第47話 バレットの選択



 カトリーナという赤髪の美女は、人妻だったらしい。しかしバレットの暗い興味の触手は伸び続ける。これまでだって、幾人もの人妻を略奪してきた。あまり誇る事のできない、実績が彼にはある。

「これは美しい方ですな。ダイアナさんと言い、アルバは美女の産地なのですね。そしてイワンさん。貴方が『台座』の開発者であると。素晴らしい業績です。一度、ブリテンに遊びにいらっしゃいませんか?」


 イワンの手を取らんばかりに、バレットは身体を寄せる。余りの迫力に少し引き気味のローブの魔術師。両手を胸の前に出して、小さく振り始めた。

「大層な社交辞令をありがとうございます。ですが私は、命じられたことを行ったまででして」

「ご謙遜を。これまで誰も思いつかなかった発想を、見事具現化されました。また完成品の、コピー防止の為の大層な防御策も見事な物で…… ゲフン、ゲフン。イヤイヤ、我が国の魔術師にも見習って欲しものです」


「そんなに、ご興味がある様でしたら試作機を、お持ちになりますか?」

 ダイアナはニコニコしながら、そう言いだした。その提案に慌てて喰い付こうとした、バレットを先回りしてイワンが嗜める。

「ダイアナさん。『台座』には特許事項などがあって、秘密保持が必要な部分が多いのですよ。そう簡単に、お見せできる物では有りません。お父様からも、そう言われていたでしょう」


(チッ。特許の事には触らない方が良さそうだな)


 心の中で舌打ちしたバレット。ここは一旦、話題を変えることにする。

「そう言えば私との婚約辞退の理由を、お伺いしていませんでした。差し支えなければお答え願えますか?」

 ダイアナは、どう話そうかとモジモジし始めた。それを薄気味悪そうに眺めていた、カトリーナが口を挟む。

「何だ、まだ聞いていなかったのか」

「ええ。理由を御存じなのですか?」

 赤髪の美女はローブの魔術師を指差した。


「彼女はコイツと婚約したんだ」

 指差されたイワンはヘラヘラと、薄ら笑いを浮かべていた。そんな彼を和かに見つめるダイアナ。


「何ですと!」


 バレットの頭の中は急回転し始める。結婚を行い資産や『台座』の特許取得を画策していた、意中のダイアナは既に別の人間と婚約していた。

 しかも婚約者と開発者はアルバ王族の関係者及び親族である。このまま『台座』特許云々の話を持ち出せば、必ず国同士での係争となることは火を見るより明らかだ。


 この時点で彼が、取る事のできる進路は二つあった。一つはマクレガー家当主がアルバに戻るまで一旦、国に帰ると言う口実で直ちに、この場から逃げ出す事。二つ目はアルバとの抗争を覚悟の上で、手に入れられるものを全て奪い尽くす事である。


 台座から生まれる利益は、喉から手が出る程欲しい。これが円滑に入手できれば、カムリとの抗争も早急に決着する筈である。しかしその為にアルバと争うことになっては、二正面作戦となってしまう。挟撃の危険性を覚悟しなければならない。


 ゴクリ


 バレットの思考を正確に読み取り、貧相な執事は息を呑んだ。部屋の皆から注目されていた公爵は、ヒョイと肩を竦める。

「ダイアナさんが既に婚約済みとは、非常に残念です。私としては貴方との結婚を、前向きに考えておりましたので。 ……申し訳ありません。長い移動で疲れてしまったようです。突然で申し訳ありませんが、部屋で休む事はできますかな?」

「あぁ、気がつきませんで。もう皆様のお部屋の用意は、整っている筈です。どうかごゆっくりお休み下さい」


 ダイアナは両手を胸の前に組んで微笑んだ。その美貌を見つめるバレット。彼の瞳の奥は、暗い炎が燻っている。



「さて、どうするかだな」


 豪華な客室。それを一人で占領したバレットは、部屋を何度も往復し始める。彼の手の届かない、しかし呟きでも聞き取れる絶妙の位置に、貧相な執事は立っていた。近すぎると当たるを幸に殴られる。遠くて呟きを聞き逃すと、それが命令だったりして叱責される。

 彼の思考を先読みする必要はあるが、余計な口は挟まない。これがバレットの執事を続けていく上での鉄則であった。


「ギルド長がアルバに戻るのに一週間か。その間に打てる手とすると……」

 バレットはパチンと指を鳴らした。

「ジーヴス。エイディーンやキャニックに派遣している、間諜はまだ生きているのだよな?」

「はい。エイディーンの間諜には、直ぐに繋ぎがつきます」

「それでは先ほどの魔術師…… イワンと言ったか。奴の情報を集めろ。弱点が多ければ多い程いい。使える情報だったら、高値で買ってやれ」

「随分と、お気前が宜しいのですな」


 貧相な執事の呟きにシミったれの公爵は、ダイアナ達には見せなかった腹黒い微笑みを浮かべる。

「まずは『台座』の構造と運用だ。それを入手したら直ぐ、奴には消えてもらおう。そうすれば婚約者を失った、ダイアナにも手が届く」

「……どちらも諦めないのですね」

 心外だとばかりにバレットは、目を見張る。

「どちらもと言うのはダイアナのことか? それともカトリーナ?」

「私は『台座』とダイアナ様、のつもりでお話ししたのですが。……王族の人妻まで?」

「あんな美人は、こんな田舎にいては勿体無いというものだ。俺の横にいる事で、あの輝きは更に増すだろう」


 言いようの無い耳障りな笑い声から、逃げ出すようにジーヴスは公爵の部屋から退散した。エイディーンに潜り込ませている、間者達と繋ぎを付けるために。



 表面的には何事も無く、静かな夜が明けた。


 まさか求婚しようとする女性の実家で、どんちゃん騒ぎを行う訳にも行かないだろう。隠し持って来た大酒を呑むだけで、ベッドについたバレット。長旅で身体の深い部分が、疲れていたのかも知れない。思ったよりも長く深い睡眠を取れたようである。

 寝心地の良いベッドから起き上がると、彼の視線の先には貧相な執事が控えていた。彼の顔色は、いつもにも増して青白い。恐らくまともに睡眠時間を取れなかったのだろう。


「それで? イワンの調査はどうなった」

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