1-3.君は権利を行使すればいい

「不服でもあるのか」

「い、いえ」


 葉太郎ようたろうの不機嫌な声に、真鶴まつるは小さくかぶりを振り、否定する。


「力も使えんお前をここまで育ててきた。その恩を返すと思えば気楽だろう」

「……はい」


 うつむきながら、ささやいた。


 けれど――と疑問に思う。


 出来損ないであり、御三家から忌み嫌われている自分を、なぜ高名な天乃あまの家へ嫁がせようとするのか。それがわからない。


 横目で加賀男かがおの方をうかがう。彼は、祝い事の話題にもかかわらず、暗い面持ちをしていた。


(当然だわ。わたしを押し付けてしまうのだもの)


 真鶴まつる加賀男かがおから顔を背け、まぶたを閉じる。


「これはよわい二十三。なれど未だ婚約者の一人も持たぬ。めかけの息子だが、陽月ひづき家の血を引くには違いない」


 陽炎かげろうがため息のようなものをついた。


「それに、天乃あまの家の長――星帝せいていに子孫がなくては、あやかしどもを抑える血が絶える」

「そこで白羽の矢が立ったのが、お前だ。意味はわかるな」


 二人の言葉に、真鶴まつるはようやく合点がいった。


天乃あまのさまの子を産み、あやかしに食われろというのね)


 あやかしたちは気位が高いという。人を食うもの、くものも多いと聞いた。


 例え裏華族うらかぞくの人間でも、力をほとんど持たない真鶴まつるが、彼らに気に入られるはずはない。それを見越して、葉太郎ようたろうは縁談を持ち上げたのだ。


 父は、暗に死ねと言っている。


 そのことに寂しさも、悲しさも、浮かび上がってはこなかった。


「仰せつかります」


 真鶴まつるは指をつき、深々と頭を下げる。


「よろしい。加賀男かがお、お前にも拒否権はない。陽月ひづき家当主の命である」

「……承知した」


 おもてを上げた真鶴まつるは見た。確かに彼が、渋面じゅうめんを作っていることを。


 もしかすれば、思い人がいたのかもしれない。心許した女性が、自分以外に存在するのかもしれない。


(ごめんなさい、天乃あまのさま。出来損ないのわたしで)


 申し訳ないと思う気持ちを胸に秘め、再び輝政てるまさたちへと向き直る。


「承認、確かに。あとは二人で決めるべし。これから大切な祝言しゅうげんがあるゆえ、退室する」

「期日になったらとっとと家を出ろ。お前に長く猶予はやらん」


 言うが早いか、陽炎かげろうが素早く消え去った。ガクアジサイも枯れはじめている。


「お父さま」


 聞こえているかはわからない。だが、真鶴まつるはつい声を上げる。


「今まで、ありがとうございました」


 返答など当たり前のようになく、ガクアジサイは茶色に変貌した。


 真鶴まつるの言葉が、沈黙が下りた部屋へ溶け消える。


 あとに残るは妙な緊張感だ。加賀男かがおは微動だにしない。


「……天乃あまのさま」


 真鶴まつるは座ったまま、彼の方へ姿勢を変えた。


「ふつつかな身ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「君は」


 頭を下げようと思ったとき、ぼそりと加賀男かがおが、呟く。


「なんでしょうか?」

「……いや。その、まつろわぬものたちは、そんなに怖くはないと思う」


 意外な言葉に、真鶴まつるは目をまたたかせた。声は小さいが、こめられた感情は、優しい。


「そうなのですね。気を遣わせてしまって申し訳ありません、天乃あまのさま」


 答えれば、加賀男かがおがはじめて、はっきりとこちらを向いた。


 大きく、がっしりとしている体。宵の入りに似た藍色の瞳。銀色の三つ編みは腰まである。話す声は若干太いも、透明感を漂わせる不思議な音色だ。


「俺は、義務を果たす。君は権利を行使すればいい」

「権利?」

星帝せいていの妻、という権利だ。まつろわぬものたちが君に危害を加えないよう、尽力する」


 はっきりと言われ、真鶴まつるは戸惑った。


 だが、義務と権利。政略結婚の上で互いを繋ぎ止めるのは、確かにその二つしかないだろう。


 それでも、出来損ないの自分を尊重してくれる加賀男かがおの気遣いが、ありがたかった。


「ありがとうございます。皆さまにご迷惑をかけるような真似は、しませんから」

「身支度に、どれくらい時間がかかるだろうか」

「荷物はそんなにありませんので。三日ほどいただければ」

「わかった。三日後、暮六つ十八時近くに迎えに行く」


 うなずいた加賀男かがおが立つ。真鶴まつるもまた、首を縦に振った。


 ふすまを開け、外に出た彼が一つ、こぼす。


「……によろしく伝えてくれ」

「えっ?」


 思わず聞き返すも、目の前で障子は閉じられた。


 残された真鶴まつるは、加賀男かがおの言葉を思い返すことしかできない。


「どうして……こがねのことを」


 疑問を口にしても、広い客間に自分の声だけが、消えていく。

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