虫を取りたくない場合の話
まらはる
虫を取る理由
虫を取らなくてはいけない。
虫を取らなくてはいけない。
虫を取らなくてはいけない。
空は高く、熱い。
汗はとっくに干からびている。
照らす光に温情はなく、視覚まで焦がそうとする。
喉や口には、乾いて粘性の高い唾液がまとわりつき不快感が増す。
うんざりして、近くの木に背を預けて座り、少し休む。
細い幹と寂しい葉の茂りに、木陰なんて無いようなものだが、それでも動き続けるよりはマシだった。
夏か。
錯覚しそうになる。
こんな野山を歩く経験はあまり無かったから、「夏」という認識に乱される。
頭は痛みより、鈍い眠気のような重みで、容量を圧迫している。
まぁ、地獄だ。
ボクは今まで、クーラーの効いた涼しい部屋でアイスやジュースを片手にテレビゲームで遊ぶ夏が好きだった。
死にそうな高熱の中で、汚い山だの森だので、さらに体温を上げるように駆けまわって、気味の悪い虫を取るなど、いやだった。
でも、虫を取らなくてはいけない。
いろいろ考えたけど、それぐらいしかすることが思い浮かばない。
いやだな。
虫を捕まえることもそうだけど、捕まえた後もいやだ。考えたくない。
長い紐で肩から下げた虫かごには、すでに数匹の虫が入っている。
細長いやつ。
足がわさわさしてるやつ。
紐みたいなの生えてるやつ。
針みたいな角みたいなの持ってるやつ。
カッコいいという人もいだろう。
プロの描いた迫力あるイラストで、能力値と説明のついたカードゲームに出てくるならわからなくもない。
でも今のところ捕まえた虫たちの外見は、幼稚園児にクレヨンを持たせて描いた犬や花に近い。
虫かごから目をそらす。
セットで持っている、虫取り網の方に目をやる。
ボロそうな見た目で、黒ずんだ細い竹でできているのだが、これがなかなか壊れない。
いっそこいつでも壊れてくれれば、笑いもできるし、諦めがつくというのに。
だめだ。
やっぱり虫を取らなければならない。
空腹は我慢できない。
立ち上がってくるっと見渡す。
次に虫のいそうなところを探すため、だけでない。
ずっとボクを見守っているお姉さんがどこにいるのか気になったのだ。
お姉さん、と言って良いのか。たぶん良い。
女の人で背も高くて、自分より年上だけどきっとお母さんよりはだいぶ年下で、少なくともそう見えるから。
薄い一枚布の服……たぶんたしかワンピースってやつを着て、長い髪で、こんな熱いのに平気そうな様子だ。
にっこり笑顔が怖いけど、近くまでは来ないから、そんなに怖くない。
助けもしないし邪魔もしない。
見守っている、のだろうか。
なんにせよ、お姉さんはボクが見えるところにいつもいる。
お姉さんはほとんど何もしないけど、前に一度だけ。
ちょっと前の日に、ずうっと同じ方向へ歩いていたら
「うざいがき」
誰かにひどいことを言われたと、声の主を探そうとして、気づいたら目の前にいた。
さっきまで遠く後ろでついてきてたはずなのに。
「こっちはだめ」
それだけ言って、進行方向に立ちふさがった。
女の声は、洞穴を通る風のように響いた。暗い闇奥へ、岩壁をなでながら、ごうと吹くような音。
細身のお姉さんから出た声は、聞くだけなら見た目にそぐわぬ声だったのだが、なぜかそんな連想をした。
おかげで、捕まえた虫たちより気味が悪かったので、無理やり抜けようとしたり、言い返したりせずに別の道を行った。
振り返りながら進んだら、ある程度距離ができたところで、お姉さんはまたついてきた。
お姉さんが何なのか、なんとなく分かるけど、誰も教えてはくれない。
本人にも聞きたくない。
そして今また見つける。
頑張って石を投げても届かなそうな距離に、お姉さんはいた。
焼けそうな空気をたっぷり間に挟んだ向こう側だ。
休んでいたボクを見ている。
この世界にはボクとお姉さんしかいないのだろうか?
そんなことはないはずだ。
だって虫がいる。虫かごをもう一度一瞬だけ確認して、歩き出す。
しばらく、ボーっと歩く。
なのでどれだけ歩いたのかわからない。
距離も時間もあまり意味がない。
視界の端に、動くものを見つけて、陽炎でないらしいので、止まる。
獲物だった。そこそこに大きい。
手でつかんでもはみ出しそうな大きさの、長くて太めの、芋虫のなりそこない。
もっとも手でつかむのはギリギリまでやらないが。
そいつは木の根元で、大きめの落葉のようなものを、もそもそと食べている。葉っぱは人の手にも見えた。
単純な体調の悪さと、そんな見た目の虫を見たので、だいぶ気分が悪いが、虫取り網を振るう。
動きは遅く、飛ばない虫なので、捕まえるのは簡単だった。
網から虫かごに入れて、近くで眺める。
ほかの虫どもと合わせて、手狭になってきた。
「そろそろいいかな……」
一匹ずつでは物足りない。多少の量が欲しい。
なので、もう三匹くらい捕まえるつもりだった。
しかし、今の一匹が大きかったのと、我慢の限界に来てたので、頃合いとすることにした。
「……いた、っ」
思わずあいさつしそうになるが、それはダメだと学んでいる。手も合わせない。
――虫かごの蓋を開けて、手を伸ばし、わさわさ動く一匹をつかんで、口の中に放り込む。
細く硬めの、節のある虫だったので、口の中ががしゃがしゃする。少し傷もつく。
不味い。無機質な苦み。
生のピーマンのが万倍マシだ。
あるいは間違えて舐めたことのある、お母さんの化粧品のが千倍マシだ。
とはいえ味はもう慣れた。吐き気も忘れた。
そいつは生きているのだから、数口ほどは口の中で暴れたが、歯を無理やり動かせば、すぐに動きは減っていき、最後は喉をおとなしく通っていく。
そして胃に落ちるほんの一瞬だけ、小指の爪ほどの満足感がある。
それだけだが、そのためにこれをしている。
もう、すぐ次の一瞬で、どれほど悪い犯罪でもしてしまいそうなほどの空腹感が、血管から筋肉や骨に至るまで走りまわっている。
本当に、地獄なのだ。
ボクは、ガキだ。
わがままに生きて、物の大切さを知らず、贅沢だけしか知らないまま死んだ。
だからガキだ、ガキになった。
飢えた小鬼。
手足はやせて細いのに、不自然に皮が余っている。
食べ物は誰かに直接もらわないと食べられない。
またそうでない食べ物は、食べようとすれば燃える。
食べても全然満足はしない。
なのでボクは、食べ物でないものを食べることで、わずかに空腹をごまかすことにした。
いろいろ試した結果、地獄の虫を生きたまま口に放り込むのは、どうやら飲食に含まれないらしい。
ちょこっと覚えてる知識で、世の中には虫を普段から食べてる場所もあるみたいだが、調理されてない地上にいない生き物は例外になるようだ。
ぐるぐるする頭に耐えられず、次は幼虫のような形の、内臓の色をした柔らかい虫を口に入れる。
びくびくと動いていたが、歯を立てて力を入れると、表皮が破れて生温くて臭い汁が口の中に広がった。
舌を刺激する酸味と苦味は、日陰で腐らせたドブ水のようだ。
それでも「燃える」という完全に物理的に飲食を不可能とする現象は起きず、なんとか食道を動かして腹の底へ押し込むことができる。
汚濁を口いっぱいに放り込んで、ようやく一滴の満足感を、幻覚のように得る。
そしてまたきっとすぐに来る空腹。
「あきらめなよ、しょうねん」
息も絶え絶えに、食事と呼べない食事をしていると、あの声がした。
洞穴の風だ。怪物に聞き間違えそうな、お姉さんの声だ。
その声のする方を思わず向いたとき、たまたま、まだ幻覚のような満足感が残っていた。
つまりもう少しだけ正気だった。
つまりもう少しだけお姉さんをちゃんと見れた。
頭に二本の角が生えていた。
歯は牙で、ライオンのよりも狂暴な形をしていた。
今まで気づかなかったが、彼女の笑顔が怖かったのはそういうことだろう。
「きみはがきだからたくさんたべたいだろうけど、がきでもあるからさ。かわでいしをつみなよ」
鬼であり、獄卒である彼女が言う。
何を言ってるのかと思ったが、思い出した。
ボクは餓鬼であり、子供だ。
子供なら、川の近くでいくらか石を積み上げれば下手な刑罰は受けず帰れる、とかなんとか最初のころに聞いた。
その最初がどれくらい前だったかは覚えていないが。
「そんなことしてもつらいだけだよ。いしをつめば、もうすこしだけのぞみはあるよ」
「変にゴールが見えてる方がつらいだろ。それよりもこうして、自分なりにつらさを誤魔化してる方が、気が楽だ」
知っている。
石を積んでも、ほかの鬼たちが完成する前に壊してくる。
最初ずっと空腹で倒れながら、ほかの子供たちが何度も泣かされているのを見ていた。
だから石は積まず、食べるために動いた。
どうせ終わらないことをするにしても、ちょっとでも楽になる方を選びたい。
「つみおえたこもいるし、ほとけさまがきてくれることもあるよ」
「そういう努力してたら報われる世界があるのは知ってる。でも、それだって運みたいなものだろ」
久々に話して思い出してきた。
生きてた頃、家は裕福だったがそのことに気づかなかった。
わがままに生きたが、わがままは言ったことがなかった。言う必要が無かったからだ。
おもちゃでもゲームでも食べ物でも遊びに行くのでも、強くねだるより先に用意された。
我慢って言葉は知ってたけど意味がわかっていなかった。
死んだのはなんでだったか。
あぁ、外で歩きながらゲームやってたら、人とぶつかって落として、思わず拾おうとしたら車道に出たんだ。
何かした方がよかったのか。
ボクに何かできたのか。
我慢や努力をしてたら虫を取らなくても済んだ?
「ボクって悪い子だった?」
お姉さんに聞く。
「たぶんそうだよ。ここにきてるもん」
少し風がやんだような。ちょっと適当になった。
「わたしも、いいとかわるいとか、おしえられてるだけで、あまりかんがえたことはないし」
「ここでお仕事してるんじゃないの?」
「してるよ。きみのことみてる。いっちゃだめなところへ、いかせない」
「それがお仕事なんだ」
「そう」
本当にそんな仕事だろうか。
ほかの鬼は、ほかに石を積まない子を金棒で殴りつけていた気がする。
もしそのことも仕事であることを忘れているなら、黙っておくことにする。
また、虫をつかんで食べる。
もちろんすぐさま口から出すべき味だったが、反射で開きそうになる口を手でふさぎつつ、飲み込む。
また短い時間だけ、ちゃんと考えられるようになる。話ができるようになる。
「あ、じゃあ今、ボクに話しかけてるのってお仕事じゃあないの?」
「ちがう。わたしが、ちょっと、ついていくのにあきた。もどってほしいと、おもった」
「ついてこなきゃいいじゃん」
「それはおしごとだから」
お姉さんは、その変な口調も相まって、まじめなのか面倒くさがりなのかわからない。
「ここにきたら、もうしなないの。しんでいるから、しなないの。なんどしんでもしなない。それがじごく。でも、それでもいっちゃだめなばしょは、いっぱいあるから」
「だからボクのことを見てたんだ」
「そう」
お姉さんは助けてくれない、仕事をするだけだ。こんな生活はずっと続く。お姉さんもずっと同じままだ。
「お姉さんは、お仕事いやじゃないの?」
「わかんない」
「いやとか、楽しいとか、ないの?」
「うん、わかんない。でも、わからなくても、やらないといけないことってあるでしょ」
「それは……」
わからない。ボクも、仕事がどういうものなのか、よくわかっていない。
でもちょこっとだけ、なんだか今の自分が知りたいことを知れたのだと思った。
「ボクさ、石積むの、すごいいやだけどさ」
「うん」
「いつ終わるかわからないっていうか、ちゃんと終わらせられるのかもわかんないけどさ」
「うん」
「終わったところで、どこに帰れるのか、帰れることがいいことなのかもわからないけどさ」
「うん」
「虫を取るよりは、石を積んだ方が、まだもう少し色々変わるかもしれないんだよね」
「そうだね。そうなんだよ。よくわかったね」
えらいえらい。
そう言いながら、お姉さんは頭をなでてきた。
照れくさいけど、
お腹はすく。
とてもツラい。
でもそれを誤魔化しても始まらないんだ。
虫かごに残っていた、残り数匹分の地獄の虫を、まとめてむりやり口に詰め込む。
やっぱり相変わらずの不快感。
涙も出てくるし、鼻水も垂れる。
よく考えれば、一瞬の満足に対して、我慢することが多すぎる。
このまま続けていたら、心がすりつぶされていただろう。
だったら、まだ終わりがあるかもしれない石積のほうがマシだ。
気づけば考え方はぐるっと変わっていた。
「ありがとう」
「なにが?」
「何でもないけど、言いたかった」
空腹だけでない、地獄の熱さも正直大変だ。
でも、おなかの下の方に力を入れて立ち上がる。
「河原って、どっちかわかる?」
「うん、こっち。きて」
お父さんも、お母さんも好きだった。なんでもくれるから、じゃない。
なんでもくれようとしてくれるから、だ。
こうやって手を引いてくれたこともあった。
そんなことを思い浮かべてようやく、こんなところに来たのが悪いことだなと思うようになった。
だから、今から石を積みに行く。
鬼のお姉さんに、手を引かれていく。
まだまだ時間はかかるけど、やらないといけないことを、やっていこうと思いました。
虫を取りたくない場合の話 まらはる @MaraharuS
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