第44話 公爵の宿泊先



 執事が馬車に乗り込んでから暫く、中では罵声が響き渡る。これだけの大声で長い時間、騒ぎ続けられるのだから大したものだ。バレットの体力は、まだ健在なのだろう。暫くしてウンザリした顔のジーヴスが、馬車から降りて来た。ため息を付きながら羊皮紙を差し出す。

「こちらで宜しいでしょうか」

「……何だか大変だな。サインは確認した。エイディーンにようこそ」


 門兵は羊皮紙を確認すると大門の横に身を寄せた。そこを全速力で通過する豪華な馬車。貧相な執事は慌てて馬車に取り付く。馬車の小窓が開き、悪相の中年男が顔を出した。


「お前がスコットか! お前の顔は覚えたからな!」


 そう捨て台詞を残して、一行は王都に入って行った。怒鳴りつけられた門兵は羊皮紙のサインを確認して、ニヤリと相好を崩している。



「初手から気分が悪いな。宿で一杯やるぞ。ウォルドーフへ向かえ」

 バレットはエイディーンで定宿にしている、超高級宿の名前をあげた。一泊するだけで、王都の庶民が一ヶ月は生活できる程の料金が必要になる。

 しかも今回、滞在費用はアルバ商用ギルド持ちであった。いつもは自分だけが泊まるのであるが、今回は同行者全てを滞在させてやろう。これで門番の不快な態度も帳消しだな。公爵は口元を歪めた。


「申し訳ございません。本日は満室となっております」


 ウォルドーフのフロント係は、アッサリと宿泊を拒否した。どんなに高級ホテルでも急に二十人近い人員を宿泊させる事は難しいのであろう。仕方なく公爵とお付きの者だけで、宿を取ろうとするがそれも断られた。

「本当に予約で満室なのです。申し訳ございませんが、他所を御当たり下さい」

 こういう高級宿では、一般開放されていない予備部屋リザーブがある筈である。貧相な執事は喰い下がるが、けんもほろろな扱いであった。

 言外に今後のブリテン大王国との、付き合いまで持ち出してみる。それでも怯まずに断る所を見ると、本当に満室なのだろう。ジーヴスは結果を主人に伝えた。


「部屋が無いなら仕方ない。チェンバースへ行け」


 同じ様な超高級宿をバレットが指定する。公爵一団はウォルドーフを後にした。


「迷惑をかけたね」

 フロントの奥から、苦笑いをしたジャガイモ官僚が現れた。フロント係は肩を竦める。

「お気になさらずに。王宮からのご命令ですからな。それにあの公爵は癖が悪いんで、困っておったのですよ。夜通し商売女を連れ込んで大騒ぎするわ、宿代を公務だとか言って踏み倒そうとするわ」

 吐き出すようにそう言うと彼は鼻筋に皺を寄せ、眉を顰めた。一流フロントマンが人前でする行為ではない。バレットは余程、嫌われている様だった。



「どこの宿も満室など初めてだな。今日は、エイディーンで祭りでもあるのか?」

「宿でそんな事を言われた事は、ございませんな。こんな事態は初めてでございます」


 その後に向かったチェンバースを含め、バレット一行は一流どころの宿を全て断られている。馬車の中でふんぞり返っている公爵は、何度も交渉を繰り返し疲弊している貧相な執事を睥睨した。最悪、自分は馬車の中で寝泊まりすることが可能な為、あまり危機感を抱いてはいない。

 従者や騎士たちが野宿しようと、彼は全く気にも留めない。ここまでの旅程でも行って来たことだ。ただし商売女と派手に遊ぶ為には、馬車泊は手狭である。そのため宿に泊まらない、等の選択肢は全く考えていなかった。


「エイディーンに宿泊するのでしたら、商人宿などに宿のランクを下げる必要がございます。それも駄目なら王都以外で、宿を得る手配をしなければなりません」

「商人宿や木賃宿などに、俺のような貴種が泊まれるか! それに商業ギルドとの打ち合わせに、どのくらい時間が掛かるか分からないのだぞ。王都を離れるわけには行かないだろうが」


 そんなことも分からないのか。バレットは執事を見て鼻を鳴らした。彼からすれば折角領地から離れて、羽を伸ばす折角のチャンスである。何が何でもエイディーンに、宿を取る必要があった。

 イライラと貧乏ゆすりしていた足を、パチンと叩く。その顔にイヤらしい笑顔が浮かんでいた。

「どうしても宿が取れないなら、商業ギルド長のマクレガー家に逗留するか。確か娘が、この俺の妃候補だったろう」

「……先日、婚約辞退の連絡がありましたが」


「この俺は、そんな報告を受けておらん。それに大方、ブリテン大王国の実質経営者である俺に、恐れ入って辞退したのであろうよ。おぉ、そうだ! その娘を娶ってしまえば『台座』どころか、アルバ商業ギルドの資産だって自由にできるじゃないか」

 婚約辞退の連絡はジーヴス本人が、公爵に行っているから忘れるわけが無い。あの時も若い女が手に入らないと、大暴れしたのだから。

 その本人は良い案を思いついたと、ホクホクしている。そして貧相な執事に命じた。


「何をボンヤリしている。さっさとマクレガー家へ、公爵降臨の前触れに行かんか」

 やはりそう来たか。クレームを入れに行く本陣に宿泊が可能であるかどうか、少し考えれば分かりそうな物だが、公爵はそんなことを気にも留めていないようだ。恐らく断られれば、前触れを行った自分が悪くなるのであろう。


 絶対に受け入れられることの無い、無理筋な提案を押し付けられたジーヴス。断る事もできない。また、彼以外にこの任務を行える筈もない。逗留を断られた後の責任回避の方法を考えながら、騎士の馬に二人乗りしマクレガー家へ向かった。


 彼の貧相な背中には見る者の、涙を誘うような哀愁の風が吹き付けていた。




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