1-2.嫁げ

 真鶴まつるは肩を震わせ、声のした方に顔を向ける。日の差さない暗がりから何者かの気配がした。


「勝手をして申し訳ありません。客間に用があります」


 通路の奥は暗い。よく見えない、見知らぬ存在へ声をかけてみた。


「……客間なら中央の部屋だ」

「ありがとうございます」


 相変わらず姿を現さない存在に、一つ頭を下げる。場所を知っているということは、もしかしたら陽月ひづき家の使用人なのかもしれない。


 声はよく通る低音で、どこか優しかった。とがめられなかったことに胸を撫で下ろし、顔を上げて暗闇へ背を向ける。


 客間にはすぐについた。一呼吸置いたのち、膝をついて背を正す。


「失礼いたします。真鶴まつるです」


 返答はない。そっとふすまを開け、三つ指で礼をする。


「さっさと入れ、グズが」


 罵声は、父、葉太郎ようたろうのものだった。


 見苦しくない程度に真鶴まつるは素早く戸を閉め、中に入る。その横で縮こまるように立ち、室内をそっと確認した。


 広い部屋だ。書院造りの客間は華美ではない。だが、松の床板とこいたや真新しい畳、立派な焦げ茶の床柱とこばしらなどには、贅を尽くしているさまがありありと見受けられる。


 机の側に、人の形をした陽炎かげろうが座っていた。陽炎かげろうの顔は見えないが、真鶴まつるはすぐに誰かを理解する。陽月ひづき家の現当主、輝政てるまさだ。能力を使い、映し身をここに置いているのだろう。


葉太郎ようたろうどの、あれがまだ来ていないようで申し訳ない」

「お気になさらず。こちらこそ出来損ないの愚鈍さを見せ、お恥ずかしい限り」


 答えたのは、机の上に置かれたガクアジサイだった。花の思念を読み取れない真鶴まつるにも、声はしっかりと届く。古野羽このは家の男子が受け継ぐ、草花を通しての対話術だ。


「まずは座りなさい」

「はい……失礼いたします」


 揺らめく輝政てるまさの言葉に、ただそのとおりにすることしかできない。


 陽炎かげろうの見えない瞳が、こちらを射貫いているようだ。見返すことができず、真鶴まつるは静かに目を伏せた。


(お父さまも陽月ひづきさまも、わたしを怒ってる)


 内心で思いつつ、微動だにすることなく威圧感に耐える。


 裏華族うらかぞくの御三家が、日の国を守るために作り上げる代物――人呼んで祝貴品しゅくきひん古野羽このは家の女人だけが咲かせられる祝貴品しゅくきひん長雅花ながみやばなを枯らしたのは、真鶴まつるだ。


 正確に言うと、故意に枯れさせたわけではない。母、千津留ちづるが咲かせた一輪の長雅花ながみやばな。その力は治癒である。


 病も怪我もたちどころに治すという奇跡の花を、御三家直下のやしろへ献上した際に、自分は使ってしまった……らしい。


 高熱と胸の苦しさでほとんど記憶はない。が、重度の肺炎から快復した真鶴まつるを見て、葉太郎ようたろうが青ざめていたことだけはしっかり覚えていた。怒声と共に殴られたことも。


 同じく肺炎だった母は、長雅花ながみやばなを使用せずに死んでいる。


 祝貴品しゅくきひんを私情で使うことなかれ――


 御三家暗黙の決まりごとを破った真鶴は、裏華族うらかぞくから忌避される存在となり果てたのである。


(これは、わたしが背負う罪)


 少しうつむき、唇を噛みしめる。


 怒りと憎悪、二つの感情はしっかりと、ガクアジサイから伝わってきた。


 なぜお前だけが生きている。出来損ないのお前がなぜ――


 そう聞こえた。いや、父は言葉に出してはいない。だがわかる。巨大な負の念に、膝へ置いた手が震えはじめた、ときだ。


「入る」


 す、とふすまが開く。


 窮屈きゅうくつそうに入ってきたのは、恐ろしいほど長躯の男だ。亜麻あま色の着物に映える肌は褐色かっしょく、三つ編みに結われた髪は銀色。思わず見上げた真鶴まつるは唖然とする。


 約四尺九寸148cm程度の自分と比べて、かなり差があった。たぶん、背の丈は六尺181cmはあるだろう。前を見据える切れ長の瞳は、不思議と藍色がかっていた。


(異国の方なのかしら……)


 見知らぬ殿方を眺めるのはぶしつけだと思い、真鶴まつるはすぐに顔を元に戻す。


 陽炎かげろうが一つ、うなずいた。


「来たか、加賀男かがお

「なんのご用か」


 加賀男かがおと呼ばれた男はそっけない。が、真鶴まつるにはその声が、二階の廊下でここを教えてくれた誰かのものに似ている、と気付く。


「まずは座れ。暑苦しい」


 輝政てるまさの言葉に、加賀男かがおはふすまを閉めると、真鶴まつると距離を置いてあぐらをかいた。


真鶴まつる嬢。これなるは天乃あまの加賀男かがお。我が息子にして、まつろわぬものどもの長」


 重々しい声に、真鶴まつるは軽く目を見開く。


 裏華族うらかぞくには連なってはいないが、天乃あまの家は御三家の中でも有名だ。


 まつろわぬものども――すなわち、俗に言うあやかしたち。


 彼らをなだめ、調停する役割の一族が天乃あまの家だということは、真鶴まつるも知るところだった。その頂点に立つ存在が、なぜここに来たのだろう。


天乃あまの……さま」

「そうだ。そしてお前は、加賀男かがおどのに嫁げ」

「……え?」


 父の言葉に呆け、思わず疑問の声音が、出た。

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