第35話 幸せの形



 小さな包みを抱えたイワンが、公共霊園に姿を表したのは昼過ぎだった。キョロキョロと辺りを見回すと、一角に人混みが見える。どうやらそこにボビーがいるらしい。

 見れば小さな石碑の陽だまりで、幸せそうにボビーが眠っていた。人々は何故か、彼に近づかない。

「これはこれは、ジミーさんではないですか。どうされました?」


 しかめ面で振り返った半浮浪者は、蹲る犬に首を倒した。

「周りの奴らの話だと、もう数時間は動いていないらしい」

「何ですと!」

 犬の一日における、睡眠時間の総量は人間より長い。しかし長い期間を一度に取るのではなく、寝ては覚めを繰り返すのだ。日中に数時間も続けて眠る犬は居ない。それを知っているイワンは、抱えていた包みを放り出すとボビーに走り寄った。

 首筋に手を当て反応が無いと、前足を持ち上げて胸部に自分の耳を押し当てる。暫く目蓋をギュッと閉じていたが、ため息をついてボビーから手を離した。


「残念ですが、お亡くなりになられています」


 呟くようにそう告げると、人混みの聴衆がザワザワと騒めき始める。ジミーはイワンの包みを拾い上げると、中身を覗いた。中には柔らかく煮込まれた羊肉が入っている。

「おい、これどうした?」

「昨日、フライドフィッシュを食べられなかったのは、硬い物が苦手なのかと思いまして。柔らかく煮込んだ肉をお持ちしたのですが、無駄になってしまいました」

「……無駄にはならねぇよ」

 半浮浪者は肉片を抓み上げると、モグモグと食べ始めた。また犬の食事を横取りですか、としたイワンは小さく首を振る。


「あの後、調べたのですが、ボビーさんは十二才でした。人間の年齢に換算して、六十四才となりますか。大往生ですねぇ」

 アルバにおける庶民の平均寿命が二十五才、長く生きられても四十五才前後の時代である。確かに大往生と言えるだろう。それを聞いたジミーが鼻を鳴らす。

「お前さん、その服装からすると魔術師だろう? 魔法で何とかしてやれないのか」

 そう言われた彼は、力なく首を振る。


「命に係わる魔術を使う為には、数えきれない程の制約がございます。仮にそれらを全て潜り抜けたとしても、老犬が生き返るだけ。またすぐに同じ原因で、亡くなってしまわれるでしょう」

 そう言うとイワンは汚れる事も気にせず、幸せそうに眠り続けるボビーを抱え上げた。

「おいおい、どうするんだ?」

「……お弔いをして差し上げなければ、と思いまして。こちらの石碑がご主人の墓所でしょうか?」


「ねぇ、飼い主さんと同じ場所に、埋めて上げたら良いのじゃない?」

 どうやらこの石碑が、主人の墓石であることが判明する。すると近くにいた少女が、そう提案した。確かにそうすれば彼らは長い間、一緒に居られるに違いない。


「ここは公共霊園ですぞ。神聖な大地に、埋葬されるは人間のみ。如何に感心な犬とは言え、畜生が埋められるなぞ言語道断」

 僧侶の姿をした老人が、声を上げる。確かに動物と同じ場所に、埋葬されることを嫌う人が居るかもしれない。


「確か今の飼い主は、正式には王宮だった筈だぞ。ボビーの死を、誰が報告するんだ?」

 商人の身形をした中年男が、訳知り顔で呟いた。確かにアルバの地方法では、飼い主のいない野犬は、捕獲次第処分される事になっている。ボビーの噂を聞いた現国王が地元民の人気取りの為に、彼を保護した経緯があった。


 喧々諤々の議論が続く。形は異なれ、誰もが彼を愛していたのだろう。議論は何時まで経ってもまとまりそうにない。そのうち共同埋葬を提案した少女が泣き始めた。

「今までずっとここに居たのに! 人間じゃないからって、離れ離れになってしまうなんて可哀そう」

 その言葉に周りの大人たちは、きまり悪そうに下を向いた。彼女の前に立ったイワンは膝を曲げ、目線を同じ高さにする。

「ボビーさんは幸せでした。きっと今頃、ご主人様と天国で再会を果たされていることでしょう。幸せの形は人それぞれ違います。どうか泣かないで、頑張った彼を誉めてあげて下さい」


 そう言って老犬を抱え直すと、その場を離れ始めた。ジミーがキョトンとした顔で声をかける。

「おい! その犬どこに連れて行くんだ」

「葬儀の方法が決定するまでは、私の部屋へ。偶然、部屋は王宮の中にありますから」

 その一言で、彼を咎める者が一人もいなくなった。周りの人間は口を開かない。その中で一人だけ、口を動かしている男が居る。


は、相変わらず味が薄い。それとも犬用に、塩味を落としているのかな」

 ジミーと名乗った中年男は、不味そうに羊肉を頬張り続けるのだった。



 それから三日後。


 エイディーン・ボビーの葬儀は、一般人のそれより大規模に執り行われた。国王代理の官僚や教会の枢機卿が、参列し彼の業績を悼んだ。その葬列の最後尾に居たイワンに、何処からともなく現れたジミーが声を掛けた。

「何だか随分と後ろの方にいるんだな。お前さんが最前列でもいいだろうに」

「イエイエ。私如きでは僭越です。このような儀式に相応しい方々が沢山、いらっしゃいますから」


 いつもと変わらぬ飄々とした態度。そんな彼を見て半浮浪者は、葬列の遥か前方を指差す。

「確かにお前さんよりは、アイツらの方が押し出しも効きそうだ。それに奴らに気分良くさせておいた方が、後難もなさそうだしな。庶民の人気取りができて、さぞかしご満悦だろうよ」

「私の力及ばずボビーさんを公共霊園内に、安置する事は出来ませんでした。しかしご主人様の石碑を見渡せる外周に、埋葬させて頂けることになりました。それもあの方々の思し召しです。何でも立派な石像建設が、予定されているようですしねぇ」


(そんな事より、静かに送って差し上げる方が、何倍も宜しいとは思いますが)


と、呟いてイワンは肩を竦める。それから静かに列を離れた。

「おい、何処に行くんだ。式は終わっていないぞ」

「残念ながら野暮用がありまして。これからキャニックへ向かいます」

「お前さん、昼行燈に見えて結構、忙しいんだな」

「……良く言われます。貧乏暇なしという奴ですかねぇ。それでは失礼いたします」


 ジミーの揶揄を聞き流すように、仰々しい一礼をするローブの魔術師。そしていつの間にやら参列の人混みから、その姿を消していた。

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