第39話 婚約おめでとう②



「そこから先は良くある、お話でして」


 暗殺者の少年はグレアムの手駒として、飼い馴らされた事。その時、同席していた若い女性の魔術師から、自分に魔術の才能がある事を見出され師事した事。魔術師として独り立ちしグレアムから、クリスの教育係を任された事などである。


 途中から質問すら挟まなくなったダイアナは、決心したように口を開いた。

「イワンという名前は?」

「グレアム様から頂きました。何でも有名な教会の聖人のお名前だとか。名前負けも甚だしいですけどねぇ」

 そう言って、肩を竦めるイワン。


「ですからダイアナさん。私は貴方と正式に、婚約できるような男では無いのです。こんな薄汚れた暗殺者より、ふさわしい男性は沢山いらっしゃる事でしょう」

「……あと一つだけ、お聞かせ下さいません事? その暗殺者集団の名称は」

「それを聞いて、どうなさる御積りで?」


 ふと顔を上げると彼女の瞳から、透明な雫が何滴も零れていた。静かで透明な怒りが彼女を包み込む。

「そんな子供を作り出す集団は、この世に必要ありません。私が何年かかっても、その集団を叩き潰して差し上げます。例え敵わなくとも、一生その集団の事は忘れません」

「……参りましたねぇ」

 そんな心算つもりでは無かったのですが。と、首を振るイワン。そっと指で彼女の涙を救い取る。

「グレアム様が王位継承レースの、競争相手ごと潰して下さいました。私のような子供が作られる機会は、皆無とは言いませんが減少した筈です。……それにですね」


 ローブの魔術師は続けた。彼が他人に生い立ちを話す事は無いに等しいが、ダイアナと同じように泣いたり怒ったりしてくれた恩人が三人いた事を説明する。

「一人目は大男のスコット様。グレアム様と同席されていて、お話を聞いて頂きました。温厚で優しい方ですが、あの時は赤鬼の様に怒って下さいましたねぇ」

「スコットとは……」

「そう。スコット・フレミング様。カトリーナ様の実父に当たります。次にグレアム様」


 猿のような小男は話を聞いた後も、ヘラヘラ笑っていた。それをスコットに見咎められる。

「何を笑っておいでですか!」

「そんなに怒ったら、頭の血管が切れちまうでよ。少しは落ち着きんさい」

「若様は腹が立たないのですか! アルバに、我が領土に、そんな馬鹿げた暗殺者集団がいる事に」

「腹なぞ立てても、何の役にも立たんわ。それより彼奴等を、どう

 ヘラヘラと笑う瞳は、まるでガラス玉のように感情を表さない。それを見た大男は、背筋を伸ばして一礼した。

「……失言を、お許し下さい」


 グレアムは本気で怒っていたのだ。


 ……政敵と暗殺者集団は、一週間も持たずに血祭りに上げられた。本当に一兵残らず、根絶やしにされたのである。



「三人目はクリス様です。私の経歴を話さなければならなくなった経緯は、本筋に関係御座いませんので省略させて頂きます」



 イワンの経歴を話し終わった後、長い沈黙が続く。見れば幼き日のクリスは、ダイアナの様に静かに涙を流していた。

「僕はこれから、もっと頑張るから。絶対に君たちに悲しい思いをさせないから」

「イヤイヤ、お話ししたでしょう? 暗殺者集団は随分前に壊滅しておりますから」

「昔は存在していたのでしょう? それならまた新しく出来るかもしれないじゃないか」

「それは…… 絶対ないとは言い切れませんねぇ」

「そういう集団が出来るのは、貧困や戦争が起きるからだ。それらをアルバに招かないように、僕は精一杯努力を重ねるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ローブの魔術師は生涯の主を得たと感じた。しかし表情には現さない。フニャリと微笑んで、こう答えるだけだった。

「そうですねぇ。私も出来る限りの、お手伝いをさせて頂きますよ」



「やっぱりクリスは、佳い男ですこと!」


 ダイアナはニンマリと微笑む。それを見たイワンは何となく、納得できないような消化不良の表情を浮かべた。

「そうですねぇ。クリス様は幼い頃からソーサーという寒村で、ご苦労を重ねて来られました。やはり生まれながらエイディーンで王族として、お住まいの方々とは考え方が大きく異なります」


(そしてダイアナさん、貴方が私にとって、四人目の恩人になります。遠い昔の記憶過ぎて、なぜ私が王宮で働き続けているのか忘れかけておりました。思い出しましたよ。私は悲しむ人の数を少しでも、減らす為に生かされているのでしたよね)


 彼は心の中で、彼女に深々と一礼する。ダイアナはハンカチで眼元を抑えた後、傲然とイワンを睨みつけた。

「私という極上の美女を前にして、婚約を尻込みする貴方のお考えは分かりました。しかし私は、貴方の過去など気に致しません。大切なのは今から未来にかけての行動だと考えておりますから」

「は?」

「まどろっこしい問答はここまでです。イワン、私と婚約なさい!」

 ローブの魔術師は襟首を掴まれると、そのままカトリーナたちが打ち合わせをしていた施設へ連行された。


「お待たせ致しました。こちらの話し合いは終わりましてよ!」

 ダイアナと、その付属品のイワンが施設内部に現れた。馬車の中での雰囲気と異なり、通常の空気が二人の間に流れているようである。それを感じたクリスとジミーは、お互いに視線を合わせて肩を竦めた。


 カトリーナは……


 全くそんな事を気にも掛けず、堆肥の配合具合を熱心に検討していた。

「キャニックに限らず、アルバはアルカリ性土壌が多い。土壌が酸性に傾けば牡蠣殻末などを、混ぜなければならないが今の所、必要ないだろう」

「また、私たちに分からない事を。取り敢えず試作器は百台ほど有りますが、全て稼働させて宜しいのでしょうか?」

 何か大きな物を諦めたような、表情のイワンの問いに彼女は大きく頷いた。


「そうだな。できるだけ早い方が、春小麦の施肥にも間に合うだろう。これまでに作った堆肥は冷害で被害を受けなかった、キャニックの冬小麦の畑に施肥した。そろそろ分げつ数など、野外調査を始める必要がある。恐らく満足できる結果が出始めるだろう」

 クリスとイワンに、細かい指示を出し始めたカトリーナ。ジミーも興味深げに話を聞いている。


 あぁ、それからと、赤毛の美女は言葉を切った。


「婚約おめでとう。何か欲しい物が、あるなら早めにクリスに伝えてくれ。用意しておくから」


 それを聞いたダイアナとローブの魔術師は、赤くした顔を上げる事ができなくなっていた。

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