エピローグ
エマニュエルは今日も窓からオリオールの街を眺めていた。
往来の人々は慌ただしく流れて行き、領主の館の執務室の窓には見向きをするはずもない。そんな余裕がないのだろう。誰もが前を向いているが、注視しているのは自分の頭が向いている方向だけだ。
そんな光景を見て、領主は自分の施策が間違っているのではないかと不安になる。だがその問いに答えをくれる者は、彼の側には誰一人としていない。
ふうとため息を吐きながら踵を返し、執務机に着くと、廊下から騒がしい足音が聞こえてきた。
自分でも足音が大きくなっている自覚はあるだろうに改めようともしていない、興奮状態であることが窺える。領主はやれやれ、とまた一つため息を吐いた。
それが部屋の前で止まると、ノックもなしに勢いよく扉が開かれる。
そこにあったのは燃えるような赤い髪に宝石のような瞳。だが身体には可憐な容貌に似つかわしくない無骨な軽鎧が纏われていた。
実の娘でありオリオール騎士団団長、クレア=デ=オリオールだ。彼女は勢いそのままにぐんぐんと歩を進めながら尋ねる。
「領主様、あれは一体どういうことですか?」
「何がだ?」
もちろんわかっているが敢えて聞く。
「とぼけないでください。年端もいかぬ少年を騎士団に入団させるという話です」
エマニュエルはティオを騎士団に入団させる為、やや強引な手段に出た。それは騎士団に「ティオという子供を入団させる」という決定事項としての通達を行うことで、しれっとするっと入団させるというものだ。
しかし、わかってはいたが無理だった。あちらへ通達がいったのはつい先程のことだと思われる。見た瞬間にこちらへ来たのだろう。
「知り合いが亡くなったのだが、そいつには一人息子がいた。孤児院に入れる予定なのだが、騎士団に入って剣の腕を磨きたいと言っていてな」
「それは別に騎士団に入らなくても出来ることでしょう」
「環境として理想的なのは事実だ」
「子供一人の成長のために騎士団を利用しないでください」
娘の言うことは至極もっともで反論の余地はない。
しかし、戦死してしまった元部下の為にも、ティオの望みを叶えてやりたい領主としては何とか押し通すしかないのだ。
「取引をしよう」
「取引?」
クレアが怪訝そうに眉根を寄せる。
「私の願いを聞いてくれれば、そちらの願いも何か一つ聞く。もちろん私の出来る範囲に限られるが」
「それは取引として成立していません」
「何故だ?」
「あの年頃の少年を騎士団に入団させるというのは、団長である私の権限ですら可能な範囲を逸脱しています。幹部で協議した末に、特別入団試験などの前例のない措置を設けることが妥当でしょう。しかし、それでも抵抗があります」
ああ、そうだ。お前は小さい頃から正義感が強く真っ直ぐな子だった。その続きは聞かなくてもわかる気がしている。
エマニュエルが目を細めるのも気に留めず、クレアは続けた。
「人々の前で試合をさせ、大人に打ち負かさせる。そのような辱めを子供にする者たちをしてどうして騎士団と言えましょうか」
そう、彼女の言うことはやはり正しい。娘として誇りにすら思う。
だが今回ばかりはちと事情が違うのだ。
「その特別入団試験とはどのような試験になる?」
クレアは話を聞いていたのか、と言わんばかりに唇を尖らせつつも答える。
「幹部候補生でないのなら実技試験のみになると思いますが」
「相手は?」
「今年入ったばかりの新入団員になるかと……それが何か?」
「ならば問題はない」
「え?」
「あの少年なら勝てる可能性が高い。少なくとも、辱めと思われる程の一方的な試合にはならないはずだ」
「そんなこと、」
これ以上の押し問答は時間の無駄だ。エマニュエルは強硬手段に出る。椅子から立ち上がってクレアの言葉を途切れさせると、潔く素早い動作で腰を折った。
「頼む、この通りだ。亡くなった知人は戦友とも言えるやつだった。最後にその子供の我がままの一つくらいは聞いてやりたい」
「……っ!」
クレアはそんな父親の姿を見て、怒りや悲しみが入り混じったような複雑な表情をその顔に浮かべる。
そして俯き、両の握り拳に力を込め、全身を震わせながら呟いた。
「何で、そんなっ……」
だが領主は微動だにしない。良い返事がもらえるまでは決して頭を上げるまい、という決意すら感じられるほどだった。
クレアは深呼吸をすると平静を取り戻してから口を開く。
「わかりました。やれるだけのことはやってみます」
「感謝する」
「ただし、あくまでも取引としてです。それ相応にこちらの多少無茶なお願いも聞いていただきます。それでいいですね?」
「ああ、構わない」
「では失礼します」
エマニュエルが顔を上げると、クレアはさっさと部屋を出て行こうとしているところだった。
だがその背中は、扉を開けたところで立ち止まる。
「……随分とその子供に構うのね。私の時は何もしてくれなかったのに」
それだけ呟いた彼女が部屋から出て行くと、扉は静かに閉まった。
一通りを見送ったエマニュエルは椅子に座り直し、誰も聞いていないにも関わらず、ぽつりと言い訳をする。
「それはお前のことを本当に愛しているからだよ」
この街の領主は実の娘が騎士団に入ると言い出した際に反対をした。
母親に似てあれだけ器量好しな娘が、剣を持ち、あまつさえ血しぶきの舞う戦場に行こうというのだ。賛成できるわけがない。
誇りに思ったのもまた事実だ。その動機は自らの力で大切な人たちを、領民たちを守りたいという立派なものだったから。
しかし、それはそれ。これはこれ。いくら立派な志があったとしても、父親としては騎士団には入って欲しくなかった。
だがそんなエマニュエルの意に反して娘は入団試験を突破して騎士団に入り、剣の腕を磨いてあれよあれよという間に出世して団長にまで上り詰めてしまう。流石に団長はあり得ないと思ったが、聞けば前団長が有能ではなかったこと、そして皮肉にも領主の娘だからと、推すものが内部に多かったことが要因らしい。
エマニュエルは焦った。途中で音を上げて辞めてくれればよかったものを、このままでは生涯を騎士として終えてしまう。
どこかへ嫁いで平穏な暮らしをして欲しかった父親としては、何とかして団長の座から引きずり降ろしたい。
そんな折にあの大盗賊団、マデオラファミリーが現れる。
彼らは非常に残忍かつ凶悪で、特に首領のマデオラは魔王の再来ではないかと噂される程に強く、それまでのオリオール騎士団では手も足も出なかった。
クレアたちが手をこまねいている間にもオリオールやその周辺の領民への被害は増えていく一方だ。これなら、その責任を問われて団長の座を降りることもあるかもしれないと考えていた。
だが、そこで現れたのがシキガミ=トオルだった。
彼は騎士団にとっての救世主で、マデオラファミリーの死神となり、エマニュエルには悪魔として映った。
シキガミ=トオルはマデオラファミリーを壊滅させた。それほどの力を持った者が今までどこでどうしていたのかなど謎は多いが、とにかくそれは事実だ。
聞けばシキガミは傭兵のような立場で騎士団と協力関係を結んだと聞くし、このままではクレアの向かうところ敵なしになってしまう。
そこでエマニュエルはカーマインを暗殺に向かわせたのである。
本来大盗賊団が滅び、騎士団が強くなるというのは領主としては歓迎すべきことである。領主は自分が何をしているのかわかっていた。
しかし、彼は領主である前に一人の父親なのだ。領主だって前任者から引き継いで、家族の為に仕事としてやっているに過ぎない。
エマニュエルにとっては家族の幸せが全てであり、その為なら悪魔にだって魂を売ってやるつもりだった。
だが、やはり悪いことはするべきではないなと思う。
結果としてエマニュエルは大切な部下を失い、何かあった時に頼れる者がいなくなってしまった。
もちろん他にもカーマインのように暗部として動いてくれる者はいるが、彼に比べれば全ての面において一回りも二回りも劣る。
領主は今回限りで裏の活動からは手を引くことを決めた。後は大いなる流れの中で、せめてティオが元気に過ごせるよう出来ることをやるだけだ。
もっとも、あの少年が放つ眼光は異様そのものだった。誰もが思い描く「元気に過ごす子供」の生活とはかけ離れた様相を呈するかもしれないが。
エマニュエルは椅子から立ち上がり、執務室を後にする。
現在領主の館に人影は少なく、廊下にはこつこつと硬質な足音が響き渡っていた。元より雇っている使用人の数も必要最小限だ。クレアが出て行ってからはここも寂しくなる一方だと、珍しく感傷に浸る自分に気が付き、領主は苦笑を浮かべる。
しかし、とあることを思い起こす。
自分のことながら一つだけ理解出来ないことがあった。グラスの村の農地を接収しようとした件だ。
あれをオリオールのものにしたところで益は薄い。今考えても何故あんなことをしようとしたのか理解できず、本当に魔が差したとしか言いようがなかった。
まるで、天からの声でも聞いたような……。
結局、あれのおかげで父親の鼻を明かすべく功を欲していたクレアと、シキガミ=トオルが手を組み、盗賊団を壊滅させるきっかけを作ってしまったのだ。
まあ、今更考えても仕方がないことなのだが。
自室の前に到着すると、扉を開けて中に入る。
淀みなくワインセラーの前へ進むと中から一本のワインを取り出した。グラスも用意してテーブルに着き、その中に赤い液体を注ぎ込んで行く。
カーマインが居なくなってからは酒を嗜む機会も増えた。
それはやるせなさと言った負の感情ではなく、どちらかと言えば悪友をあの世に送り出す為の儀式というような、正の感情から来る行動だ。
エマニュエルはグラスに反射して映る己の姿を見つめながら言った。
「これで良かったのか? カーマインよ」
その質問に答えてくれる者は、もういなかった。
〇 〇 〇
勇者になりたかった。
勇者になれば全てが手に入る。腹いっぱいに食べるご飯も、雨風をしのげる家も。
自分を虐げる奴らを、殺す力も。
貧民街に生まれたティオの人生は熾烈を極めた。
父親からの虐待。家を一歩出れば蔓延る暴力や窃盗を始めとした犯罪の数々。母親は生きているのかどうかすらわからない。
ただ生き延びるためだけに剣を握った。買う金なんてないので、その辺で拾ったものを適当に使っていた。
使い方を学ぶとか練習をするとか、そんな生温いことは言っていられない。毎日が練習で実戦だった。
それでも幼いティオがそう簡単に大人たちに勝てるはずもなく、しばらくはどうにもならない日々が続く。
あれはいつだったか詳しくは思い出せないけれど、雨が降ったことは覚えている。
その日もティオは自分より年上と思われる少年たちに力ずくで食料を奪われ、途方に暮れたまま道を歩いていた。
すると、道端からこんな声が聞こえてくる。
「こんな小さな子供にまで……。神様ってのは残酷だねえ。いっそのこと、勇者の力でも与えてやればいいのに」
ふと視線をやれば、その言葉を発したのは見たこともない老人だった。
話を聞けば、この世には勇者という無敵の力を持つ者が存在するらしい。そして、その力は突然に天から与えられるものだという。
勇者は魔王を倒すことが出来る唯一無二の存在であるが故に、国から金や食料、住居に至るまで全てのものを支援として受け取るそうだ。
だが、どういった者がその力を与えられるのか、今のところ法則性を見出すことは出来ていないらしい。
突然天空から光が差し込んで来る錯覚を起こす。
そんな力があれば、ここにいる奴らと戦っても負けることはない。そうなれば食料も住む場所も、全てが思い通りになる。いや、そもそも勇者には国からそれらを与えられるのだったか。
逸る思考を抑えつつ、どうやったら勇者になれるの? とティオは尋ねた。
「さっきも言ったけど、それはわかってないんだ。本当にある日突然、天から力を与えられるらしいんだよ。それに今は無理だ。勇者になれるのは一人だけで、その勇者は今魔王軍と戦っている真っ最中だ」
ティオは絶望した。
勇者はこれまでにも多くの魔物を倒し、人々を救って来たとのことだが、ティオに言わせればそんなのは知ったことではない。勇者がパンをくれるわけでもないし、この身を守ってくれるわけでもないのだ。
いっそのこと魔王に倒されてしまえばいいと思った。そうすれば自分にもチャンスが巡って来る。
一言礼を言ってその場を後にした。
その老人は後日、物言わぬ姿となって路上に転がっていた。
〇 〇 〇
「それまで!」
試合終了の宣言が場内に響き渡る。しかし、それは高らかといった感じではなく、いくらか戸惑いの表情を含んだものだった。
「おいまじかよ」
「あいつ、手抜きすぎだろ」
「いや、でも剣筋は本物だったぞ?」
「かなり独特だけどな」
ここはオリオール騎士団の本部内にある訓練場。
騒ぐ騎士たちの視線は、訓練場の中央にいる二人の人物に向けられている。片や若手の新人騎士団員、片や金髪の、まるで散歩中に親とはぐれて迷い込んでしまったのかと思ってしまうような、幼い少年だ。
青年の屈辱に歪んだ顔色を見れば、どちらが勝者なのかは一目瞭然だろう。だが、少年の方はすでに試合結果には興味を失っており、視線は明後日の方向を向いている。
「ティオ」
呼ばれてティオはこちらに歩いて来る女性の方を振り向く。
入団試験の審判を務めた人で、オリオール騎士団の団長らしい。名前はクレアと言っただろうか。赤い髪が特徴的なので顔と名前はすぐに一致しそうだな、と思った。
「入団試験は合格よ。明後日から早速来てもらうわ。途中入団だから入団式とかはしてあげられないけど」
「わかりました。ありがとうございます」
エマニュエルに言われて敬語はしっかり覚えてきた。
クレアは優しく接してくれてはいるが、戸惑う雰囲気を隠しきれていない。自分くらいの年齢で入団しようとする子供は今までいなかったというから当然だろう。
しかし、こればかりは譲れなかった。
騎士団にいれば剣の腕を磨けるし、お金をもらえて早く独立出来るし、様々な情報を比較的容易に入手できる。
空き時間をカーマインの仇の捜索に使えて、出会えたらすぐに殺せるのだ。
その後のことは特に考えていない。人を殺せば捕まるが、止むを得ない状況なら捕まっても構わないと考えている。
ティオは一歩を踏み出した。
全身にあった痣は、いつの間にかなくなっていた。
〇 〇 〇
以降の更新はありません。ありがとうございました。
腰の低い会社員、異世界で死神になる 偽モスコ先生 @blizzard
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