第17話 消えた行商屋台

 店を出て、そのまま南門の方向へ足をむけたジオに、声をかける。

「方向が逆よ? 帰らないの?」

「行商人の品を買うんだろ」

 

 先に歩き始めてしまった夫に、小走りに追いつく。

「あれは買い物を切り上げる口実よ」

 あなただってそのつもりだったでしょうと見上げると、彼は軽く眉を上げた。


「いや? さすがにあれじゃあ畳んだ傘だ。少し飾りがいるだろ、選んでやるよ」

 紺のドレスを着た自分の姿を思い出し「畳んだ傘」を思い浮かべる。

 だとしても……言い方!

 ジオに見えないように顔をしかめた。


 久しぶりに訪れた南門前は閑散としていた。

 それもそのはず、行商屋台がどこもからっぽなのだ。

「おかしいわね、入れ替えの時期でも無いのに」

 日用品や食料品の買い物は、商区で用が足りるので、前に行商屋台まで足を運んだのはもう半年も前のことだった。


「は? おまえ知らないのか、行商人は……」

 驚いたようなジオの声は、路地から出てきた一団の剣幕にかき消される。


「しかし不便でしょうがないんですよ。買い物をするのに、わざわざ時間を合わせて車に乗り、城壁の外まで出向かなきゃならないなんて」

「アキュレイ様、どうしてこんな面倒な仕組みに変わってしまったのですか」


 あれはルー家の家長だわ、と思った瞬間、抱きすくめられて、カラの屋台と屋台の隙間に押し込まれた。

「じ、ジオ……?」

「しっ」

 彼の親指が、私の唇をやわらかく押さえた。

 狭い壁と壁の間に向かい合わせになっているせいで、ジオの膝が私の足の間を割っている。

 目を白黒させている妻に気付くことも無く、彼はじっと広場の混乱に耳を澄ましていた。


「皆に苦労をかけていることは、私としても心苦しく思っておる」

 アキュレイ様はつめよった布の民に、ゆっくりとした口調で言った。


 ルー家は皆、青い髪に青い瞳をしており、その髪を油を使ってペットリと撫でつけるのが習わしらしい。

 アキュレイ様をお見かけするたびに、少し離れた目とヌルりとした髪から、魚を連想してしまう。


「行商屋台を国の外に出してしまうなんて、まったく……どうなっておるのか」

 芝居がかった様子で王城を見上げる姿は、言外に「誰かにそうさせられているのだ」と嘆いているようにも見える。


「エミリアの流通を取り仕切るのは、アキュレイ様ではありませんか。こんなバカげた政策すぐにでもやめるように陛下にお願いしてください」

「そうです、行商人の宿業をやってきたワシらは、どうしろとおっしゃるんですか」

 わかっておる、わかっておると、アキュレイ様は繰り返す。


 ようやく私も、何が起こっているのかを理解した。

 エミリアの玄関口である南門付近には、外国の商人が一定の期間、滞在を許されて商売ができるスペースがある。

 それが行商屋台であり、国内生産できない食料品はもちろん、雑貨や衣服などあらゆる物品が売られていたのだ。

 商人たちは滞在中に、宿や酒場を利用して国の経済に貢献し、外国の情報を知りたがる魔導爵家に講師として招かれることもある。

 エミリアにとって、なくてはならない存在でもあった。


 そんな行商人たちを、国内に入れることを拒み、外のどこかに留めている。

 乗り合いの車でと言っていたところを聞けば、歩いてはいけないような遠い場所なのだろう。

 どうして、そんなことに。

 私の戸惑いは、アキュレイ様の言葉に消し飛んだ。


「おまえたちだって、分かっているだろう。結局ファム家が「うん」と言わなければ、許可などおりないのだよ」

「イファルド家の指示なんですか!」  

 ふうむ、とアキュレイ様が、弱ったように目を閉じると、民たちがヒートアップした。


「たった一人の娘を……ヴェルラクシェ様を魔導士に育てることもできなかったイファルド家は、筆頭魔導爵家の座を譲るべきだ」

「そうですよ、彼女は殿下に婚約破棄され、恩爵家に嫁に出された。イファルド家はもう終わりです。ルー家が舵取りをしていく時代ですよ」

 胸を押さえて、言葉の衝撃に耐える。


「これこれ、そんな勝手なことを申すでない」

 アキュレイ様のたしなめる声は、少し笑っているようにも感じられた。

「ヴェルラクシェ様は、俺たちを騙した……」

 そこで急に声が聞こえなくなった。私の両耳をジオの手がギュッと抑えてしまったからだ。


「はなして……私には、民の声を聞く責任があるわ」

 手をよけさせようとしてもびくともせず、ジオは黙って首を横に振った。


 私が魔導士になれなかったばかりに、イファルド家が民からもこんなそしりを受けているなんて。

 頭で分かったつもりになっていたことが、目の前で起こった衝撃にめまいがする。

 

「そんな顔すんな。これでようやくカラクリがわかってきたぜ」

 ジオが耳を解放してくれた時には、もうあたりに人の声はしなくなっていた。

「ええ、分かったわ。私が全部悪かったの、私が皆の期待を裏切ったから……」

「ラクシェ、そうじゃない、聞け。アイツら面と向かっては何も言えない卑怯者だ。真面目に取り合うな」


「あれが民の本当の声なのよ! 聞いたでしょう、私が魔導士になれなかったばかりにイファルド家が……ぁっ!?」

 私の足の間にあった、ジオの膝が持ち上がる。

「夫の話を聞かない悪い妻は、お仕置きするぞ?」


「やめて、こんなところで何を……」

 慌てて腕をつかむと、悪い顔で夫は笑う。

「頭に血がのぼってる。別のところに移してやるよ」

 彼がさらに足を動かすと、スカートがゆっくりとたくし上がった。


「聞くわ、聞きます。あなたの話をそれはもう真剣に……っ」

「ギブアップが毎度早いんだよ」

 舌打ちした割に「真っ赤でかわいいこと」と囁いた声は上機嫌だった。

 

 私はといえば、自分が今しがたまで何を考えていたのか分からないほど、頭の中が真っ白になっている。

「ま、これで昨日の晩の分はチャラにしてやるか」

 とりあえず、夫を水浸しにすると非常に高くつくということが、私の胸に深く刻まれた。


  

「乗り合いの車ってあれか? いくぞ」

 手をひかれて、屋台の隙間を抜け出す。

 

 門の前にモフモンヌが引く車と、風の魔導士と、数人の民が集まってきていた。

「ヴ、ヴェルラクシェ様。お買い物ですか。どうぞどうぞ、前の席が一番揺れませんよ」

 上ずった声を出し、額に汗を浮かべているところをみると、さっき文句を言っていたうちの一人なのだろう。

「では、遠慮なく」

 ジオは余裕の表情で返事をして、私の腰に腕を回して車に乗り込む。

 本当に、面と向かっては何も言われなかった。

 

 20人ほどが乗車できそうな車内には、魔石ストーブが設置されポカポカと温かい。

 風の魔導士も含めて8人を乗せた車が、動き出した。


 城門が開くと同時に、風の魔導士が車を覆う結界を発動する。

 動く車に合わせて結界を維持するのは、定点結界を作るより何倍も難しい。

 若そうに見えるが、優秀な魔導士なのだろうと思った。

 

 エミリアを出て、約1時間。

 岩の点在する窪地くぼちに、小屋が連なって建てられているのが見えてきた。

「この車は1時間後に発車し、次の車は4時間後に来ます。それが本日の最終便になるのでそのつもりで」

 車が止まる前に、風の魔導士から説明がある。

 小屋に横づけされた車から降りる時だけ、結界の継ぎ目から吹き込む冷気に体がぶるりと震えた。


 行商屋台は、小屋と小屋を連結させた細長い通路で営業していた。

 一歩足を踏み入れた時から、異国のスパイスの香りに包まれる。

 日用品の買い物は、全部ばあやがしてくれていたから、自分で行商屋台で買い物をしたことは無い。

 それでも、異国の品の前を通るだけで心が浮き立ったものだ。


 コロンと丸く、複雑な模様が彫り込まれているカップを眺めていると、店主が驚いたように声をあげた。

「やぁ、レンロットのジオじゃないか。こんなところでどうした」

 よう、と手をあげて応じたジオは、屈託なく笑って私の肩をひきよせる。

「嫁をもらって、エミリアに腰を落ち着けた」 


「こんなベッピンさんをもらって、うまいことやったな、羨ましいよ」

 奥様はじめまして、と日に焼けた手と握手を交わす。

「しっかし、おまえが結婚したと聞いたら女たちが黙ってないぞ?」

 誰が来ている? と尋ねたジオは、商人からの返事を聞いてアチャーと天を仰いだ。

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