第36話 ジミーの正体
「準備は宜しくって? もう馬車は出せますわよ」
「あぁ、はいはい。ダイアナさん、予備の台座は大丈夫ですよねぇ」
これまで『様』付けだった彼女を、イワンはそう呼んだ。本当は婚約者として、呼び捨てや愛称を提案されたのだが、何度練習しても噛んでしまう。やはりダイアナに対して、潜在的な恐怖心を持っているのが原因だと思われる。
その妥協案としての、この呼び方であった。彼女は腰に手を当て、彼を睨みつける。
「私の準備に抜かりは、御座いませんでしてよ。さぁ、出発!」
ダイアナがそう声を掛けた瞬間、豪華な馬車の扉が外側から開かれた。
「よう。キャニックに行くんだろう? 俺も乗せてくれよ」
半浮浪者スタイルのジミーが、強引に乗り込んで来た。この身なりで、どうやってマクレガー家の敷地内に侵入できたのであろう。彼は左手でダイアナの手を掴むと、右手をズボンのポケットへ差し入れた。
ガシッ
いつの間にやら傍に擦り寄っていた、イワンが彼の右腕を掴む。いつものヘラヘラした表情ではない。眼元にある僅かな険に、暗い影が落ちる。無造作にジミーの腕を捻り上げた。
カラン
彼のポケットから小型のナイフが滑り落ちた。それを馬車外に蹴り出すと、ガッチリと右腕を背中に回し関節を捻り上げる。ハンマーロックのような体勢になり、余りの痛みにダイアナから手が離れた。
「……お前がどこの組織の人間か分からんが、早目に口を割った方が良い。楽に死ねるからな」
イワンの口から、こぼれ出る声色は低く暗かった。ジミーがダイアナの手を掴んでから十秒と経っていない
「……何を遊んでいるのです? お父様」
「はい?」
イワンはまた、とぼけた表情に戻って小首を傾げた。
「いや、気に入った!」
右手を摩りながら、ジミーは豪快に笑い飛ばした。馬車は、いつの間にかキャニックへ向けて走り出している。
「ダイアナさん。一応、確認させて頂きますが、こちらの男性は……」
「ジミー・マクレガー。私の父よ」
「確かマクレガーさんは、金髪で御髭を召されていたと記憶しております。更に、この服装は?」
金髪の美女は鼻に皴を寄せて、吐き捨てるように言った。
「父は大切な調査をする時は、自分も調査員として行動するの。全てを見る事は出来なくても、報告を受けるだけよりは正確な情報を選択できると言ってね」
この変梃りんな変装で、ブリテン大王国の調査を行っていたのでしょうと、ダイアナは呟く。当の父親は、どこ吹く風の風情でイワンの肩をバシバシと叩いている。
「ボビーの件で
「台座の開発状況などは、極秘情報の筈なのですがねぇ。なんでジミーさんは御存じなのでしょうか?」
イワンの当然の疑問は、完全に無視された。恐らくマクレガー家に何か隠し事をする事は、相当に難しいのだろう。ジミーは予備の台座を抱え込み、頻りと感心している。何か言いたそうなローブの魔術師を放り出して、マクレガー親子は台座の販売計画を、熱気溢れるテンションで練り始めた。
「では台座の年間リース料は1ポンド(約72万円)で。又貸しなどの転貸は禁止。故障・修理などはリース料から賄いますが、明らかな違約(台座製造コピー品作成の為の分解など)は、即刻台座の引き上げ。違約金は10ポンドという事で宜しいですわね」
「王宮へ台座の特許料は大丈夫かな?」
「台座の権利は難民への、物資無償提供で買い取りました。何かあったら目腐れ金でも投げておけば、十分でしてよ」
王宮の関係者が横に座っているのに、随分と大胆な発言をするダイアナ。ジミーは会心の笑みを浮かべる。
「その前の『千歯』でも、ずいぶん稼がせて貰っているようじゃないか。そのカトリーナとやらも、囲っておいて損は無いな」
「……あの、お言葉ですが」
王宮側の人間として、少しは抵抗しなければならないだろう。イワンは片手を上げて、親子の会話に割り込んだ。それを見てジミーは眉を顰める。
「何だ、婿殿。その他人行儀な話し方は」
「はい? 今、何と仰いました」
「ウチの娘と婚約するんだろう? 何か間違っているか」
ローブの魔術師は両手を突き出して、両手をプルプルと振った。
「イヤイヤ。それは貴方が強要するブリテン大王国の貴族との婚姻を、回避するための方便でして」
「その点に関しては問題ない。あのゲス野郎とは手切れだ。鉱山の場所は奴らに分かるような簡単な場所にある訳じゃないからな。これからユックリと攻略してやるさ」
それよりだな。
ジミーはそう言って、イワンの肩を抱く。
「俺から見ても、ウチの娘はイケていると思う。社交界でも評価は高い。何か気に入らない事でもあるのか?」
「イヤイヤィャィャィャ……」
返答が尻つぼみになるローブの魔術師。ダイアナにギロリと睨みつけられて、声も出せなくなる。
「この娘は周囲から良い条件で、何度も求婚されているが全て袖にしている。自分から結婚したいと言い出したことは、今までに二回しか無いんだ。一度目はお前さんも知っている、クリス殿の件」
「えぇ、大騒ぎになりましたものねぇ」
ガクガクとイワンは頷く。あの案件で、どれだけ気苦労を重ねた事だろう。今でも当時の事を思い出すと、腹の底がザワザワと波立つ様な感覚を覚える。
「そして次が婿殿、お前さんだ。ウチの娘は好きでもない男に、嘘でも求婚なんかしない
「ほぇ?」
キョトンとするローブの魔術師。視線の先のダイアナは、顔を真っ赤にして下を向き、イワンと目を合わせようとしない。
そしてキャニックへ到着するまで顔も上げず、一言も口を開かなかったのである。
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