1-4.今までありがとう
……結局、
(結婚。わたしは
帰路の途中ずっと、突きつけられた事実だけが脳裏をよぎる。
(でも、どうして
こがねはもしかしたら、あやかしなのかもしれない。あれほど賢い蛇なのだ。そうだったら納得がいく。
「まつろわぬものたちは怖くない」と言ってくれた、
一人うなずき、裏口から離れへと入る。少し冷たい風に、草木がさわさわと揺れていた。
『お帰り、
『早かったのね。せっかくおめかしをしたのに』
「わたしがおしゃれをしても、意味はないわ」
ヤツデとユズリハの念話に答えつつ、庭の横にある炊事場へと向かう。喉の渇きを覚え、冷やしておいた茶を静かに飲んだ。
改めて、木々が生い茂る庭を見つめた。自分が
(せめて庭だけでも残してほしいのだけれど)
内心でため息をつきながら、湯飲みを洗った。
「こことも、さようならするのね」
『
外に出たと同時に、樫の木の思念が頭に響く。
「じいや」
『お前は
「どうしてそれを知っているの?」
『例えどのような場所であろうとも、我らは芽吹いておるためにな』
「……盗み聞きをしたということ?」
『口が悪い』
だが、樫は否定しなかった。
砂利を踏みしめて樫の木へ近付き、滑らかな幹に手を触れる。
「わたし、
『
「そうね。みんな、今までありがとう」
『我らは常にお前と共にある。案ずるな』
「……はい」
穏やかな声音に、少し緊張が解けた。
木から離れ、家の中へと入る。荷造りをしなければいけない。それと、簡易な掃除も。
「そういえば、お母さまの形見をいただいたわ……」
思い出し、鏡台前へ正座した。
中をあらためた。蝶がついた二本足のかんざしは、母がずっとつけていたものだ。
その他には、新二十
手紙には達筆な文字で「何かに使いなさい」という文字と共に、トウ子の名前が記載されていた。
「お姉さま……ありがとう。こんなによくしてくれて」
姉の気遣いに、しかし感情は働かない。嬉しいはずだ。だが、顔にも心にも、何も変化はなかった。
封筒を胸に抱き、目を閉じる。
(お姉さまのように、わたしも強く……優しく、ありたい)
しばらく姉への感謝に思いを馳せ、それから我に返った。
「……身支度をしなくては」
一人呟き、小さなたんすを開く。
身支度、とはいったものの、さして必要なものが思い浮かばない。着るもの数着、それに、姉から与えられたかんざしと硬貨があれば十分だ。
大きな風呂敷に、姉が差し入れてくれた着物、洋装の類いを畳んで入れていく。洋服は一度も着たことはないが、たんすの肥やしにするのも忍びなかった。
「あとは、掃除ね」
風呂敷を二つほど準備し終えた、そのとき。
藪が鳴る。はっとして振り向けば、いつもは夜に来るはずの友人が、草むらで頭をもたげているのが見えた。
「こがね。だめでしょう、昼に出てきては。また傷を負うかもしれないのに」
こがねは、いつものように平然とした様子で、
「これからは手当てしてあげられないの。だから、もう……ここに来てはだめよ」
言って、手の甲を差し出した。こがねは犬がそうするように、冷たい頭頂部を押し付けてくる。
こがねとは、母が病に伏せはじめた頃に出会った。路地裏で子どもたちにつつかれていたところを、
「あなたはあやかしなの?
とぐろを巻く友人に、平坦な口調でたずねてみる。
「
問いかけで気分を害したようだ。こがねはつれなく、そっぽを向く。
「答えてくれてもいいのに」
「……わたしは
こがねは相変わらず、日当たりで心地よさそうにしているだけだ。
「そうよね。あなたはきっと、自由でありたいわよね」
「今までありがとう、こがね。わたしの寂しさをなぐさめてくれて。
自分は三日後、どこにいるか不明だ。生きていける保証だって、ない。
だからこそ残された時間、友や草木と穏やかなときを共有したいと、心から思った。
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