2-4.妻と認められたわけではない

 声の大きさにびくりと、真鶴まつるは肩を跳ね上げる。


「今、のは」


 入口近くからだ。何事かと思い加賀男かがおを見ると、呆れた表情でかぶりを振っている。


「ツキミ、保護してやれ」

「はいですの」


 どこからか届いたツキミの返答ののち、彼は大きく嘆息した。


「あの、どなたかいらっしゃったんでしょうか」

「知り合いだ。どうせ今日も鬼人たちの花街かがいで、酔っ払っていたんだろう」


 苦々しい声に、真鶴まつるは目をまたたかせた。


花街かがいなんてものまであるのですね」

「……影ヶ原かげがはら現世うつしよの世相が反映される。街並みもほとんど、君が住んでいた場所と変わらない。いろんな店もある」


 なるほど、と唇に指を当てた瞬間だ。


 どたばたと、誰かが廊下を走ってくる音がした。


加賀男かがおっ! なんで蛇があんなにいるんだい!」


 扉が開け放たれたと同時に、悲鳴の主と思しき青年が入ってくる。


 毛先がはねたおかっぱ頭の黒髪に、赤いスーツ。かんかん帽と丸い眼鏡が似合う優男だ。


「なんで蛇がうじゃうじゃいるの? いつもより多いよね? 噛まれそうになったよ!」

「少しくらい静かにできないのか、お前は」

「ツキミちゃんに助けてもらったからいいけど……って」


 青年が、真鶴まつるを見た。真鶴まつるもつい扉の方を向いていたため、目が合う。


「何、誰、可愛い」


 相好そうごうを崩した青年に、手を振られた。


 真鶴まつるはどうしていいかわからず、加賀男かがおの方へと向き直る。


「俺が妻をめとることになったことを話したはずだ、みつや」


 不機嫌そうな声音にもかかわらず、みつやと呼ばれた青年は唇を釣り上げた。


「そっか、君が古野羽このは真鶴まつるちゃんかあ。はじめまして。ぼくは寿々すずみつや」

寿々すず……? もしかして裏華族うらかぞく御三家の……」

「そう。寿々すず家の次男。加賀男かがおの親友にして体調管理担当の医者さ」

「お医者さま?」


 真鶴まつる加賀男かがおとみつやを見比べる。


 目をすがめ、友を睨む加賀男かがおは何も言わない。ただ重苦しいため息をつくだけだ。


「ツキミちゃん、いつものあれ出して。梅干し入りの白湯さゆ

寿々すずさま。天乃あまのさまはどこか加減が悪いのですか?」


 アルコールの匂いを漂わせつつ、近くに腰かけたみつやへ真鶴まつるは問う。


 見た目だけでいうなら、加賀男かがおは健康そうだ。足取りもしっかりしていた。外傷も見える限りでは存在しない。


 みつやはけらけらと、軽快に笑う。


「ぼくのことはみつやでいいよ。いや、加賀男かがおって」

「勝手に話すな」


 鋼のごとき声音が空気を裂いた。叱咤に近い加賀男かがおの言葉も、本人には効いていないらしい。


真鶴まつるちゃん、妻になる女性でしょ。教えておいてもいいと思うんだけど?」

「……妻と認められたわけではない」


 渋面じゅうめんを作る加賀男かがおに、真鶴まつるも小さくうなずいた。


 力も使えない半端者。ほとんどただの人間である自分は、やはり彼にふさわしくない。


 加賀男かがおには何か秘密があるようだが、それすら話してもらえないのは、ひとえに力量不足だからだろう。


おさたちが反対してる、と見たけど。ならなんで連れてきたのさ、ここに」


 帽子を机へ投げ、みつやは肩をすくめた。加賀男かがおが言いづらそうに口を閉じる。


 その様子に、真鶴が代わりに答えた。


「きっとわたしが困るからだろう……と。実家にいる猶予ゆうよがなかったものですので」

古野羽このは家の当主もひどいことするなあ。放蕩者のぼくが言えた義理じゃないけどね」


 言って、みつやはスーツのポケットから葉巻入れをとり出す。


真鶴まつるちゃんはどのくらいの力、使えるんだい?」

「花以外の植物との対話、その程度です」

「そっかあ。ぼくもね、寿々すず家の次男だけど刀の扱いはぜーんぜんだめ」

「でも、お医者さまなのでしょう? とてもご立派だと思います」

寿々すずの一族は政治家や軍関係者にならなきゃいけない。それが普通さ」


 マッチをつけ、葉巻の煙をくゆらせながらみつやはまた、笑う。


「医者だなんて仕事、と兄には言われてる。まあ当然だよ」

「……誰が葉巻を吸っていいと言った」


 片眉を器用につり上げる加賀男かがおは、やはりどこか不機嫌そうだ。


「別にいいじゃないか。真鶴まつるちゃん、葉巻はだめかい?」

「あ……わたしにはお気遣いなく、寿々すずさま」

「みつやさん、でいいって。ほら、呼んでみて」

「そ、それでは、みつやさん、と……」

「声も綺麗だねえ。柔らかくて、透き通ってて。姿もそうだけど鈴の音みたいだ」

「ありがとう、ございます」


 声や容姿を褒められ、真鶴まつるはどこか落ち着かない気持ちになる。今まで男性とはまともに話したことがない。賞賛されるような外見などしているつもりは、少しもなかった。


「今日は診察の日ではないだろう。早く現世うつしよに帰れ」


 微動だにせず、突き放すような物言いをする加賀男かがおに対し、みつやが目をまたたかせた。


「なんでそんなに怒ってんの? あ、真鶴まつるちゃんと仲良くするから怒るの?」

「人の妻となる女人を口説くような知人を、俺は持ったつもりはない」

「へぇ」


 面白そうに笑い、紫煙を吐き出したみつやは、真鶴まつるにその笑顔を向ける。


「大丈夫そうだね、真鶴まつるちゃん」

「ええと、何がでしょうか」

「今にわかるさ。ここでの生活も大変かもしれないけど、慣れたら楽になるよ」

「はい、それは……覚悟をしてきておりますので」


 死ぬ覚悟を、と付け加えようとしたのを飲み込み、真鶴まつるは首を縦に振った。


「失礼しますの」


 机にあったアルミの灰皿に、みつやが葉巻を押し付けたときだ。


 ツキミが入ってくる。手には盆を持っており、その上では湯飲みが湯気を上げていた。


「どうぞですの、みつやさん」

「ありがとう。ツキミちゃんの梅白湯さゆは二日酔いに効くからねえ」

星帝せいていさま、お知らせが」

「……今度はなんだ」


 疲れきったため息をつく加賀男かがおに、ツキミが困ったような顔を作る。


「蜘蛛おさ、ふゆさまがお祝いにきてらっしゃいますの」

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