第54話 毒虫
「さて、貴方の処遇ですが」
「帰国までは私の預かりとさせて頂きます。使える部下を無駄に消費する程、今の私たちの状況は余裕がありませんので」
暫く命を繋いだ事に安堵する部下。宿舎に戻ると確かに、バレットと大半の従者の姿が消えている。残っているのは、半死半生の八名だった。
「ハイハイ。大丈夫ですかぁ?」
彼らの間を忙しげに、ローブの魔術師が歩き回っていた。どうやら回復魔法を掛けて回っているらしい。
「これは一体、何があったのでしょうか?」
「あぁ、これは執事さん。何でも集団食中毒が起きたみたいなんですよ。怖いですねぇ」
「被害を受けたのは、私共だけですか?」
「うーん。きちんと調べていないので何とも言えませんが、ここにいる方だけだと思います」
イワンの上っ面の返答を、全く二人は信じなかった。息も絶え絶えで倒れている、口も聞けない従者たちがローブの魔術師を、化け物でも見るような目で見ているのである。
しかも患者がブリテン側の人間だけなのだから、疑念の晴らしようがない。何か仕掛けられたに違いないが、気づいた素振りも見せずジーヴスは質問を続けた。
「あの…… それで公爵様は、どちらに」
「あー、何か急用が出来たとかで、帰国されました。随分急いでおられましたよ」
「そうですか。私が言うのも何ですが、主人がご迷惑をお掛けしておりませんか?」
「その上っ面の内容が無い会話は、何とかなりませんこと?」
やんわりと探り合いを行う二人の会話に、ダイアナが痺れを切らした。腕を組んで貧相な執事を睨みつける。
「貴方たちは『台座』の特許を、奪いに来た盗人なのでしょう。それを認めたバレットと、賠償などに関する交渉は成立しましたわ!」
そう言って出来たばかりの契約書を差し出した。彼女の勢いに押されるように、書面を確認するジーヴス。驚きに目を見開いた。
「驚きました! 公爵様がアルバから何も受け取らず、ご自身の領土を割くとは。どんな話し合いが持たれたことでしょう。 ……私では想像もつきません」
「それに…… 貴方の後ろにいる男は、我が家を放火したわね!」
ビシッ!
ダイアナは目立たない風貌の部下に、指を突きつけた。彼は下を向き何も反論しない。恐らく何か決定的な証拠があるのだろう。貧相な執事は余計な反論を行わず彼らの間に、身を滑りこませ深々と頭を下げた。
「どうかお許し下さい。部下も好きで、このような蛮行を行ったのではありません。公爵様からの命令を、断る事は死を意味するのです。ご𠮟責は、どうかこの私めに」
と、チャッカリ罪をバレットになすり付けた。
「まぁ、怪我人は出ておりませんし。火災の賠償も契約に含まれていますから、これ以上は問いませんわ。バレットは何の事か分からないと、言い張っていましたけどね」
彼女の言い分を聞いて自分たちに対する理解は、グレアムより浅いとジーヴスは判断する。恐らくロンディニウムの間者である事は、バレていないのだろう。
「契約書のサインを拝見いたしますと、交渉には王族の方も関わっていらっしゃるのですな。優秀な方であると存じます。クリス様とは、どのような方なのでしょう?」
「丁度、いらっしゃいましたわ」
大柄な金髪の青年が、『台座』の開発者の一人であるカトリーナと共に、こちらへ向かって歩いて来た。
(何か武器をお持ちですか)
貧相な執事は部下にしか、聞こえない極低音の囁き声を発した。
(護身用の毒針でしたら数本あります)
(それでは今、来たクリス氏を始末して下さい)
(……はい)
部下は理屈や理由などは問わない。やれと言われたら実行するだけである。また迷わずにそれが出来る事が、優秀な諜報員の資質でもあった。理由など作業が終わった後に考えれば良い。
(彼を倒したら、隙をついて逃げ出して下さい。ブリテンの王都で落ち合いましょう)
それだけ言うとジーヴスは、微笑みながらダイアナに近づいた。大勢の注目を自分に集めるため、声を強めに出す。
「それでは私共もブリテンへ、帰国する事といたしましょう。我が同胞たちは、どの位の時間で回復できるのでしょうか?」
「うーん。そうですねぇ……」
「ちょっとお待ちなさい。タダで帰れると思っているのかしら」
イワンやダイアナも巻き込んで、会話が活性化する。そのタイミングで毒針を右手に仕込んだ部下は、気配を消しクリスの背後に立つ。
ガラ空きの彼の首筋に毒針を突き立てる直前で、彼の右手は衝撃を受けて的を外した。カトリーナが掌底を放ったのである。更に彼は態勢を立て直そうと、踏ん張った足を払われる。ドウと倒れる目立たない風貌の部下。
「クリス離れろ! コイツは何か暗器を持っている」
その声で彼と距離を取り、剣を構える王族の青年。こうなってしまっては、部下が取れる術は限られてしまう。彼らの得手は相手の隙を突くことであり、一般的な武術とは異なるのである。
目立たない風貌の部下は、目でジーヴスを探す。だが上司は、この活劇の僅かな隙を突いて姿を眩ませていた。すでにマグレガー邸からも脱出しているに違いない。自分は程の良い
ガシッ
「そんなに簡単に、楽になって貰ったら困るんだ」
能面の様に無表情なクリスが、彼の右手を押さえる。抗おうとする彼の額に、ローブの魔術師の掌が伸びた。
フワリと薄く彼の手が光ると、目立たない風貌の部下はガクリと頭を落とす。彼の手からパラパラと毒針が落ちた。それを見て、ローブの魔術師は眉を顰める。
「毒針じゃないですか! クリス様。こんな毒虫を素手で触ると、大怪我されますよ」
「君がいれば大丈夫だろう?」
キョトンとした表情を浮かべるイワン。それから嬉しそうに微笑んだ。
「まぁ、そうなんですけどね。でも解毒の呪文は毒の種類が分からないと、手間が掛かって大変なんですよ」
「そうなんだ。面倒を掛けるけど、これからも宜しくね」
「……クリス様」
ローブの端をイーッと噛み締めるイワン。一瞬にして緊迫していた空気が解けた。
結構な修羅場の中で、初恋の君と現婚約者が和かに微笑みあっている。少し離れた場所からダイアナが何とも言えない、複雑な表情を浮かべて二人を眺めていた。
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