第37話 最終実験
「やぁ、随分早い到着だね」
マクレガー家の豪華な馬車の乗客たちは、クリスとカトリーナに出迎えられた。ジミーは馬車の中で着替えを済ませており、金髪のウィッグと付け髭を装着した、標準装備の姿で現れた。
「これはこれは、クリス様。ご健勝の事お慶び申し上げます。世紀の大発明品の初稼働という事で、居ても立っても居られず図々しく、まかり越しました」
馬車の中での大雑把で、フランクな態度は一ミリも出さない。大商人の腰の低い、洗練された挨拶であった。
「マクレガーさん。良くお越し下さいました。是非とも台座の実験を、ご覧になって行ってください。あぁ。それから彼女が、僕の妻でカトリーナです」
王族の青年も卒なく、礼を交わす。続いて降り立って来た、二人の微妙な雰囲気に彼は首を傾げた。
「あれ? 周りをキョロキョロ見回して、イワンどうしたの」
「イヤイヤ、何でもございません。って、アラー!」
ローブの魔術師はカトリーナに首根っこを掴まれると、し尿集積施設へ拉致された。
「美しい奥様ですな。本当はウチの娘が横に立てていれば、申し分無かったのですが……」
「僕の我儘で大騒ぎを起こしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「いやなに、対価は得ておりますよ。『千歯』と今回の『台座』で、こちらは儲けさせて頂きます」
「ダイアナさんは、具合が悪いのですか? 何だか顔色が優れませんが」
これまで一言も口を聞かなかった彼女は、赤くなった顔を轟然と翻した。
「馬車での移動で、少し疲れただけでしてよ! さぁ、し尿集積施設へ参りましょう」
そう言って、一人先に歩き出す。が、集積施設とは逆方向に歩き出したのであった。
「なるほど。巨大な樽を作って上部から、し尿を継ぎ足し下部の排出栓から回収するのですな」
イワンは巨大な樽を眺め、片手でペシペシと叩いた。
「普通は穴を掘って地下に、し尿を貯めるのが一般的なのだ。しかしそれでは溜めた物を汲み出すのに、大きなエネルギーと人手が必要になる。『台座』はし尿を瞬間移動する訳だから、位置エネルギーを考慮する必要が無い。それならこの形の方が、汲み出す労力を大幅に削減できる」
「……また分からない、お言葉を連発されて。では、この樽の中心部分に、台座の座標を合わせれば宜しいですね」
「そうだ。余り高い位置に設定すると、オツリが来るからな。宜しく頼む」
イワンは台座を抱えて、ブツブツと何かを唱え始めた。台座に当てていた右手がポワリと薄く光る。その時、クリス一行も集積施設に到着した。
「台座の設定は出来まして?」
「はい完了しました。テストをお願いします」
ローブの魔術師は台座を手渡す。ダイアナは用意していた水差しを構えると、ジミーに声を掛けた。
「お父様はそこの梯子を使って、樽の中を覗いていて下さいな」
彼は大人しく梯子に手を掛け、中を覗き込んだ。
「それでは行きますわよ!」
台座の輪の中へ、水差しの水を流し込む。すると細い水流は台座を通過した瞬間、消えてしまった。
ジョロジョロジョロ
樽の中の何もない空間から細い水流が現れ、底に水たまりを作り始めた。梯子から降り、満面の笑みを浮かべるジミー。
「この樽から台座までの距離に、制限はあるのかな?」
「そうですねぇ。アルバ国内であれば問題なく移動させられると思います。が、魔石の魔力を余分に使ってしまう事が、問題と言えば問題でしょうか」
「それは、し尿施設を各地に設置すれば解決する話だ。婿殿、これは売れるぞ!」
『婿殿!?』
その場に居た関係者が声を揃える。ジミーは少し意外そうな表情を浮かべた。
「ダイアナ。皆にお前たちの婚約の事を、伝えたのではなかったのか?」
「婚約発表などより、お前が一番の障害だったんじゃないのか? 隣国の貴族との縁談をゴリ押ししていたのだろう」
カトリーナが彼を咎める。そう指摘された本人は、両手を広げてニンマリと微笑んだ。
「あのゲス野郎とは手切れです。こちらの『台座』で、儲けさせて頂く事に決めました」
見事な変わり身である。彼の伝家の宝刀は、確実に娘へ受け継がれていた。ジミーはイワンの肩に腕を回す。力強い筋肉質の腕だった。
「その為には、これから婿殿に頑張って貰わなければならないですからなぁ。さぁ、これから忙しくなりますぞ」
ジミーは精力的に、その他の施設を視察し始めた。
「なるほど。し尿自体が堆肥成分の大半に、なる訳ではないのですな」
「そうだ。主成分は麦藁や籾殻、木材の切り屑などの植物体となる。これはそれだけでは変質しづらいが、窒素分を加えてやる事で微生物が増殖し、発酵が格段に早く進む」
カトリーナは完全発酵した堆肥を、鉢に入れて持って来た。全く躊躇わずに、その鉢に指を入れるジミー。
「フカフカしておりますな。それにし尿の匂いも少ない」
「完全発酵すれば、有害菌の数も減り、悪臭も気にならなくなる。だが問題もある」
「それは何でしょう?」
「寄生虫病 ……こちらの言葉で『パラサイト』か。これが蔓延する危険性がある」
「パラサイトは厩堆肥を使っても、起こりますからなぁ。しかし何しろ、し尿という只の物が、お金に変わるという仕組みが素晴らしい。対策を考えてみますよ」
ジミーは腕を組んで、小さく頷いた。カトリーナは、ふと周りを見渡す。
「イワンとダイアナの姿が見えないようだが?」
「きっと、何か別の打ち合わせでしょう。ところで堆肥の熟成期間と用地についてですが……」
集積施設の巨大な建屋の影となる場所。臭いなどの対策の為、施設は広大な畑のど真ん中に建てられている。当然人家は無く、辺りには二人の人影しか無かった。
「えぇっと、ダイアナさん。こんな所で何の打ち合わせでしょうか?」
「大体、予測は付いているのではなくって? 私たちの婚約に関する事でしてよ」
いつもの轟然とした彼女の様子ではない。赤い顔で下を向きながらイワンと目を合わそうとしない。
「私は貴方に求婚しました。それを受けてくださるのですか?」
そう言って縋り付くような、視線をローブの魔術師に向けた。何かを言おうとして口を開いた彼は、口を閉じ小さく首を振った。
「ダイアナさんは、私の血縁者が見つからなかったと仰っていましたね。その説明をさせて頂きたいと思います。少し長くなりますが、お付き合い頂けますか?」
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