第7話 初夜の儀(2夜目)

「改めて、初夜の儀を行いましょう」

「はいよ」

 結局この家には、落ち着いて話ができる場所が、玄関前のソファしかない。

 こっちが改まって座っているというのに、彼は相変わらず浅くだらしなく腰掛けていた。


「初夜の儀では、夫婦が互いを呼び合うための特別な名を交わすの」

 おおん? と、謎の声を発した恩爵は、ポンと手を打った。

「さすらいの王子様と大魔導士のマネか」

「そうよ、お二人の絆にあやかるの」 

 なるほど、と相変わらず小馬鹿にしたような態度は気になるけど、先に進めることにする。


「この先いかなる時も、あなたを信じ、共にあると誓います。その証として『ヴェルラクシェ』をお捧げいたします」 

 で、どうしたら? という顔をしている彼に小声で囁く。

「我が魂の片割れよ、私だけにあなたの名をナニナニと呼ぶことをゆるしたまえ、よ」

「ゾワッとするような独占欲だな。で、俺はおまえを何て呼んだらいいんだ?」

「それをあなたが決めるのよ」

「うぇー」

 首を締められたような声を出して、恩爵は天井を仰いだ。ひどい態度だ。


「夫婦だけが、互いを愛称で呼びあうの。だからこの国の人はみんな長い名前をつけがちね」

 親兄弟でも、名を省略して呼ぶことは大変な無礼。

 だから、愛称をもらうということは結婚と結びついたとても特別な行為なのだ。


 彼は背もたれに後ろ頭を預けたまま、目を閉じて眉をしかめている。

 妻をなんという愛称で呼ぶかなんて婚約の時点で考えておくべきこと……というところまで思って、あっと声を上げた。

「あなたの名前を聞いてなかったわ!」 


 顔合わせの時に、家名が「パトラス」だと聞いたきり、名前を尋ねることをすっかり忘れていた。

 それこそなんて無礼なことを、とおそるおそる彼を見上げると、相変わらずのふんぞりかえった姿勢で「ジオ」と口が動いた。

「……ジオ……なあに?」

「前にも後にもなんもつかねぇよ、ジオ、それだけ」

「ええっ? ジオだけ? それじゃあ特別な愛称も何もあったものじゃないわ!」

 飛び上がった私に、彼の眉間のシワが深くなる。


「特別な愛称をくれなんて、頼んでないが? ジオが気に入らないなら、旦那様とでもご主人様とでもせいぜい敬って呼んでくれ」

「どうして私があなたをご主人様なんて呼ぶのよ! ジオよ、ジオで十分だわ!」

「そんじゃおまえは、ヴェルラクシェのブーだな、よっ、ブー子よろしくな」

「なっ……」


 売り言葉に買い言葉。分かっているけど、ブー子はひどい。

 彼……ジオは、プイと頬杖をついてそっぽを向いてしまった。

 

 ううん……違う。

 ひどいのは私だ。


 外国で生まれたジオが、エミリアの名付けや愛称の風習なんか知るはずも無い。

 だけど彼は今日の夕飯で、本当に一緒にお祈りをしてくれた。この国の仕組みを勉強しようとしてくれている。

 こんなに、価値観をすりあわせようとしてくれている。


 なのに私は、彼に押し付けてばかりだった。


「私は、あと数日で20歳になるの。あなたは何歳?」

 急に年齢の話になったことに、彼はチラリと不審そうに視線を投げてよこした。

「26」

 もっと上に見えることもあれば、自分より年下のように感じることもある。

 だけど、6つ年上というのは妙にしっくりとくる感触でもあった。

 

「エミリアの女性は、年上の男性の名を呼び捨てにしないの」

 私の言葉に、目の端がひくりとひきつって、彼は嫌そうに息を吐く。

「だけど、私は……」

 ギュッと胸の前で祈るように手を組んだ。


「私だけは、あなたをジオと呼んでいい?」

 一瞬柔らいだ瞳を、彼はすぐに私から背ける。

「どうぞ、お好きに。おまえの呼び名は……長いから一旦保留」

 そっけない声だけど、また彼に譲ってもらってしまった。


「実際、ヴェルラクシェなんて、名前負けもいいところだから、ブー子くらいで丁度いいのかもしれないわ」

「ヴェルラクシェは……女神の名だったか」


 翼ある神の右手に握られた剣は、太陽の女神ヴェルラクシェ。左手に掲げられた杖が、月の巫女パナサイト。有名な世界神の像だ。


 私が産声を上げた時、家中の魔石がビリビリと震えたのだという。

「待望の女児だったから、お父様ったら『太陽の女神が産まれた』って舞い上がって、私の名をヴェルラクシェで届けてしまったんですって」

 後で聞いたお母様が激怒して、しばらく大変だったと、ばあやが言っていた。

「女の方が望まれる家系か?」

 ジオの意外そうな問いに、あらためて生まれた国の違いを知る。


「もちろん男の子だって大事よ、4人の兄たちはとても優秀な魔導士なの。でも、魔導士を産むことができるのは、魔導士の女性だけだから。イファルドの血を継ぐ女児が待ち望まれていたの」

 

 念願の女児は、言葉を身につけるより早く魔法を扱いはじめた。

 しかも火の血統でありながら、時には水の魔法で子供部屋を水浸しにし、風の魔法で扉を吹き飛ばし、ばあやを困らせたことは2度や3度でないらしい。


 母の厳しい指導もあって、7歳で学園に上がる頃には、初等魔法学の範囲を履修し終え、ムラはあるものの3属性の基本魔法を全て扱うことができた。


 ヴェルラクシェ・ファム・イファルドは、神童しんどうだ。

 エミリアを照らす、太陽の女神が降臨したのだ。

 幼い私は、その名誉な期待に応えることに、ただ必死だった。


 8つの時に、同じ年のオリンヒルド王子との婚約が決まると、その重みは一層増した。

 無邪気な殿下が「ヴェルラクシェがお嫁さんに来てくれる日を、楽しみにしているよ」と微笑んでくれることさえ、次第に心に重くのし掛かるようになる。

 おそらくそのあたりから、私の魔法は、発動が不安定になりはじめた。


 10歳で魔導士試験に挑戦することを目標にしていた私は、急に魔法が使えなくなったことを真っ先に母に相談した。

 すると、彼女はハッキリと言った。

「できないなら、できるようになるまでやりなさい。あなたは凍えている民の前で、魔法が使えませんと言えるの?」

 その通りだと思った。寝食を惜しんで、いっそう学問と鍛錬に明け暮れた。 


 そして、はじめての魔導士試験に、私は落第したのだ。


「1回目の落第の時には、国中がまるで喪に服したように沈んでね、誰も彼もが慰めてくれたわ」

 ジオは何も言わずに、ただ少しだけ目を細めた。

 だけど、2回目3回目と失敗を繰り返すうちに、同情の声は消えていく。


 同世代が次々と魔導士として活躍しはじめると、努力が足りない、恥ずかしくないのか、と叱責する声の方が強くなる。

 しまいには『少しできた気になって調子に乗ると、ヴェルラクシェのようになるわよ』という脅し文句に使われるようになった。


「火の魔法だけじゃなく、水も風も何でも練習したわ。だけど、どうしても発動が安定しなくて……そのうちね、夜中に修練場にこもるようになってからは、火の魔法は全くダメになったの。一度も成功しなくなっちゃった」 

「それって……いや、続けてくれ」

 久しぶりに口を開いた彼は、すぐに私の話の先を促した。

 

「ううん、これで昔話はおしまい。見込みが無いって判断されて、殿下との婚約が解消されたわ。それでも魔導士になる夢は諦めきれなくて、ひたすら魔法の勉強ばかりしていたの」

 恥ずかしい言い訳だと分かっているけど、この際、謝ってしまおう。

「だから……掃除も料理も、何一つできないまま嫁いできてしまったわ。ごめんなさい」

 

「まぁ、順調にいきゃあ、お姫様になるお人だったんだろ? 仕方ないさ」

 あっさりそう言われると、かえって気が楽になる。

「これからちゃんと覚えるわ」

 期待してる、と彼は半笑いで答えてくれた。

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