)
視線から逃げるように、そそくさと店を出る。
路地裏にはあまり、まつろわぬものたちはいなかった。そこでようやくため息をつく。
「……逃げてはいけないとわかっているのに」
呟き、表通りを目指して歩き出す。
(……あいすくりん、美味しかった)
星が見えない月明かり。道を照らす色とりどりの
だが、美しいまたたきも、
(お仕事をするのがいやなのかしら、わたし)
強い女性になりたい、と思っていた。姉のように、夫を支え、励ませるような女性に。
しかし事実、どうだ。
「せめてお屋敷のことはできるようにしないと」
どこか暗いささやきは
表通りでは、酔っ払った
喧嘩の様子に気を取られているものが多いため、誰も
「馬車乗り場は、確か……あそこね」
道を挟んだ先にある待合場所へ向かい、長椅子に腰かけようとしたとき。
足先が一瞬むず痒くなった刹那、ぷつりと突如、鼻緒が切れた。
「あ」
突然のことに驚く。おろしたての
「……手拭いを忘れていたわ。どうしましょう」
木の長椅子に座り、
「あれっ、もしかして
「はい……?」
そこにはみつやがいた。この間会ったときとは違い、どうやら
「やっぱり。いやはや偶然だねえ。何、買い物でもしに……」
へらへらと笑っていた彼だが、
「少し動かないで」
「え」
みつやが真剣な面持ちで、懐から小刀を取り出して近付いてくる。何が起きているのかわからず、
「ふっ」
みつやは小声と共に、抜刀した刃で地面を刺した。
するとどうだろう。空気がそこだけ盛り上がり、何かが浮かび上がってきた。
「……蜘蛛」
「あの女の子飼いか。うん、もう大丈夫だよ」
「あ、ありがとうございます。みつやさん」
小刀を片付け、革靴で蜘蛛を踏むみつやへ、慌てて謝辞を述べた。
「礼ならベーゼでいいよ」
「べぇぜ? なんでしょうか、それは」
「冗談冗談。いやあ、それにしても女の執念は怖いね」
「執念……」
脳裏にふゆ
「どうやらコイツに噛まれたみたいだね、鼻緒。それ、直してあげる」
「いえ、みつやさんのお手を煩わせるわけには」
「ハンケチがあればどうにでもなるさ。ささ、貸して」
笑顔を浮かべるみつやに、
最近、与えられる優しさに甘えてばかりだ。これではいけない――そう思い、かぶりを振る。
「今、
「
大丈夫、と言おうとした刹那、
苦い面持ちを作った
「うん、ぼく、完全に誤解されてそう」
「みつやさんはわたしを助けてくれたのでは?」
「そうだけど……まずいなあ。
「あ、あの、お礼を」
「ありがとう。楽しみにしてるよ、
みつやが全速力で、去っていく。
「……何をしていた、二人で」
「鼻緒が切れてしまって。直してあげるといわれましたけれど……」
「その、あ、あなたさまがくるから大丈夫だと。そう告げたら、逃げてしまわれました」
どうしてでしょう、とささやいて
「少し、心配した」
「申し訳ありません。鼻緒を切らしてしまうなど、不注意もいいところです」
ふゆ
思い人に甘やかされている女を見て、機嫌がよくなる存在など、きっとどこにもいはしないだろう。
「……馬車まで少し、距離があるな」
「あのくらいでしたら
「少し足を曲げて、立ってくれるだろうか」
「あ、はい」
直してもらえるのかも、と
「あ、あなたさま?」
「首に手を回してくれ。馬車まで君を運ぶ」
「それは、あの、だめです。
「いいから」
穏やかに、しかしきっぱりといわれて、
「掴まらないと、落ちる。……いくぞ」
「あ、きゃっ」
つい首へと両腕を回す
頭が、思考が追いつかず、
「重いので、おやめに……」
「どこが重い。もう少し君は食事をするべきだ」
まっすぐ前を見据え、答える
(……綺麗な、お顔)
場違いなことを思う。
すっと通った
すぐ側にある馬車までの距離が、とても長く感じる。心臓がとくとくと脈打つ。なぜだろう、今は何も考えられない。
唇を一つ引き締める。
甘い甘い、氷菓の味が、した。
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