第40話 堆肥の成果



「素晴らしい! 私がこれまで、見た事もない程の成績です!」


 冬小麦の野外調査を行なっていた、ジャガイモ官僚が感嘆の叫び声を上げる。

「三月下旬で、この生育具合! 鉢植えのテスト品とは物が違う」

「鉢植えでは、根域が制限されるからな。地植えの方が条件は良いだろう。この土地の冬小麦は良く、この冷害を乗り越えてくれた」

 奇跡的に生き残った冬小麦の畑の中で、カトリーナは快心の笑みを浮かべた。クリスは彼らの喜びが、良く理解できてない表情を浮かべている。

「確か鉢植えの時には、分げつの数が二倍になっていたんだよね。比較対象が無いから良く分からないけど、これも茎が五〜六本位の生育だと思うんだけど?」


「あぁ、それはだな」

 踏み鋤スコップを抱えた赤髪の美女は迷いなく、その鋤を苗の根元に打ち込んだ。苗の根が周りの土ごと掘り起こされる。彼は掘り起こされた小麦をシゲシゲと観察した。

「緑色の地上部分より、白い根の部分の方が大きいね」

「そうだ。この時期にこれだけ根張りを良ければ、少々の干害や虫害にも耐えられる。収量もかなり期待できるだろう。恐らく冷害に耐えられたのも、この根張りに助けられた所が大きい」

「そうなんだ。一生懸命作った堆肥が効いたんだね。やっぱり、僕のお嫁さんは凄いなぁ」


 クリスがニコニコ笑っていると、畑の向こう側から歓声が聞こえてきた。どうやらキャニックに到着した、第一陣の難民たちであるらしい。先頭にはイワンとダイアナが立ち、彼らを先導している。


「あー! お姫様だ」


 見れば集団の中に例の少年たち弟妹が、混じっていた。慌てて駆け寄るカトリーナ。

「おい、少年たち! 一体どうしたんだ!」

 赤髪の美女は小さな妹を抱きかかえ、クルクルと回り始める。彼女は嬉しそうにキャッキャッと歓声を上げた。


「難民キャンプで、そこのジャガイモみたいな頭をした、オジサンに声をかけられたんだ」

 ニコニコと笑う少年は、ジャガイモ官僚を指差した。説明を求めるカトリーナの視線を受け、彼は肩を竦める。

「兄弟まとめて子供三人を同一世帯に送る事が、人数的に難しかったのですよ。それで彼にキャニックへの移動を勧めると、二つ返事で了承して貰えましたので」

「何故、彼らは此処なら大丈夫なのだ?」


「キャニックなら、彼らの生活が安心である点が、少なくとも三点あります。アルバ国内で、最も治安が安定している事が一点。また食料自給率が驚く程、高い事が一点。更に彼らの身の振り方も、カトリーナ様にお任せすれば、悪い事にはならないだろうと予測された事が一点です」

 流石に腕利きの官僚である。割と直球で面倒事を押し付けているのであるが、それを回避させない様、綿密に彼女の逃げ場を削って行く。前世における県庁のやり手、総務部員の面影を思い出すカトリーナだった。


 しかし彼の言う事にも一理あった。幾ら大家族主義のアルバ農家でも、一度に三人の子供が増えれば生活に支障を来たす。寝床の確保でさえ困難だろう。

「あー、良く分かった。しかし条件の良い此処でも、いきなり三人増えて大丈夫な家は少ない。その時は相談してくれ。善処する」

「いえ。彼らの受け入れ先は決まっておりますので」

「そうか。農民に苦労をかけるな」


 カトリーナは小さく溜息をついた。彼女は通常の貴族や支配階級と異なり、かなり深い所まで農民の生活に精通している。彼女の顔を見てジャガイモ官僚は、微妙な微笑みを浮かべた。

「彼らの移住に関して、農家に迷惑をかける事はございません。もしや、お話が届いていませんでしたか?」

「何の話だ?」

「彼らはフレミング領主家の、下働きとして採用されました。お母上であるケイティ様には、既に御了承頂いております」


 言葉に詰まるカトリーナ。見ればイワンも空を見上げて、口笛を吹いている。きっと彼ら裏方の、せめてもの好意だったのだろう。だが少年は不安そうな声を上げる。

「姫様。俺たちが来たら迷惑かな? それなら俺は他所へ行くから、コイツらだけでも面倒を見てくれよ」

「そんな、そんな事は無い……」

 ここで言葉が尽きてしまう赤髪の美女。下を向いて立ち尽くしてしまう。彼女の肩を抱いて、クリスが言葉を繋いだ。


「きっとカトリーナは、エコ贔屓をして君たちを自領に呼んだと、皆に思われたくないと思っているんだよ。何しろ難民から地方領主の使用人になれるなんて、滅多にない幸運だからね」

「やっぱり贔屓なのか? それならやっぱり俺だけでも……」

 言い募る少年の肩を抑えて、青年は小さく首を振った。


「そうじゃない。君たちは戦禍に追われ両親を失い、本当に辛い目にあった。この位の幸運では、釣り合わないかもしれない。けど君たちには、頑張って幸せになって貰いたいんだと、ブキッチョなオジサンたちは願っていると思うんだ」

 ジャガイモ官僚は顔を真っ赤にして、何度も頷いている。口笛を吹くイワンは、その場から逃げ出そうとして、ダイアナに捕まってしまった。


「皆様へ一言、ご挨拶させて頂きます」


 ジタバタするローブの魔術師を抑え付けながら、彼女は高々と宣言した。


「ようこそ、キャニックへ。こちらでの生活に馴染めなければ、他へ移動して頂いて結構です。できる限りの援助を約束しましょう。またこちらで暫く生活されることを決意された方々。皆様が幸せに暮らせるお手伝いを、商業ギルドおよび当地領主が全力で行わせて頂きます」


 確かに、し尿集積が稼働し始め、堆肥作成にも人手が必要なる。またこれから春小麦の種蒔きが、始まる時期でもあった。幾ら人手があっても、余る事はありえない。春の飢餓は何とか回避できる目処も立ち、これから目がまわるほど忙しくなるだろう。


「ほら! 貴方からも何か、お話しなさい!」

「……え? それは父からの方が良いだろう。私なんかから話す事など何も」


 カトリーナは人の輪の中心へ、無理矢理引き立てられた。目を白黒させた彼女は、腹を括ったのであろう。深呼吸を一つする。中身は別として、外見だけ見れば彼女も妙齢の美女であった。ざわついていた人々も、声を顰め彼女に注目する。


「……まぁ、何だ。キャニックへようこそ。困った事があれば、いつでも相談に来てほしい。できる限りのことはするから」

「それだけですの!」

 ダイアナの揶揄に笑い騒めく人々。いつかの農家の少女がフォローを入れる。

「これだけの人の前で、逃げ出さずに話せる様になったなんて姫様、凄いねぇ」

「……それは、褒めてもらっているのだろうか?」


 麦畑の真ん中で、明るい笑い声が響いた。


 その人混みの中で、薄っぺらい笑いを貼り付けている男たちがいた。見た目は普通であり、目立ったところはない。しかし彼らの身のこなしや、手は農民のそれではなかった。目立たない様に気配を消している男たちの存在をまだ、カトリーナたちは知らない。



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