2-3.配偶者としての使命は果たすつもりです

 加賀男かがおの住まいは純然な日本家屋ではなく、洋館付きの住宅だ。


 黒い煉瓦で作られた建物の周りには草木が満ち、親しみのある匂いに、真鶴まつるは少しだけ緊張を解くことができた。


 洋風の応接室に通され、ツキミが出してくれた緑茶にも手をつけず、ただ加賀男かがおを待つ。


 一人がけのソファに腰を下ろしたまま、周囲を見渡した。


 ステンドグラスで飾られた上げ下げ窓には赤いカーテンがあり、真鶴まつるの位置から外を覗くことはかなわない。空席の膝掛け椅子とティーテーブル、天井からつり下がっている四灯式の電灯は、いかにも流行を取り入れた立派なものだ。


(電気はどこから引いてるのかしら)


 ふと、場違いなことを思う。しろじろとした明かりもまた、石灯籠いしどうろうのようにツキミがつけているものなのなのだろうか。


「すまない、支度に手間取った」


 ぼんやりと天井を見上げていたとき、不意に扉が開いた。加賀男かがおが中へ入ってくる。


 着流しした利休りきゅう色の着物に、三つ編みの銀髪はよく映えていた。立ち上がろうと腰を浮かせた真鶴を手で止め、彼は膝掛け椅子に座る。


「慣れない場所で落ち着かないだろう」

「いえ、大丈夫です」


 真鶴まつるが答えれば、加賀男かがおは小さく首肯した。


「今から君に、ここ、隠世かくりよでの規則を伝えようと思う」

「規則ですか?」

「そうだ。この影ヶ原かげがはらには他に四つの区画がある。それぞれ蜘蛛、獣、鬼人きじん、神のおさたちが治めている区画だ。そこには俺がいないとき、決して足を踏み入れてはいけない」

「あやかしたちがいるから、でしょうか」


 真鶴まつるの問いに、加賀男かがおが若干、厳しいおもてを作る。


「その呼び方は禁句だ。まつろわぬものたち、と呼ぶこと。君も少しは知っているだろうが、彼らは品位を保つことを重視している。星神せいしん天津甕星アマツミカボシの子孫という自負があるから」

「わかりました。まつろわぬものたち……ですね」

「そう呼んであげてくれ。この区画、蛇宮へびみやは好きに歩いてくれて構わない」

「はい」

「ここに太陽はないが、代わりに時間を示す鐘が鳴る。六時、九時、十二時、十五時、十八時に。時間の感覚に戸惑うだろうが、部屋に日めくりもある。辛いかもしれないが慣れてほしい」


 そこまで言うと、加賀男かがおが懐から一つの懐中時計を取り出した。うっすらと緑に輝くそれを机に置いて、真鶴まつるの方へと差し出す。


「君に、これを。他四区画に引きずられないよう、まじないを施してある」

「こんな高級そうなものを、わたしに?」

「いさかいが起きればただでは済まないだろう。持っていてくれ」

「……ありがたくお借りします」


 少し迷ったのち、真鶴は銀色の時計を手にした。ひんやりと冷たい。


(こがねの肌触りに似てる)


 思いながら帯に挟んだのを確認してだろう。加賀男かがおがどこか辛そうな顔をした。


「まつろわぬものたち三人のおさは、君と俺の結婚を認めていない」

「そうだろうと思っていました」

「なぜ?」

「わたしは、古野羽このは家の出来損ないですから。満月の夜に瞳の色は変わりますけれど、髪はそのままです。力を使えない証拠。それに……罪を犯しています」


 真鶴まつるは事実を淡々と述べる。


祝貴品しゅくきひんを作ることができないわたしを、皆さんが認めるはずがありません」


 苦笑すら浮かべぬままに言い切れば、こちらを見据えていた加賀男かがおが視線を逸らした。


天乃あまのさま。わたしは配偶者としての使命は果たすつもりです。それがあなたさまへの恩返しになると思っていますから」

「使命、か」


 ふと、加賀男かがおは苦い笑みを浮かべる。自嘲気味の、どこか投げやりな苦笑を。


 重たいほどの沈黙が下りた。カチ、カチ、と、掛け時計の音だけが大きく響く。


「他に何か、聞きたいことはあるか」


 静寂を裂くように硬い声音で問われ、真鶴まつるは小首を傾げた。


「この区画は蛇宮へびみやだと仰っていましたけれど、事実、蛇がたくさんいるのでしょうか?」

「いる。……君がこがねとつけた蛇も、守り神の一人だ」

「こがねに、会えますか?」

「いつかは。名付けるというのはまじないの一つ。もはやあの蛇は、君のものになっている」

「名付けることにそんな意味があったのですね」


 漆黒の蛇を思い出しながら、やはり友人はあやかし――まつろわぬものなのだと悟る。


(勝手に名付けたことを怒っているかしら……)


 こがねに、そして加賀男かがおに申し訳なく思った。


 顔色をうかがうように彼の方を見つめれば、なぜか加賀男かがおは先程と違い、柔らかい表情をしている。


「こがねのことをどう思う?」

「とても賢くて優しい友人です。ずっと側にいてくれたので、心をなぐさめられました」

「そうか」


 加賀男かがおが口元を緩めた。厳しい眼差しが穏やかなものとなり、そうすると巨躯のわりに優しい雰囲気を醸し出す。


天乃あまのさまは、こがねと仲がよろしいのですね」

「……そうだな。ああ、それと」


 と、加賀男かがおが優しい口調で何かを口にしようとした、そのとき――


「うっわぁぁぁぁあ!」


 唐突に、あまりにも不意に、頓狂とんきょうな悲鳴が外から聞こえた。

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