6つ目


 分かったことが三つある。まず私のヘアピンはお兄さんからもらったものだということ。やっぱりお母さんからもらったものではなかった。

二つ目は依然流れてきた記憶で小野蓮が歌っていた歌は兄から教わったものではなく、何年も前に私が教えたものだったということ。

そして三つめは、ずっと前に私は小野蓮に恋をしていたということ。いや、ずっと前から恋をしていた。恋をずっと前からしていたせいで恋をわからなかった。

私は最後の一つのピースをはめることにした。鞄についていたキーホルダーを外す。パズルのピースの形をしたチャームから金具を外す。チャームの表側は宇宙柄だったが、裏側は黒地に白い線が入っているだけだった。このキーホルダーを見たときから奇妙な柄だなと思っていた。だが今になってわかった。この白い線は流れ星なのだ。お兄さんからもらったヘアピンと一緒で、流れ星を表していたのだ。一回見ただけではわからないが、今ではわかる。

裏側だと思っていたものは実は表で、したことがなかったことはずっと前からしていたのだ。

最後のピースを埋め込む。今度はどんな記憶を見れるだろうか。



何も見れなかった。



「どうして?」


 わからなかった。どうして何も起こらないのか。もう少しですべてを知れるのに、その直前で何もできなくなったような気分だった。

私はまだ知らなくちゃいけないことがある。、まだ知らないことがある。別に誰かにそう言われたとか証拠があるとかではないが、そういう気がした。

どうして何も起こらないのか。ピースの向きが違っていたのか。いや、向きは合っている。ちゃんと隣のピースと噛み合っている。ピースを埋めるというのが最後のやるべきことだったのか。いや、そんなはずはない。それについては強い確信があった。

どうして何も起こらないのかを考えてみたが、何もわからなかった。とりあえず、今はめたピースを抜いてみることにした。

 流れ星のピースに手をあてて角をつまむ。


「あれ?」


 取ろうとしたが取れない。まるで埋め込んだ瞬間に糊付けされたみたいに。無理やりにでも抜こうとした。

 力を加えてピースを引っ張った。するとピースとともにパズルが崩れた。すべてのピースが床に散らばった。

 すべてのピースが取れてしまったのに最初はひどく驚いたが、すぐに分かった。パズルの台紙に文字が書いてあったのだ。その文字は最初の時点ではなかったのに現れた。おそらくピースの裏側に、インクがピースの内側から台紙に染み出るように細工がされていたのだろう。

 私は文字を読んだ。


 あの丘で待っている。


 台紙にはそう書いてあった。それ以外は小野蓮という名前と学年以外何も書かれていなかった。

 あの丘で待っている。このあたりに丘はいくつかあった。だがどの丘に行けばよいのかはわかっていた。よくお兄さんと一緒に行ったあの丘に違いない。

 私は美術室から飛び出し、急いで丘に向かった。




「お兄ちゃんお風邪なの?」


 少女が心配そうに聞いた。


「そうよ。千尋にうつると大変だからあっちに行ってなさい。」


 少女の母が言った。


「お兄ちゃんと遊ぶ!」


「ダメよ。お兄ちゃん今大変なんだから。」


「やだ!遊ぶ!」


 少女が駄々をこね始めた。少女の母はひどく困った。母は少年の看病をしないといけない。そのため少女と遊ぶことが出来ない。少女の父親は仕事に行っていて、夜まで帰ってこない。

困っていた時に家のチャイムが鳴った。母がはーいと言って玄関の方に向かう。少女もつられて玄関へと向かう。

扉を開けると近所に住む少年がいた。少年は少女の兄と同じ年齢でよく少女の兄と一緒に遊んでいた。少年は紙袋を持って立っていた。


「あら、蓮君じゃないの。どうしたの?」


「お母さんにこれを持っていきなさいと言われて来ました。」


 母がお兄さんから紙袋を受け取った。紙袋の一番上にはメモ書きがあった。


「藤崎さんへ。徹君の看病で家事が手に付かないでしょうからこれを夕飯に食べてください。それとこの前頂いたお土産、おいしくいただきました。」


 紙袋にはこのメモ書きと肉じゃがが入っていた。


「ありがとうね蓮君。それとお母さんにもありがとうと伝えといてくれるかしら。」

「はい。それと徹の様子はどうですか?」


「徹はまだ治らないのよ。」


「チヒロはお兄ちゃんと遊ぶの!」


 母が少女の方を見た。


「だからだめだって言っているでしょう?」


「あの…」


 少年が口を開いた。その声に少女と母は反応した。


「よければ僕が千尋ちゃんと遊びましょうか?そうすれば徹の看病もできますでしょうし、千尋ちゃんも退屈しなくて済みますし。」


 母が少し考えた。確かにそうすれば少女は退屈をしなくて済むし、母も少女の兄の看病をすることが出来る。だが夕飯のおかずをもらってさらに少女の遊び相手にもなってくれるというのはいささか申し訳ない気がした。

 母は深く考えて結論を出した。


「じゃあそうしてくれるかしら?」


「はい。」


「ごめんなさいね。千尋の子守を頼んじゃって。あとでお母さんには蓮君を褒めるようにって連絡しておくわ。」


「はい。」


 少年は少女の手を取り、それじゃあ遊びに行こうか千尋ちゃん、と言った。



「この花はワスレナグサって言うんだ。この花にはある悲しい物語があるんだよ。一人の少年が恋人にこの花をあげようとしたんだ。でも少年は川に転落してしまう。その時に少年は川に沈みながらフォーゲットミーノットとつぶやいたんだ。これは英語で『私を忘れないで』という意味なんだよ。」


 そういって少年ははっとした。


「おかしいよね。僕、男なのに花について詳しいなんて。」


「おかしくなんてないよ。お花は綺麗だからみんな好きだよ。」


 少女が不思議そうな顔をして言った。


「ありがとう。そうだ、もう一ついいことを教えてあげる。こないだ千尋ちゃんが言っていた彼岸花って花あるでしょ?」


「うん。」


「あの花に似ている花があるんだ。僕が知っているのはネリネって花とリコリスっていう花。この二つはとても見た目が似ているんだ。でも花の持つ意味が違う。」


「花に意味があるの?」


「そうなんだ。花言葉って言ってね、花それぞれに意味があるんだ。でも色とか地域によって違ったりするんだけどね。さっき言ったワスレナグサの花言葉は『私を忘れないで』。英語で言うとフォーゲットミーノット。死んでしまった少年の最期の言葉がそのまま花言葉になっているんだ。」


 そういって少年はワスレナグサを優しく撫でた。少女はそれを見て少し嫉妬したようだった。それに気づいた少年は少女の頭を撫でた。少女はにんまりと笑った。


「リコリスの花言葉は誓い。ネリネの花言葉はまた会う日まで。どっちも別れるときに送られることが多いんだ。」


「ふーん。」


 少女は大きな目をぱちくりさせながら言った。


「チヒロ、そのお花嫌い。」


「おや。どうして?」


 少女はプイっとそっぽを向いた。


「チヒロはずっとお兄ちゃんと一緒に居たいもん。だからお別れのお花は嫌い。」


 少年は薄く微笑んだ。


「さっきも言ったけど、花言葉は色や地域で違うんだ。つまり花言葉は人間が勝手に決めたものでしかないんだよ。」


「彼岸花と同じ?」


「そう。彼岸花と同じで人間が勝手に決めたもの。だから花言葉が嫌だからって嫌うのは花が可哀そうだよ。」


 そう言うと少女は少年の方を見た。


「お兄ちゃんはそのお花好き?」


「うん。花言葉関係なく好きだよ。だから千尋ちゃんにも好きになってほしいな。」


「わかった!」


 少女は大きく笑った。



「はい!お兄ちゃん。いつもありがとう!」


 そういって少女は少年に紙袋を渡した。


「千尋ちゃん。これどうしたの?」


 少年が袋の中を見ながら言った。袋の中にはクッキーが入っていた。ウサギの形や花の形など可愛らしいものばかりだった。


「今日はばれんたいんって日なんだって。お母さんが言ってた。好きな人にお菓子をあげてありがとうって言ったり、好きだってことを伝える日なんだって。」


「バレンタインか。このクッキー千尋ちゃんが作ったの?」


「そう。お母さんと一緒に作ったの。」


 少年が花の形のクッキーをひと口かじった。


「美味しい?」


 少女が心配そうに聞いてきた。


「うん。美味しいよ。」


 少年が優しく言った。すると少女はニコッと笑ってよかったと言った。

 冷たい風が二人に吹いた。少女がクシュンとくしゃみをした。それを見た少年は自分の首に巻いていたマフラーを解いて、少女の首に巻いた。


「お兄ちゃん寒くないの?」


「僕は大丈夫だよ。千尋ちゃんが風邪ひいちゃったら僕が千尋ちゃんのお母さんに怒られちゃう。」


「そしたらチヒロがお母さんを怒る!お兄ちゃんといじめるのはチヒロが許さない!」


 少年が笑った。少女が頬を膨らませて怒った。


「どうして笑うの?」


「いや、可愛いなって。」


 そういって少年は少女の頭を撫でた。少女は膨らませていた頬を赤くした。少女は少年が言った可愛いという言葉を聞き逃さなかった。

 少年が一口かじって欠けたクッキーを持ちながら言った。


「お花は暖かい場所よりも少し寒いところの方が長く綺麗に咲いているんだよ。」


「そうなの?」


「うん。お花がちゃんとしなきゃって思って背筋を伸ばすようにシャキッとするんだ。」


 そういって少年は手に持っていたクッキーを口に放り込んだ。


「うん。美味しい。ありがとう。」


 少年は少女の手を握って歩き始めた。



 少年と少女が丘の上にいた。少年はスケッチブックを持っていた。少女はそのスケッチブックに描かれるものを見ていた。


「私、お兄ちゃんの絵が好き!」


 少女の言葉に少年は驚いていた。少年はあまり人の前で絵を描いたりしない、さらに言うと他人に自分の絵を褒められたことがなかった。

 少女は、少年の描く絵も好きだったが、何より少年が楽しそうに絵を描く姿が好きだった。だが少女は幼いながらに、この感情を告げるのは恥ずかしいなと思っていた。

 少年はゆっくりと瞬きをして口を開いた。


「ありがとう。」


 少年は絵を描きながら言う。


「今まで絵を描くことを続けようかどうしようか考えていたんだ。誰にも絵を褒められたことがなかったからね。でも千尋ちゃんが僕の絵を好きって言ってくれるんなら、続けてみようかな。」


「絵を描くのを続けるってどうやって?」


 少女が無邪気な瞳で少年を見つめながら言った。少女の目に少年の顔が映る。


「んー。例えば美術部に入るとか。絵を描く学校に通ったりとか。でも絵を描く学校には通わないかな。部活で描くくらいでいいや。」


 少年の描く絵が徐々に完成に近づいていく。少年は丘の上から見える景色を紙に描いていた。


「お兄ちゃんが絵を描くんならチヒロも描く!絵が上手くなったらお兄ちゃん褒めてね!」


 少年は少女の頭を撫でた。


「千尋ちゃんは僕を超えられるかな?」


 この言葉に少女は闘争心を燃やした。


「超えられるもん!絶対にお兄ちゃんよりもうまくなってやる!」


 少年の笑い声が響く。それに対して少女は笑うなと怒っている。



「お兄ちゃん。この蝶々動かない。」


 そういって少女は地面に落ちていた蝶々の死骸を指さした。

 少女に呼ばれた少年は少女の指さす方を見た。


「この蝶々は死んじゃったんだ。だからもう動かない。」


「そうなの?お別れなの?」


「そう。」


 少女はしゃがんで蝶を間近で見た。少年もそれにつられてしゃがむ。


「どうして生き物が死ぬときってひとりぼっちで死ぬんだろうね。誰かと一緒なら寂しくないのに。」


 少年が言った。


「一度お別れするから、また会えるんだよ。」


 少女が無邪気に言った。




 走りながらいろんなことを思い出した。そうだ。私はずっと蓮兄ちゃんに恋をしていたんだ。恋を知らないわけではなかった。恋は盲目という言葉の通り、恋をしていたからわからなかったんだ。お兄ちゃんに恋をしていたからそれ以外の人に恋心を抱くことが出来なかったんだ。

 事故に遭ったせいでずっと忘れていた。思い出せなかった。

 でもお兄ちゃんのパズルのおかげで思い出せた。

 やっと思い出せた。思い出したかったのに思い出せなかったもの。思い出したかったのに、思い出したいという感情さえも忘れていたもの。今ならはっきりと思い出せる。どんな顔をしていて、どんな声で、どんな人だったのか。

 外の世界はもう暗かった。街灯のおかげで道の様子がかろうじてわかるくらいに暗かった。だが、私は迷いのない足取りで進んでいく。

 最近は通らなかった道だ。昔に比べてずいぶんと周りの景色が変わってしまっている。でもこの道であっているという自信はあった。それも当然だ。大好きな人と何回も通った道だから。思い出のある道だから。自然と足が進んでいく。

 あともう少し。あの角を曲がればいつもの丘が見える。

 私の身体はもう疲れ切っていた。そうだ。あの角を曲がって丘が見えたら少し休憩しよう。急がないといけないという思いがさっきまであったはずなのに、今はそんな思いはなかった。お兄ちゃんは待っていてくれる。そんな確信があったからだ。

 角を曲がって膝に手をついた。下を向いて息を整える。整えながらあることに気づいた。夜だというのに、明るい光があったのだ。ある程度まで呼吸を整えて前を向くと、そこには目を疑うくらいに綺麗な光景が広がっていた。

 たくさんの青い花が光っていたのだ。それもこの丘で咲いたのを見たことがない花が。


「リコリス。」


 私は自然とその花の名前を唱えていた。

この世のものとは思えないほど綺麗な景色を目に焼き付け、ふと丘の頂上の方へと目をやる。一人の人間がいた。私の高校の制服と同じ制服を着ている少年で、丘の上から町の様子を見ているようだった。私はその人物が誰なのかを知っていた。


「お兄ちゃん。」


 その言葉が意図せず出てきた。そう。あのパズルを作った人物。小野蓮がそこにはいた。

 私はまた走り出した。丘の緩やかな坂は思っていたよりも急だったらしく、走ってもあまり進まない。それでも私は走る。そこら中に咲いているリコリスをかき分けながら走った。リコリスが揺れていく。揺れたリコリスが隣にもあたる。それを繰り返して全てのリコリスが揺れていく。


「お兄ちゃん!」


 私はお兄ちゃんに聞こえるように叫んだ。お兄ちゃんは気づいてこっちを向いてくれた。

 いつものあの微笑み。懐かしい。懐かしくて涙が出てきてしまった、

 私は泣きながらお兄ちゃんのもとへと走る。


「お兄ちゃん!」


 私はお兄ちゃんに抱きついた。


「お兄ちゃんごめんね。私ずっと忘れてた。思い出せなかった。お兄ちゃんの事大好きなのに。」


お兄ちゃんはよしよしと言いながら頭を撫でてくれた。


「仕方ないよ。千尋ちゃん、事故に遭って記憶喪失だったんだもん。気にしないで。」


 私はお兄ちゃんの顔を見た。お兄ちゃんは笑っていた。

 ああ。懐かしい。そうだ。お兄ちゃんはこんな顔をしていた。優しくて大好きなお兄ちゃん。

 お兄ちゃんは少し屈んだ。耳元にお兄ちゃんの口が来る。吐息は聞こえなかった。本当にお兄ちゃんはもう生きていないんだ。その事実が私を痛めつける。

 お兄ちゃんは本当に生きていないんだ。今こうやって抱きしめられるのは奇蹟なんだ。知ってはいたけど、この事実はやっぱり痛かった。


「そういえば前に千尋ちゃんが僕の事好きって言ってくれたよね。あの時僕は『ありがとう』って言って僕の気持ちのことは何も言わなかったね。」


 そういってお兄ちゃんは私の耳元に手をあてて、私にしか聞こえない声で呟いた。

 僕も千尋ちゃんが好き。

 私は目を大きく開いた。大きな涙が頬を伝って地面に落ちる。

 その言葉が、お兄ちゃんの言う好きがどういう好きなのかはわからない。一人の人間としてなのか、あるいは一人の女の子としてなのか。はたまたその両方なのか。どれにしても私にとってこれ以上ないくらいに嬉しい言葉だった。

 涙を隠すように私はお兄ちゃんに強くしがみついた。


「おやおや。千尋ちゃんは昔に比べてずいぶんと泣く子になっちゃったね。」


 お兄ちゃんはそう言ってまた頭を撫でてくれた。

 十分ほど静かに頭を撫でた後お兄ちゃんが口を開いた。


「ごめんね。もう時間みたいだ。」


 そう言うとお兄ちゃんは私から離れた。

 お兄ちゃんが足元から消えていく。それと同時に風が吹いてリコリスの花を散らしていく。


「千尋ちゃん。ワスレナグサの花言葉を覚えてるかい?」


「私を忘れないで」


 即座に答えた。


「そう。千尋ちゃんに一つお願いがあるんだ。」


 お兄ちゃんは私の頬に手をあてた。そのまま頬を撫でるようにして手を動かした。


「今度は僕のことを忘れないでほしい。」


 お兄ちゃんは悲しそうに言った。いくら事故にあって記憶を失ったからといっても、やはり忘れられていたのは辛かったのだろう。


「忘れられるわけがない。こんなにも人を好きになることはもうきっと二度とないだろうから。」


 お兄ちゃんは涙を流した。頬伝って地面に落ちると思ったが、頬から離れた瞬間に涙は消えた。

 お兄ちゃんは突然歌いだした。

 

 たとえ声がなくても、聞こえなくても

 届いてほしい。願った。


 甘く消え入りそうな声だった。途中から私も一緒に歌った。


 世界に見放されても、笑われても。

 あなたが認めてくれる。

 それだけでもういいんだ。


 歌い終わって二人で笑った。


「千尋ちゃん、あの頃と変わらないね。相変わらず可愛い歌声だ。」


「お兄ちゃんも変わらないね。安心した。」


 また笑った。ああ。このまま時間が止まればいいのに。


「このまま時間が止まればいいのにね。」


「それ、私も今思った。」


「そうなんだ。」


 また笑った。これで三回目だ。どんなに些細な幸せも今なら大きな幸せだと思えた。再会できたこと。二人で歌えたこと。二人で同じことを思ったこと。お兄ちゃんも私を好きだと言ってくれたこと。

 お兄ちゃんの身体の半分が消えていった。お兄ちゃんとお別れするのももうすぐだ。

本当はもっと一緒に居たい。でもそれを口にするとお兄ちゃんを困らせてしまう。

私は言葉を我慢した。


「また、会えるかな。」


涙をこらえながら言った。声が震えていたのにお兄ちゃんは気づいたらしい。


「きっと会えるよ。『一度お別れするから、また会えるんだよ。』って千尋ちゃんが言ってたじゃないか。」


 そんなこともあったな。

本当はもう会えないというのはわかりきっている。お兄ちゃんもわかっていただろう。でもお兄ちゃんは私を傷つけないためにまた会えると言った。絶対ではなくきっとと付け加えて。


「今になっちゃってごめんね。千尋ちゃんの記憶が戻った日にこれを渡そうと思ったんだ。」


お兄ちゃんは私の髪に触った。何かが髪に引っかかっているのがわかった。取って見てみると、花のついた髪飾りだというのがわかった。


「これって。」


「ワスレナグサ。花言葉知っているでしょ?さっき言ってたもんね。いつも髪につけてとは言わない。ただ、これを見るたびに僕のことを思い出してほしい。」


「お兄ちゃんのことは忘れないよ。でも、これを見るたびにお兄ちゃんのことを思い出すね。」


 涙が出てきてしまった。もう限界だった。少しでも誤魔化すために私は笑った。お兄ちゃんは私の涙に気づかないふりをしてくれた。


「それじゃあ。もう行くね。」


 お兄ちゃんは目を閉じた。お兄ちゃんが消えていく。それと同時に光っていた周りのリコリスが強く光った。気づくとリコリスがネリネに変わっていた。どうして変わったのかは何となく予想がついた。


「『誓い』から『また会う日まで』か。お兄ちゃんはずるいなあ。」


 私は一人で下を向いて泣いた。

 泣いている間、ネリネは光ってくれていた。



 雪が降っていた。白いヘアピンとその下に花の髪飾りを付けている少女は、耳と鼻を真っ赤にしながら学校へと向かっていた。

 朝のホームルームを終え、授業を受ける。二限目には教室の中はもう暖かかった。おかげで冷え切っていた少女の身体は温まった。

 少女はいつものようにつまらなそうに授業を受ける。つまらなすぎて途中、ノートに絵を描いたりした。少女は花の絵を描いた。

 午前の授業が終わり、昼休憩となった。いつもと同じように少女は友人と昼食をとる。


「そういえばその髪飾りどうしたの?」


 少女の友人が訪ねてきた。少女の髪には髪飾りが二つ付いていた。だが、少女にはどちらの髪飾りについて言われたのかを分かっていた。


「大好きな人にもらったの。」


 少女は幸せそうに笑った。その表情を見て少女の友人は驚いた顔をした。


「千尋がそんなに嬉しそうな顔をするなんて珍しいね。よほど大好きな人にもらったんだね。そんな人が千尋にできて私は嬉しいよ。」


 少女の友人は嬉しそうに言った。

 昼休憩が終わり、午後の授業が始まった。午後の授業は世界史と日本史だった。少女はこの授業の並びが嫌いだった。時代も場所も違う歴史について連続で学ぶというのが嫌いだった。

 興味がないのと教室全体が暖かいのが相まって、少女は眠ってしまった。

夢は見なかった。だが、目が覚めるときに足が思い切り机に当たってしまい、クラスのみんなに注目される羽目になった。恥ずかしい気がしたが、気にしないようにすることにした。気にしないようにするために、少女は楽しかったことを思い出すことにした。

思い出を振り返っていると、あっという間に授業が終わり、ホームルームの時間になった。帰りのホームルームが終わり、掃除の時間となる。

少女は一刻も早く部活をしたかった。少女はリュックを背負い、大きな手提げ袋を持って廊下を走った。走ったと言っても小走りだったため、人にぶつかることはなかった。

部室である美術室に着くと、まだ掃除をしていた。廊下で少女は待っていた。

少女は歌を歌って待っていた。


 たとえ声がなくても、聞こえなくても

 届いてほしい。願った。

 世界に見放されても、笑われても、

 あなたが認めてくれる。

 それだけでもういいんだ。


 歌い終わって美術室の中を確認すると、掃除終わりの挨拶をしているところだった。

 美術室の中から掃除をしていた生徒と監督の先生が出てくる。監督の先生、美術部の顧問に声をかけられた。


「最近よくその歌を歌っているな。」


「この歌が好きなの。」


 少女の兄が作ってくれた歌だった。だが、この歌はそれ以外にも特別な意味が少女にはあった。


「大好きな人との思い出の曲だから。」


 それを聞いた美術部の顧問はからかうことなどせず、そうか、と言った。

 美術部の顧問は職員室に向かおう歩き始めたが、数歩歩いたところで足を止めた。振り返って少女に言った。


「そういえば藤崎。あのパズルどうするんだ?持って帰るのか?」


 少女は振り返った。


「うん。今日額縁と手提げ袋を持ってきたから、持って帰るつもり。」


「そうか。雪が降っているから気を付けて持って帰ろよ。藤崎の身体も心配だが、パズルも慎重に持っていけよ。壊れたら作ったやつが悲しむからな。」


「大丈夫だよ。何が何でも壊さずに持って帰るつもりだから。」


 そういって少女は足を進めて美術室に入った。美術室の奥の方へと行く。一つの棚の前で少女は足を止めた。

 棚から一つのパズルを取り出す。星空と少年と丘の絵が描かれたパズルだった。

 少女はパズルを丁寧に額縁に入れ、家から持ってきた手提げ袋に入れた。

 その後、少女は絵を一時的に置くための棚の方へと向かった。そこから少女は自分の作品を取り出す。あともう少しで完成のようだった。

 少女はパレットに絵の具を出した。絵の具を出して、思い出したように袖をめくった。水を筆に付け、絵の具を掬う。

 その時に少女の先輩が二名、美術室に入ってきた。


「千尋ちゃん、相変わらず早いわね。」


「寒くないの?ストーブ点けていいんだよ?」


 先輩に言われて少女は美術室が寒いことに気が付いた。少女の先輩がストーブを付けた。ぼっという音とともに火が点いた。


「すみません。夢中になってて気づきませんでした。」


「夢中になることはいいことだよ。でも、身体には気を付けてね。この季節だと風邪をひいちゃうから。」


 ストーブを点けた男の先輩が言った。

 その後少女の先輩たちはいつもの場所で作業を始めた。少女も作業を再開した。

 青い絵の具を紙に塗り付ける。

 三時間ほどが経ち、少女の先輩たちが帰りの支度をし始めた。


「千尋ちゃん。もうすぐ下校の時間だよ。美術室の鍵閉めちゃうよ。」


「あともう少しです。鍵は私が閉めるので、先輩たちは先に帰ってていいですよ。」


「そう?それじゃあ、戸締りお願いね。」


 そう言うと少女の先輩は帰って行った。三十分ほどしてからやっと、少女は作業を終えた。

 少女は流しに行ってパレットを洗った。パレットを流し台に置いて乾かし、筆を優しく洗う。筆も乾かすために流し台に置いた。

 作業をしていた机に戻り、完成した作品を見た。


「うん。少しはうまくなったかな。」


 そういって少女は作品を乾かすために棚に置いた。少女は帰りの支度をし、リュックを背負い、パズルの入った大きな手提げ袋を持って美術室を出た。鍵を閉めて職員室に鍵を返しに行こうとするが、ストーブがつけっぱなしのことに気が付いた。鍵を開け、ストーブを消してから再び美術室の鍵を閉める。少女は今度こそ職員室へと向かった。

 美術室は静かになった。

 美術室の棚には少女の作品があった。

 青く光る花畑の中に二人の男女が抱き合っている絵だった。花は風で散り、空中を舞っていた。

 窓の外では雪が舞っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

足りないピースを埋め込んで 柏木琥白 @kashiwagikohaku_1127

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ