第34話 エイディーン・ボビー



 これまでの話を思い返して、イワンは深いため息を付く。マクレガー家から王宮に向かう、途中の公共霊園のベンチに座り込んだ。ダイアナとの会話を、再度思い出し始める。


「何故、そんなゲス野郎の所に、お輿入れをなさるんですか?」

「お輿入れをしない為に、貴方と婚約するのでしょうが。この件は父の強い意向が働いていますのよ」

 ダイアナは鼻に皴を寄せる。ローブの魔術師は目を見開いた。

「お父様は大事な娘さんを、どうしてそんな所へ?」


 ここからは他言無用と、金髪の美女は顔を近づける。イワンの耳元で囁いた。

「彼の領地に誰にも知られていない、鉱山が発見されましたの」

 何でもその鉱山は、金や有用鉱物が埋蔵量の予測も立てられない程、無尽蔵に眠っているらしい。

「……良く、そんな鉱山を極秘で見つけられましたねぇ。領主に知られたら大変な事になりそうです」

「当然ですわ。ですから私が輿入れして、ゆっくりと実権を握って行く作戦でしたの」


 しかし、複数回結婚しているゲス野郎の妻たちは、全員原因不明の病気で亡くなっていた。これでは流石のダイアナでさえ、どうなるか分からない。金や有用鉱物は惜しいが、命には代えられない。そこで彼女は父親と揉めている最中なのだという。


(……聞かなければ良かったですねぇ)


 イワンは背筋を縮めた。この秘密が彼から漏れた事が分かれば、アルバでの居場所は無くなるであろう。その呟きを聞いて、事も無げにダイアナは宣うた。

「我が商業ギルドは本拠地アルバは基より、ブリテンとカムリにも強い影響力がありましてよ。そこですら居場所が無くなると思って頂いて結構ですわ」

 この二国を超えると、そこは海である。その先に大陸はあるが、言葉すら変わってしまう異国であった。


『国外追放』


 の二文字が彼の脳裏に浮かぶ。ローブの魔術師の溜息は止まらない。


 クゥーン


 いつの間にか彼の足元に、毛足の長い中型犬が身体を擦り付けていた。胴長・短足であるがガッシリとした身体付きである。どうやらこの辺りの犬種でスカイ・テリアのようだった。

 年を取って銀色になった体毛が、銀髪のイワンに良く似ている。空腹なのか情けない顔を彼に向けて、尻尾を振っていた。

「何でしょう。初めてお会いしたのに、他人とは思えませんねぇ」


 苦笑した彼はローブの中に入っていた、ビスケットをテリアの鼻先に差し出す。嬉しそうに、その場で食べ始めた。

「おぉ、ボビー。良い物を貰ったな」

 通りかかった黒髪で、中肉中背の中年男が声をかけて来た。彼の身なりはお世辞にも良いとは言えない。一歩間違えれば浮浪者と間違えられる、寸前の恰好だった。

「この子の名前は、ボビーというのですか?」

「あぁ、そうだ。お前さんは知らんかね。エイディーン・ボビーの噂を」

 キョトンとするイワン。暫くしてポンと手を叩いた。


「君が噂のボビー君ですか。初めまして」


 エイディーン・ボビーこと、年寄のテリヤは王都で伝説となりつつある忠犬だった。彼は、もう十年以上前に亡くなった主人の墓に寄り添って暮らす、アルバ版「忠犬ハチ公」なのである。

 彼の主人は町の治安を維持する下級騎士であったが、若くして肺炎で儚く世を去った。葬儀に加わったボビーは、次の日から主人の墓の傍で一日の大半を過ごすようになったのだった。


「ほれ。飯だぞ」

 ジミーと名乗った半浮浪者が懐から紙に包まれた、フィッシュアンドチップスを取り出した。ボビーは嬉しそうに、男の手から揚げ物を咥えた。彼はイワンにも勧める。考えてみたら、最後に食事を摂ったのは何時だろう?

 ありがたくフライドポテトを口にした。そして顔を顰める。


「頂いておいて何ですが、随分と冷めて湿気っていますねぇ」

「そりゃそうだ。これは昨日の残り物で、ボビーにやる為の残飯だからな。そこの店から貰って来たんだ」

「!!!」

「そんな顔すんなって。腐っている訳でもないし、まだ食べられる」


 ジミーはフィッシュアンドチップスをモリモリと食べ始めた。

「あの…… それはボビーのご飯なのでは?」

「ここまで運んでやった駄賃だ」

「犬のご飯をピンハネするとは……」

 驚愕の目で半浮浪者を見つめるイワン。彼は鼻を鳴らした。


「どっちにしろコイツは年寄で、もうそんなに量を喰えないんだ。ホレ、見てみろ」

 そう言って、ボビーを指差す。確かに彼はフィッシュフライを、持て余すように咥えていた。

「そういえば飼い主さんのお墓が建ってから、十年以上経過しているんですよねぇ。犬にしてみたら、大した年月なんじゃないですか?」

「そうだろうな。もうヨボヨボのジーさんだしな。そんなに長い年月、一人の事を慕い続けるなんて、流石に犬だな」

「いやいや。人間でもそういう方は、いらっしゃるのではないですかねぇ?」


「そんな訳ないだろ。人間なんて手前勝手な生き物だ。誰だって自分が一番、可愛いんだよ」

「否定はいたしません。そういうケースが多いのは確かですから」

 ジミーは胡散臭げにイワンを睨めつけた。ローブの魔術師は肩を竦める。

「それでは私は、これにて失礼いたします」

 そう言うと王宮に向かう為、ボビーたちの傍を離れて行った。



「それではクリス様とカトリーナ様は、キャニックへ出発されてしまったのですか?」

 ……私を捨て置くとは、何という薄情な。王宮に戻るとイワンは、そう呟いてガックリと肩を落とした。ジャガイモ官僚は、気の毒そうな表情を浮かべて彼を労った。

「カトリーナ様は、し尿受け入れ場が完成したら、直ちに場所を連絡すると仰っていました。それからイワンさんはから、キャニックまで来ることは無いと。貴方は今、そんなに忙しかったのですかな?」

「……えぇ。まぁ色々と野暮用が」

 ローブの魔術師は、ゴニョゴニョ呟いて自室に戻った。見れば書き物机には、これまでの不在時に溜まるに任せた書類が山積みになっている。彼は本日何度目かという、ため息を吐きながら野暮用を捌き始めた。


 チチチッ!


 小鳥の声に気が付き、書き物机から顔を上げると、イワンは目をシバシバとさせる。

「おや、朝ですか」

 彼の涎で汚れた書類を何となく手で擦ると、大きく伸びをした。階下の食堂から、朝食の匂いが流れてくる。その香りに誘われて、フラフラと席に着く。

 アルバの食卓では、朝食の量が多い。この日は具沢山の煮込みスープである、スコッチブロスがメニューに入っていた。野菜も多いが、今回は羊肉が盛り沢山である。よく煮込まれた、それを突きながらイワンは肩を竦めた。


「……仕方ないですねぇ」


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