第16話 お支度は手早く

 昨夜の雨が上がって、今日はまずまずの曇り空。

 庭の物干しにぶらさげた掛け布団と、ベンチに並べた枕は、どうにか寝るまでに乾いてくれるだろうか。


「いやー、そりゃねぇべ」

「いざ、って時に、頭から水の魔法ばバシャーって、ヴェルラクシェ様は鬼だべ」

 通勤途中の草の民に、ベッドのマットごと庭干ししているのを見とがめられた。

 正直に事情を話したところ、男性陣から非難轟轟である。


「だからホントに、心の準備が……」

「準備ったって、もう嫁入りして三カ月みつきになるべさ、しかも毎晩一緒に寝てんだべ? オラ恩爵様に同情するわ」

 ウンウンと皆が一様にうなずいているのを見て、おそるおそる尋ねる。


「その、まだ・・ってそんなに遅いのかしら?」

「正直、実家に返すかって話も出る頃だべ」

 ひいいい。

「そんで恩爵様は、怒んなかったんかね?」


 バン、と開いた扉から、不機嫌丸出しのジオがのしのしと出てくる。

「準備はいいのか? 行くぞ」

 あの通りです、とジェスチャーすると、皆がやっぱりなぁとため息をついた後で、頑張りなされよと散っていった。


 むっつり黙ったままのジオと、今日は南の商区に向かって歩く。

 昨晩、最高潮に緊張が高まると、無意識に魔法を発動してしまった。

 杖も無しに、ドバっと部屋に溢れた水に、頭からずぶ濡れにされたジオは、しばらく無言で固まった。

 そして、使えなくなった寝室から出て、ソファの端っこと端っこで毛布にくるまって一夜を明かす。


 朝になってから全力で謝った私に、ジオが冷たい瞳で一言。

「ストップをかけるにしても、早すぎる」


 だってジオったら、二の腕の内側に、ちゅってしたのよ! 恥ずかしすぎるわ!

 

 しかも、本日の行き先がまた、最悪だった。

「奥様、どれになさいます? こちらが最新のマールジェラ様モデルでして」

 披露宴に着るものをすぐにでも決めた方がいいと、わざわざ陛下が服屋を予約してくれたのだ。

  

 マッタリ接客する店員を、壁に背をあずけて腕組みしたジオが、にらむように見下ろしている。

 とにかくさっさと決めてしまおうと、適当な一枚を探す間に、別の店員が気をきかせてジオの機嫌を伺いに行ってしまった。

 

「旦那様は、どれが良いと思われますか」

「ここにあるやつから選ぶのか?」

「ええ、奥様は細身でらっしゃるから、ヒュプノティア様の型もお似合いになりそうですわね」

 面倒なことだけど、こうなると夫のご意見もうかがわないわけにいかない。


「どれがいいと思う?」

 傍に寄って尋ねると、ジオはちら、とこちらを見下ろして小さな声で尋ねてきた。

「採寸して、おまえが気に入るドレスを仕立てるんじゃないのか?」

 その言葉に、私は目を丸くした。


 ふくよかな体形の王妃マールジェラ様、長身で細身な長女ヒュプノティア様、小柄で可憐なマルグリット様。

 絹どころか木綿の生地も輸入頼みのエミリアでは、このお三方のドレスをお下がりしてもらうのが当たり前だ。

 あとは、これを自分の体形に合わせて少しお直ししてもらう。

 イチからドレスなんか仕立てたら、とんでもない金額になるはずだ。

 簡単に説明すると、ジオは明らかに興味を失った顔をした。


「ならどれでもいいだろ、あのはじっこの、一番シンプルなやつ」

「お披露目に……こちらですか」

 ふたりの店員が、戸惑ったように顔を見合わせる。

 極限まで装飾を削ったシンプルなドレスは、濃紺の色味と相まって一歩間違うと喪服にも見える。

 マルグリット様の生誕祝賀会で、主役を引き立たせるためにヒュプノティア様がお仕立てになった衣装だ。


「俺の選んだ服に、何か問題が?」

 何の罪もない服屋さんに、凄まないでほしい。

「いえ……そうだわ。ヴェルラクシェ様、合わせて旦那様に見ていただきましょう」

 サッとついたての裏に連れていかれて、着替えを手伝ってもらう。

 レースの少ない胸元と、ストンとしたシルエットのスカート。

 すらりとしたヒュプノティア様がお召しになっていた時には、相応のアクセサリもあったせいか、ここまで貧相じゃなかったと思う。


「いいんじゃねぇの?」

 目の前に立った私をパッと見て、案の定ジオはそう言った。

 まぁ、と店員が眉をひそめる。

「では、これに決めます。丈を詰めておいてもらおうかしら。ジオ、あなたの礼服は?」

「ある。エミリアに来てすぐ買わされた」

 ならばこれで買い物は終わりだ。


 再びついたての裏で試着したドレスを脱がしてもらっていると、声をひそめて尋ねられた。 

「旦那様とうまくいってないのですか」

 ここで「そうなの……」なんて愚痴をこぼそうものなら、明日には国中の女がパトラス家の不仲説を噂する。

「いいえ。夫は女の買い物に付き合うのが苦手なだけよ」 

「それにしたって……」

 不満そうな店員に同調しないように、さっさとブラウスを着てスカートをはく。

 

 ホントは、彼のあまりに興味の無い様子に、私だって結構ショックを受けている。

 妻が何を着ようがどうでもいいと思ってるにしても、いい大人なんだから、ちょっと迷う演技くらいしてくれてもいいのに。

 

 すでに店の戸口でジオが「帰るぞ」と言わんばかりにしていた。

 彼は遠目に見ても、なんというかバランスがいい。

 この国の平均的な男性より、背が高くて足が長くて、顔が小さいのだ。

 さぞや礼服がお似合いになるでしょうね、と私はひがみっぽく胸中でつぶやいた。


 着痩せして見えるが、結構腕やお腹は筋肉質でたくましいのだ。

 ふと昨晩を思い出し「ラクシェ」と呼んだ甘い声が耳によみがえると、頬に血がのぼる。

 不埒ふらちだわと、首を振って雑念を払うと、少し頭が冷えた。

 

 ……私だって実家に返品スレスレの鬼嫁だったわ。

 彼にばかり、夫の役割を求めるのはフェアじゃない。


 帰りましょうと彼の腕を取る前に、店員が割り込んできた。

「パトラス様、ドレスのほうがシンプルな分、アクセサリーを足しませんか?」

 商魂たくましすぎる女性に、ジオの不機嫌ゲージが急上昇するのが見えるようだ。


「いいの、えっと、装飾は……行商屋台で見繕う予定だったから」

 とっさのごまかしに、彼女たちは眉を吊り上げる。

「まがい物をつかまされますよ!」


 国外から行商人によって持ち込まれる品は、玉石混交。低価格だが、粗悪品やニセモノも紛れ込んでいる。

 安さに目がくらんで購入すると、パーティー会場で「あら娘さんのオモチャとお間違えになったのかしらぁ?」なんてつるし上げにあうこともしばしばだ。

 もちろん本当に行商屋台で買うつもりなんか無い。

 今日のところはひきあげて、日をあらためてひとりで買い物に来るつもりなだけだ。


「そういうことで、次の店に行くんで、これで失礼」

 ジオも話を合わせてくれて、わざとらしく一礼する。

「ですからパトラス様、外国のわけの分からない品を、お求めになるのは危険です!」


 ため息をついてから、彼は今まで仏頂面だった口元をニッと吊り上げた。

「ご心配にはおよびません。このパトラス、わけのわからない・・・・・・・外国の出身でございます」

 彼女らがヒッと息を詰めたのは、失言を自覚したからだろう。

「その分目利きも確かですので、自分の妻くらいは、立派に着せてやれるかと」


「これは……とんだご無礼を」

 慌てて頭を下げる姿に、恩爵はさも親し気に「顔を上げて下さい」と囁く。

「若輩者の夫婦に教えて下さって感謝します。妻のドレスをよろしくお願いしますね」

「かしこまりました」


 肩を抱かれて店を出る時、夫の不機嫌は私のせいです、八つ当たりさせて本当にごめんなさいと心の中で全力で謝った。 

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