第49話 秘密の小部屋



 イワンがバレットの部屋を訪れたのは結局、夜更けとなった。これでも急いで戻って来たらしく、彼はまだ夕食も取っていないとの事である。何か軽食を持ってこようと、部屋を出ようとした貧相な執事。ローブの魔術師は、彼を軽く手で制する。

「申し訳ありません。この後、また直ぐに王宮に戻りますので」


「お忙しい所をすいませんな。それでは時間が無いようですので、私の要件を単刀直入に申します」

 肩を竦めた公爵はイワンを見据える。

「貴方の才能をブリテン大王国は必要としています。どうでしょう? 我が国に移籍するお気持ちはありませんか? お金で補えるのなら一万ポンド(約七二億円)でも二万ポンド(同十四四億円)でも用意しますよ。

 もし地位が必要であれば男爵程度になりますが、爵位と領土を用意する事も可能です」


 移籍金額は気が遠くなるほど高額であった。爵位と領土には大きな幅があり、資産価値などは一概に判断できない。それにしても破格の申し出と言えた。まぁ、バレットにしてみれば『台座』の構造や運用方法さえ手に入れれば、早晩始末してしまう男である。

 支払うつもりの無い報酬など、幾らでも釣り上げる事ができるのだ。


 彼の提案を聞いて、キョトンとした表情を浮かべるイワン。それから大仰な一礼をした。

「私の事を大変高く評価して頂き、誠にありがとうございます。ですが私の身はクリス様とダイアナさんに捧げております。残念ですが移籍のお話は無かった事に……」

「失礼。確かクリス氏とはカトリーナさんの?」

「えぇ、旦那様になります。アルバの王族継承権第五位の御方です」

 成程と頷くバレット。彼が王族の名を出す以上、今の段階で移籍を強要する事は難しいだろう。それならばとイワンの手を取り、誠実な表情を浮かべる公爵。


「もし移籍に値する金額が、足りない様なら仰って下さい。また何かが起きて、アルバに居られなくなるような事が有れば何時でも、ブリテンへ来てください。ご連絡をお待ちしていますよ」

「イヤイヤ、そんな事は無いと思いますが……  おや、何か焦げ臭いですねぇ?」

 部屋の外から黒煙が入り込んで来た。慌てて貧相な執事が扉を開ける。

「火事だ!」


 階下から誰かの叫び声が響いた。廊下を走り回るマクレガー家の家人たち。手に手に水や毛布を持ち、消火活動に参加しようとしている。


 バーン!


 その人の群れにジーヴスが弾き飛ばされる。そのまま勢い良く壁に激突して、目を回してしまった。

「邪魔だ、どけ!」

 バレットは彼を跨ぎ越すと、一目散に煙と反対方向へ駆け出す。水や消火器具を手に入れる為ではない。誰よりも早く火元から逃げ出すためにである。

「思ったよりも素早く動ける方ですねぇ。やれやれ、執事さん大丈夫ですか?」

 イワンは貧相な執事を助け起こそうと、辺りを見回した。


 しかし彼の姿は何処にも、見当たらなかったのである。



 雄大で豪華なマクレガー家。だがその一角には薄暗く、黴臭い石壁が張り巡らされた場所があった。内壁の至る所に分厚いカーテンが掛けられているのは、叫び声などを遮断するための防音装置の一つなのだろう。

 恐らく表ざたに出来ない問題を処理する建物。金持ちの家には必ずある、日の当たらない部分を担当する場所なのであろう。

 目立たない風貌の部下が起こした、ボヤ騒ぎに紛れてジーヴスは、この建物に紛れ込んでいた。


「ここですかね」


 ジーヴスは素早い動きで最深部にある、座敷牢の入り口に取り付く。分厚い樫材で作られた扉。小窓から覗くと狭い内部には、蠟燭の小さな明かりの下で、椅子に縛り付けられた人影が浮かび上がっていた。目を凝らせば、確かに国営配達人の制服の様である。


 パチン


 部下は金属棒が束ねられている帯を解いた。何本かの棒を鍵穴に差し込み、カチャカチャと動かし始める。彼は直ぐに動きを止めた。


 カチリ


 素晴らしい速さで座敷牢の施錠を解く。ボヤの消火作業に駆り出され、辺りに人影は無い。それでも暫く気配を伺い、静かに座敷牢の扉を開いた。初めに部下、一呼吸置いてからジーヴスが内部に入り込む。


「配達人殿、大丈夫か?   ……!」

 息を呑む部下。怪訝そうな表情の貧相な執事。どこかで人の気配を感じる。ジーヴスは、そっと扉を閉めた。

「ジーヴス様! 罠です!」

 押し殺したような低い声で、警告を発する部下。彼の手は配達人を模した、の顔に添えられていた。その顔には、


『残念。ハズレです』


 と、書かれた紙が貼りつけてあった。小さく舌打ちをして、その紙を引き剥がすジーヴス。

「ふざけた真似を。どういうつもりでしょう」

 もう此処にいる必要は微塵もない。さっさと退散しようと樫材の扉に手を掛けた。しかし頑丈な扉は、自動で施錠されるようでピクリとも動かない。視線で部下に解錠を指示する。慌てて扉に取り付く彼は、すぐに金属棒の束を放り投げた。

「どうしました?」

「申し訳ありません。これでは解錠のしようがありません」


 扉の内側に取っ手は付いていたが、鍵穴自体が存在していなかった。確かに部下が言う通り、これでは解錠のしようがないであろう。

 この部屋は扉を外側からしか、開ける事の出来ないように作られていた。まるでゴキブリホイホイのような、秘密の小部屋なのである。


「……これは一体、どうした事なのでしょう?」


 貧相な執事と、目立たない風貌の部下は脱出を諦めたように、小部屋の中で立ち尽くした。


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