第4話 朝の祈り

 窓の外から風の鳴る音が聞こえてきて、知らないベッドの上で起き上がる。

 昨晩の乱れもそのままのシーツを、せめて整えてから起き上がらねばと……。


「いつまで寝てんだ! もう昼になるぞ」

 ノックもなしに、いきなりドアが開いた。

「支度前のレディの部屋に入るなんて、信じられないわ!」

「俺の部屋だろ! 枕投げて追い出したクセによく言うわ。あーあ、ソファで寝たせいで背中がイテェ」


 先に白状すると、初夜の儀は失敗した。

 あの後「私の思ってる初夜の儀と違う」とストップをかけると、彼はケロリと「だろうな」と舌を出した。


 仕切りなおしを要求しても、それには渋い顔をする。

「どうしても今晩やらなきゃ死ぬって言うなら付き合うが、今日はめいっぱい色々あったろ、もう寝ないか?」

 そう言われると、前の晩に一睡もしていなかったこともあって、急に頭がグラグラするほどの疲れに襲われる。


「ほらみろ、おネムじゃねぇか」

 彼の手にひかれて2階へあがると、そこには部屋が2つ。

 片方は空き部屋で、もうひとつの部屋に広いベッドがドンと1台置かれている。 


 ここに私が寝るの? そうだ。

 あなたはどこで寝るの? ここだ。


 半分眠った状態で、問答していた私は、フッと一瞬正気にかえる。

「新婚夫婦にベッドなんか1つありゃ充分だろ」

 そうのたまってきたあたりで、無我夢中でベッドルームから恩爵を追い出した。確かに、枕も投げた。


 ひとりになると、部屋と寝具からの慣れない香りに包まれる。

「こんなところで……眠れないわ」

 シーツに額を押し付けながらつぶやいて、その次の瞬間にはもう朝だった。

 いや彼のお怒り具合を見るに、もう昼近いらしい。


「おかげさまで、よく眠りました」

「だろうな、そういう顔してる」

 ばあやにしか見せたことのない起き抜けの姿を、じろじろと眺めまわされて整えていない髪を両手で隠した。

 もう、さんざんみっともないところを見られた彼に、気取って話すほうが恥ずかしい。 


「朝食までには支度を終えるから、一度ドアを閉めてくれない?」

 敬語をやめた私に、さすがに恩爵は眉をしかめ、腰に手を当てて言った。

「その朝食を誰が作るんだ……って、まぁ、今日は勘弁してやるか」

 着替えたら降りてこいよと言い残して、彼は扉を閉める。


 無礼だけど無礼を気にしない。

 自分もしないけど、相手にも求めないというのはいっそ清々しい。


 昨日持ってきた荷物の中身は、本当に必要最低限でドレスや装飾品の類は一つも見当たらない。

 迷わずにブラウスとスカートを取り出した。

 白いブラウスに女性は灰色のスカート、男性は同じく灰色のスラックスが、この国の基準服だ。

 布の民と草の民はこの上に工房ごとの揃いのエプロンをし、魔導士はローブを羽織る。

 魔導士のローブ。ずっと憧れていたけど、もう叶うことのない夢だった。


「どうしよう……」

 クシとヒモを持った私は、髪が自分で結えないことに気づいてあせっていた。

 ばあやが毎朝手早くやっていてくれていた逆毛も、全く立てられず、適当に結わえた紐はゆるんでストンと落ちてしまう。


「おい、茶が煮詰まって、パンは丸こげになったぞ。舞踏会の支度でもしてんのか? 起きてくるのにどんだけかかるんだ」

 今度は一応ドアの向こうから声をかけてくれたので、私も声をはりあげる。

「もうすぐ……もう少しで終わるわ。髪がまとまらないの」

「髪ぃ?」

 結局、ガチャっと扉が開けられた。

 怒ってると思った彼の顔は、私の姿を見て一瞬で同情的に変わる。よほどひどい有様なのだろう。


「クシの使い方も知らんとは、どんなお嬢様だ? どうやったらこんなモジャモジャに絡まるんだよ」

「絡まってるんじゃないわ、逆立ててボリュームを出してからアップするの。それが火の魔導爵家の……あっ……」

 もう私はイファルド家の娘では無かった。じゃあ一体どんな髪型にすれば?

 呆然としてしまった私の手から、恩爵がクシを奪う。


「貸せ、座れ」

 ベッドの隣に置いてあった丸椅子に座らされると、背後で「手のかかる……」と大きなため息が聞こえる。

 そして驚くことに、恩爵が絡まった髪を少しずつときはじめてくれたのだ。


「昨日はずいぶんイカレた髪型してると思ったが、家の習わしか。こんな細い髪をよくまぁ」

 さりげなく「イカレた髪型」とか聞こえた気もするが、そんなことより男性に髪を触られているという事実に、肩に力が入る。

 彼は口が悪いのに、手つきがとても優しい。

 完全にストレートに戻った髪から、サイドの毛束が編みこまれていく。

 そのうち気づけば力が抜けて、またまどろみそうになったのを鼻で笑われ、ポンと後ろ頭が叩かれた。


「ほれ、とりあえず仕事の邪魔にならなきゃいいだろ」

 そっと髪に触れると、編みこんだ髪ごと後ろできちんとまとめられていた。

「さぁ、メシだメシ。もう昼メシだぞ」

 さっさと階段を降り始めた彼のうしろを慌ててついていく。


「すごいわ……慣れているのね」

 尊敬のまなざしで見上げると、恩爵はちょっと苦い顔をした。

 そして沸かしてあった湯をティーポットに注ぎ、パンを魔石ストーブに入れて温めはじめる。

 煮詰まっても丸こげでもなく、私が降りてくるのを待っていてくれたのだ。


「昔、妹のをよくやっていたからな。他の女で練習したわけじゃないぞ」

「まぁ、妹さんがいるのね。そういえばまだあなたのこと何も聞いていなかったわ、外国ってどこの国から来たの? ご両親は?」

 矢継ぎ早になってしまった私の質問に、少し彼の表情がこわばって、そっけなく「レンロット城塞じょうさい国から来た。両親はいない」と返事があった。


「それは……ごめんなさい。じゃあ、妹さんは? 今もレンロットで暮らしているの?」

「口ばっかり動かしてないで手伝え」

 押し付けられた皿を持っていると、温まったパンがのせられた。

「妹は旅に出た。ほらさっさと座れ。さすがに腹減ったわ」

 女だてらに旅人なんてすごい。

 話を聞きたかったが、私のせいで今日もさんざん遅れた食事をこれ以上引き伸ばすわけにはいかない。 


 キッチンの前の小さなテーブルは、皿とお茶が2杯置かれると、もうそれでいっぱいだった。

 別に食堂室がある様子も無いので、今後もここで食事をするのだろう。狭い。


 彼が向かいの椅子に座るのを待って、胸の前で手を組み、目を閉じる。

「火と水と風の護りに感謝を、今日もエミリアの善良で勤勉な民であれますように」

 目を開くと、恩爵はパンを口にくわえて、ポカンと私を見つめていた。

「お祈りは……? レンロットではどんな信仰を?」

 国外にはさまざまな土地神や、精霊を信仰する風習があると聞いたことがある。結婚したからには、彼の信仰を学ぶ必要があるだろう。


「いや、信仰は無い。ついでに言えば、メシの前に祈るなんて習慣も無かった。それ、朝昼晩と3回やんのか?」

「ええもちろん」

 わぉ、と彼はおおげさに肩をすくめた。

 食事の前に祈らない生活なんて想像がつかないけれど、それがこの家の風習だというなら習うべきなのだろう。

 小さくちぎって口に運んだパンは、ホワリと温かい。


「善良だ勤勉だってのは、体がかゆくなりそうだからパスするとして、『火と水と風の護りに感謝を』ってのは気に入った。それだけやるかな」

「一緒にエミリアの祈りをささげてくれるの? 私が嫁入りしたのに?」

 お茶を飲んでいた彼は、カップを置くと「そうだ」とうなずいた。


「俺のお師匠さんがな、夫婦ってのは互いの価値観をすり合わせていくもんだって言ってた」

 無作法者だと思っていた恩爵から、とてもまっとうなセリフが飛び出してきたので驚く。

 平気で「結婚したからには俺に従え。俺が法だ」くらいのことは言いそうな……。


「おまえ今、何か失礼なこと考えてんだろ」

「気のせいだわ」


 ほぉんと、恩爵は半眼で見つめてきたあとで、何気なく私の左手をつかんだ。

「まあいい、これからは夫婦でイロイロとすりあわせていこうじゃないか」

 彼の中指に手の甲をくすぐられると、そわりと腕を何かがかけあがってくる。

「いろいろ、すりあわせ……って」

「やらしくて、いい響きだと思わないか?」

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