第2話 ではこのまま置いていきましょう

 北に向かって歩き始めた母についていくと、王城を越え、風の魔導爵まどうしゃく家の区画も越え、どんどん貴族の住む区画から離れていく。

 しまいには民家さえもまばらになって、眼前には植林地が広がりはじめた。

「ここのようですね」

 小さな家の前で足を止めた母に、まさか、という声をかろうじて飲み込む。

 こんな外居住区の結界ギリギリの場所に、恩爵おんしゃく家があるなんて聞いた事が無い。


 庭のベンチで顔に帽子を乗せて寝そべっていた男が、私たちの来訪に気付いて起き上がった。

「お、いらっしゃい。とりあえず中にどーぞ」

 来客にきちんとした挨拶もしないなんて、なんて無礼な庭師だろう。

 

 家へ上がらせてもらうと、玄関のドアを開いたすぐ先に椅子とテーブルが置かれていて、どうぞとすすめられた。

 まさかここで? と母と思わず顔を見合わせているうちに、庭師が向かいの椅子へドカッと腰を下ろす。


「お初にお目にかかります、パトラスです。このたびは、火の魔導爵家筆頭、イファルド家のご令嬢との縁談、身に余る光栄でございます」

 ニッと笑った男は、見たこともない漆黒の髪と目をしていた。

「……あなたが、パトラス恩爵ご本人と、いうことかしら」

 珍しく、母が戸惑う声で尋ねる。

「いかにも、俺がパトラスです。あっ、お客人に茶がまだでしたね。少々お待ちを。適当に座ってて下さい」

 そう言うと、玄関横の部屋へ入っていく。

 扉の無いそこが、小さなキッチンだということはこの場所からでも丸見えだった。


「なるほど」

 母は小さくつぶやいて何かを納得した顔をし、ソファに腰かけたので、私もそれに習った。綿が少なくて、座面が硬い。

 不躾だとは分かっていても、ぐるりと室内を見渡す。

 この奥にもう一部屋あるようだし、階段が見えるので2階はあるようだが、全体の作りとしてかなり小さな家だ。


「おまちどうさま」

 ソーサーも無く、テーブルの上に直に置かれたカップに、なみなみとお茶が注がれている。

 主人が手ずからお茶をいれるということは、使用人が不在なのだろうか。


「お気遣い感謝いたします。ご紹介が遅れました、娘のヴェルラクシェです」

「べるら……? なんて?」

 ずけずけと聞き返した恩爵に、私は母の紹介よりさらにゆっくり発音する。

「……ヴェルラクシェです、どうぞ、よろしくお願いいたします」

「はは、この国の人間は、名前が難しくて苦労しますよ」


 彼の無礼な口調に、ついに母の堪忍袋の緒が限界を迎えそうだ。

 口の端がひくひくとひきつっている。

「恩爵は、外国からこの国へいらしたとか? お国の貴族の皆様は、そのようにいついかなる・・・・・・時も、親しい様子でお話になるのかしら」


「貴族連中とは余計な会話をしないこと。それが小市民が賢く生きるコツです。あいつらがどんなお話をなさるかなんてサッパリですよ」

 母の嫌味を平気で打ち返した恩爵の言葉から、この男は、やはり貴族では無かったのだと知る。

 そしてそれを、母は承知の上で私を嫁入りさせようとしているのだ。


「エミリアでは、少し振る舞いに気を付けられた方がよろしいわ。あなたに爵位を与えた陛下のご威光に関わります」

「いやいや、陛下がこれでいいって言ってくれたから引っ越してきたんですから、勘弁してくださいよ。なんです? もう婿むこいびりですか?」

 口の減らない恩爵に、母はあきらめたように「まさか」と言って口をつぐんだ。


「さて、先に聞いている話の確認からさせて下さい。嫁入りの後は、一切彼女は実家に顔を出さなくて良い」

「ええ、見たところ使用人の人数も足りないようですし、家の手入れにでも使ってくださいな」

 当たり前のように交わす二人の言葉に、心臓が凍り付く。


「そりゃあ助かる。うちに使用人はいないからな、メシ炊き、掃除、庭の手入れ、何でもやってもらう。家事は得意か?」

 急にこちらへまっすぐ顔を向けられて、どぎまぎと目をそらした。

「いえ、あの、これから……覚えますわ」

「あまり期待できそうも無いが……まあお嬢さんなら仕方ないか」


「式も披露宴も不要ってのも? 娘さんの花嫁衣裳見たくないんですか?」

 膝の上でギュッとドレスを握りしめている私の隣で、母は短く「結構よ」と答えた。

「なーるほど、つっこんだことは面倒そうなんで聞きません。最後にもっかい確認を。今後何があっても、俺が彼女をどう扱っても、『返せ』と言わない?」

「くどいですわ。嫁に出した後はイファルド家の人間ではありません。親子の縁も切れたものとします」


 最後の細い糸が、目の前で断ち切られた。

 母が何故こんなに手回しよく縁談を進めたのか、少し考えればすぐわかったはずだ。

 私を1秒でも早く、イファルド家の人間でなくしたかったのだ。


「で、いつこっちに越して来る?」

「恩爵のご都合の良い日取りで構いませんわ」

 母が答えたのに、パトラス氏は私の顔をのぞきこんできた。


「いつならいい? 見ての通り家の中はゴチャゴチャだ。俺はいつでも歓迎する」

 優しい声色に、はじめて私も彼の顔をじっと見つめた。

 黒髪の下の黒い瞳は、少し人を小馬鹿にしているような余裕に満ちている。

 ゆるく微笑んでいる口元を信じて、怖い人では無いと自分を奮い立たせた。

「お困りでしたら……支度が整い次第、すぐにでも」


「では、このままヴェルラクシェを置いていくことにしましょう」

 母は手を打って腰を浮かした。

「いやいや、さすがに荷物の準備とか、ご家族と嫁入り前の挨拶とかあるでしょうよ、そこまで急げとは……」

 さすがにこれには恩爵が慌てて口を挟む。


「……いえ、ご迷惑でなければ、このまま置いてください。荷物は、きっとばあやが作ってくれるわ」

 私の返答に、母はようやく口元だけ笑ってくれた。

 よかった、これが正解だ。 


「荷物は夕方取りにいらっしゃい。婚姻届も私が仕事のついでに提出しておきますから、あなたは何もしなくていいわ。早く話がまとまって安心しました。では」

 軽く恩爵に会釈した母は、すぐにドアノブをつかんだ。

 こう応接セットと玄関が近くては、見送りもへったくれもあったものではない。


 最後に背筋を伸ばしたまま、私の顔を見もせずに母は宣告した。

「あなたに戻る場所など無いのですから、そのつもりでパトラス様に尽くすことです」

 何か言いたそうに息を吸った恩爵に、黙っていてくれと首を横に振る。


「……はい。今日までお世話になりました」

 ええ、と短く彼女は言って、そのまま家を出ていく。

 もう私には、全く興味が無いと言わんばかりの背中だった。

 

 分かってる。魔導爵家に、魔法をコントロールできない者など必要ない。

 魔法を使えない魔導士など、どう処遇されたとしても、文句を言う資格も無いのだった。



 

「だーっ、ベチャベチャじゃねぇかっ!」

「何よ! これで床を拭けとあなたが言ったんでしょう!」

「言ったさ、おまえが掃除くらいはできるって言うから、まさかモップも絞らずに床を拭く主義とは知らなくてな」


 嫁入りから1時間で、すでに2度目のバトルが勃発していた。

 恩爵が『レディ、お嬢ちゃん、キミ、おまえ』と呼び方をグレードダウンさせるたび、こちらの遠慮も高速で削れていく。

 

 前言撤回。帰る場所が無いとしても、文句は言わせてもらいましょう。

 

「私、学園ではホウキしか使ったことが無いわ。モップは初めて使うの、使い方を教えてくださらないとできないわ」

「人にものを尋ねる時、そんなふんぞりかえっていられるのは、貴族様の特権かい?」

 皮肉っぽく言われて、あわてて腕組みしていた手をほどく。


「そうじゃないわ。しばらく人に教えを請うことなんて無かったものだから……ごめんなさい。どうしたらいいのか、教えてほしいわ」

 まだポタポタとしずくが滴っているモップを差し出しながら、前へ進み出ると、背の高い彼を見上げる姿勢になる。

 お、と恩爵は短く声を発し、片方の眉を上げて、それからニヤリと笑った。

「なんだ。俺の嫁さんは、案外素直でかわいいな」

 

 かわいいと動いた唇に視線が吸い寄せられると、ボッと頬が熱くなる。

 そうしてようやく私は、何にも知らないこの人の妻になるのだと気がついた。

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