第52話 租借地



「教えて差し上げる義理はございませんが、これを御覧なさい」


 ダイアナが小さな手鏡の柄を弾くと、表面が揺れ風景が変わった。鏡の中には焼け落ちた邸宅カントリーハウスが映し出されていた。手鏡をバレットの目前に差し出す。

「何だ、火事の跡か。どこも火の用心が足りんな」

 彼はマクレガー家のボヤが、ジーヴスらの手による物である事を知らない。まぁ仮に知っていても、知らん顔を決め込むだけだろうが。良く見るように促されバレットは、手鏡を二度見をする羽目となる。


「俺の居城じゃないか! どうなっているんだ!」

「領主が不在の間に、反乱が起きたのですって。恐ろしい事ですわね」

 反乱を起こさせたのは、彼女の父親とその部下である。ジミーが張り巡らせていた導火線の、その小さな火種は恐ろしい速さで大きくなったらしい。

 恐らくこれまで恐怖によって押さえつけられていた、民衆の叛意が爆発したのであろう。まぁ、そんな事をバレットに教える筋合いはないが。


「ヤバい! こんな所で遊んでいる場合じゃない。一刻も早く領地に帰らなければ」

 しかし彼はクリスにガッチリと、拘束されており身動き一つ取れない。屈辱に顔色を青黒くしながら、バレットは頭を下げた。

「頼む、拘束を解いてくれ。時間が無いんだ」

「そんな事はこちらの知った事では、御座いませんわ。先ずは『台座』の違法コピーや特許侵害に関する賠償金、二十名が二泊した滞在費、更には我が家の火災による損害賠償などの支払いを決める必要が有りましてよ」

「そ、そんな。俺は領地を失うかどうかの瀬戸際にいるんだぞ! 大体、何で今回のボヤの賠償費用を支払わなければならないんだ」


「これを御覧なさい」

 ダイアナは再度、手鏡の柄を指で弾く。すると薄暗い廊下で目立たない風貌の部下が、カーテンに火を移している場面が浮かび上がった。息を呑むバレット。

「なぜ、こんな事を!」

「大方、『台座』の機密を盗み出して、その事を隠匿しようとでもしていたのでしょう。本当に迷惑な、お話ですこと」

「待ってくれ! 俺はこんな事知らない。誰が他の奴が命じたんだ」


 バレットの必死の訴えに、ダイアナは耳を全く貸さない。

「更に私の婚約者しょゆうぶつであるイワンには、一万ポンドでも二万ポンドでも支払う用意が、あると仰ったそうですね。随分気前の良いお話です事」

 やはり話したか。ローブの魔術師を睨みつける公爵。イワンは夜空を眺めながら、口笛を吹いていた。バレットは仕方なく返答する。


「あれは支払う気の無い…… イヤイヤ、あの時と今ではコチラの事情が異なる。金で支払えるかどうか、確約ができない」

「地位や領土も御約束されたとか。お金が用意できないなら、貴方の領地の一部を買取、もしくは租借するという手もございますわね」


 ヒューと息を吸い込み一瞬、彼女から目を逸らしたバレット。彼の脳内では忙しく損得勘定が繰り広げられている。自身の本拠地であるスカウス周辺の土地は論外だが、カムリやアルバと所有権を揉めている土地なら惜しくはない。

 それに本当に領土の一部を割く気など、彼には全くなかった。この場を逃れる為の嘘なら、幾らでもつける。領地の反乱を治めたら、アルバとダイアナに対して捲土重来を期すことになるだろう。


「しかしなぁ。我が領土とは言え、ブリテン大王からお預かりしている土地だ。おいそれとは……」

 真剣味を演出するために、少し焦らして見る事にした。しかし彼女の追及は容赦がない。

「イワンには、何処を与える心算でしたの?」

「……バッニン島かバートンの海岸部と言った所かな」

「バッニン島はアルバとの係争地、バートンはカムリと揉めている土地でしたわね」

「……流石に詳しいな」

 バレットは内心舌を巻いた。他国の地政学に詳しい女性など、ほとんど見た事がない。


 この時代、民間人であれば男性でも、利害関係が無ければ関心を持つことが無いだろう。そんな事に関心を抱ける、生活的な余裕などないからである。

 ダイアナは暫く考えてから、羽根ペンで何かを羊皮紙に書き込みを始めた。公爵の拘束を解くように、クリスに声を掛ける。


「それではバートンの海岸沿いを99年租借する事と致しましょう。これがその契約書となりますので、サインをお願いいたしますわ」

「これにサインすれば、アルバを出られるのか?」

 バレットは羊皮紙に書かれた文言に目を走らせた。確かに今回の損害賠償の補填として、バートンの土地を99年租借する旨が書かれている。

「詳細な土地の範囲が書かれていないが?」

「アルバ商業ギルド専用の船着き場を、建設する事を考えています。それ程の面積を必要としませんので、現地を確認してから詳細は相談させて頂きますわ」


 領土経営では無く、中継地としての港の建設か。それであれば港の運営が軌道に乗ってから、取り上げた方が効率的かもしれない。そんな事を考えながら、公爵は痺れる右腕を振りサインを行った。


 倒れていた従者たちは、しばらくすれば体調が元に戻るらしい。バレットは彼らの尻を蹴り上げて、帰国の準備を終えた。何人か動けない従者もいたので、馬車の走行に最低限必要な人数だけで、夜のうちにマクレガー家を後にした。


 おいて行かれた従者たちは、自力で帰国しなければならないようだったが。我儘な主人と長い旅路を共にすることが無くなった彼らは、一様にホッとした表情を浮かべていた。

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