第32話 幸せな二人



「ダイアナは、あの少年たちの事を忘れていなかったのだな。それにしても徒歩でキャニックまで向かうとなると、最短距離でも六日はかかるぞ。その間、靴も履けないとは…… 敵に回すと、これほど恐ろしい女は居ないな」

 カトリーナは、ウスラ寒そうに肩を竦めた。それに反してクリスは、感心することしきりの表情を浮かべる。

「残酷に見えるかも知れないけど、見せしめ効果は抜群だよね。これだけの事をされたら同じ事をしようとする人間は、なかなか出てこないと思うよ。僕たちが居なくなっても街の、難民受け入れは上手くいくんじゃないかな?」


「そうですよねぇ。私以外の人間がダイアナ様に虐げられているのを見ると、何やら心の奥底がザワザワいたします」

 両手をすり合わせて、嬉し気な表情を浮かべるイワン。それを見て彼女は、眉根を寄せる。

「クリスは、そう言う意味で言っている訳ではない。お前の特殊な性癖を披露するな」

「な、な、何を仰いますやら。クリス様に忠実な魔術師を捕まえて」

 ローブの魔術師は両手をバタバタ動かして抗議を行った。



 マクレガー家一連の活動によって、夕食の時間が大幅に遅れる。しかし、それに文句を言う人間は一人もいない。みな笑顔で活気が有り、配給所はガヤガヤと賑やかだ。そんな中で、しょぼくれた表情を浮かべた少年がいた。弟妹を守り切った彼である。

「おや、少年。浮かない顔をしてどうした?」

「お姫様は、明日この街からいなくなっちゃうんだろ? 折角仲良くなれたのに、寂しいな」


 ふぐっ


 カトリーナは奥歯を噛み締めた。荒くなる息を何とか整えると、彼の髪の毛をかき回した。

「泣かせる事を言ってくれるじゃないか。君なら、どこへ行っても大丈夫だ。それは私が保証する」

 何とかそれだけ言って、逃げ出すように配給所を後にする。クリスも慌てて彼女の後を追う。その様子をイワンとジャガイモ官僚が眺めて、どちらからともなく苦笑いを浮かべるのだった。



「ちょっとカトリーナ、何処まで行くの」

 赤髪の美女は、肩を掴まれて足を止めた。いつの間にか二人は、人気の無い海岸を歩いている。振り向いた彼女は、綺麗な顔を歪ませて盛大に号泣していた。

「……本当に泣かされちゃってるじゃない。大丈夫?」


「わ、私なんかと別れて、寂しいと言って貰った! 私は一体、どうすれば良いのだ?」

 盛大に鼻水を啜り上げて、声を絞り出す。クリスは微笑みながら彼女を抱きしめる。

「僕のお嫁さんは本当に可愛いなぁ。でも少年に、少し妬けちゃうかも」

「?」

「僕だって君を大好きだよ。勿論、離れ離れになんてなるつもりないけど」

「!」


 カトリーナは返事をするために、開いた唇を塞がれた。遠くで食事を囲んで賑やかな喧騒が聞こえる。月明かりの下、彼らの長い影が波打ち際で揺れていた。



「さぁ、出発いたしますわよ!」


 ダイアナの号令一下、長い人馬の列が動き出した。先頭は昨日捕まった三人組である。後ろ手に縛られ、重たい幟を担がされ、しかも裸足で歩き始めた。当然のように徐々に後続に追い抜かれるが、最後尾に来たところで全体が小休止となる。

 その間も彼らは休めない。不貞腐れて歩みを止めた事もあるが、本当に置き去りにされる事が分かってからは、文句を言いながらも足を止める事が無かった。


 彼らにとって堪えたのは、道中の肉体的負担もさることながら、同行する難民たちの冷えた視線だった。誰も彼らに声をかけない。三人のうち一人が倒れても、誰も助けない。しかし彼らの一挙手一投足は、全て誰かに見られている。

 初めのうちは強がって、周辺の人々を威嚇していた三人は、一日経過するごとに無口になっていった。



 ガロウェイから王都エイディーンまでは、人間の脚で三日かかる。王都では王族や官僚に、難民の状況を説明する必要があった。クリスたちの報告で、アルバ全地方に振り分けられる難民の数が急増し、そのスピードも上がった。


 実際に王都からキャニックへ移動するまでに、約一週間の時間が必要になった。難民移動の引継ぎや、台座の販売方法などの打ち合わせが、分刻みのスケジュールで行われていたからである。

 特にイワンは多忙を極めた。ガロウェイで発生した『ベリベリ』の治療方法確立や、現地で必要な魔術師の特性など関連機関に報告して行く。そして王宮における勤務が終わった瞬間に、マクレガー家へと拉致されるのであった。


 マクレガー家の研究室では、台座の改良に余念がない。夕食も取らずに実験台の前に立つローブの魔術師の横には、豪華な美女が寄り添っていた。

「お疲れ様。台座の販売方法などの最終打ち合わせを行う為に、今晩はカトリーナ様たちがいらっしゃってよ」

「それはそれは。ついに日の目に見る時が来ましたねぇ。おめでとうございます」

「私としては秘密保持期間を長く持たせたいから、レンタル案を押しているのですけどね。 ……その他に彼らと、相談したいこともありますし」


 日頃のダイアナには珍しい、少し煮え切らない態度。相談事とは何なのかイワンが、水を向けようとした所で研究室の扉がノックされる。

「例の台座を販売し始めるんだって?」

 研究室にカトリーナとクリスが入って来た。いつの間にやら、二人にとって勝手知ったる他人の家と化したマクレガー家。特に家人に案内もされずに、ここまで来たようだ。


「概略は先日宮廷でお話しさせて頂きました通りですわ。できれば機密保持の観点から、販売では無くレンタルを希望します。そうすればどこの誰が、どの台座を使用しているかを、いつでも把握できますし」

「商売に関しては、お前の方が有能だ。特に異存は無い」

 クリスもニコニコして頷いている。その後、し尿を飛ばすキャニックの詳細な場所や貸出予定者のリストなどの検討に入った。全ての打ち合わせが終わった後、ダイアナが口を開いた。


「少し個人的な用件で御相談がありますの。お時間を頂いても宜しいかしら?」

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