第27話 厄介な病気



「カトリーナ様。ちょっと宜しいですか?」


 イワンは赤髪の美女をテントの外へ連れ出した。訝しがる彼女を横目に、人気の無い路地裏に移動する。更にクリスとダイアナも呼び寄せた。

「何よ、もう治療に飽きたの? それなら台座のかいりょ……」

「厄介な病気が発生しているようです。どうされますか?」

 ダイアナの提案を途中で遮り、ローブの魔術師は物騒な報告を行う。クリスは眉を顰めた。


「病気ってどんな?」

「アルバでは余り症例が無いのですが、『ベリベリ』という病気だと思われます。

「それって伝染病みたいなもの?」

「風土病の様に集団で発生しますが、人から人への感染は無いようです。魔力で回復させるのが難しい、厄介な病気です。時期が時期だけに扱いが難しいですな」

 この話が広まれば、周囲が大騒動になるのが容易に予測できる。イワンは眉根を寄せた。カトリーナは彼に問いかける。


「どんな病気なんだ?」

「心臓より下の身体の表面に、浮腫が出ます。神経痛のような症状が出て、重篤な場合には心臓が不具合を起こすのでしょう。死亡してしまいます」

「……ちょっと、私が見る事はできるかな」

「へ? カトリーナ様は、医学の知識もお持ちで」


 二人は医療用テントに戻る。気になる病人の何人かを椅子に座らせ、足を組ませた。小さな金槌で軽く、膝小僧の下を叩く。また、浮腫の状態を見て、指で押した後の回復状態などを確認した。暫くして赤髪の美女は、独り言ちた。

「これは栄養失調による体調不良と脚気だ。おそらく『ベリベリ』とは脚気の事だと思う」



 日本海側の農村地帯では、食生活から脚気を患う高齢者が多かった。この問題の解消が農業改良普及員と、対をなす生活改良普及員の案件事項だった。香利の同僚である職員も、頭を悩ませていた物である。

「ちょっとぉー、香利。山根のジーサンの所、何とかならない?」


 農業改良普及員と異なり、生活改良普及員は女性が多い。これは農村の特殊な生活事情を、改善するのが主な職務だからである。例えば食事事情の改善や、家事の効率化、農業集団の育成などを行う業務だ。

 農家の生活に踏み込んで行くのが、大前提なので女性が活躍する職場と言える。しかし同僚は珍しく男性で、ガチムチのレスラー体型である。その為、交友関係の少ない香利とも、比較的付き合いがある人物だった。


 ただしオネェ言葉を話し、ちょっと残念な性癖を抱えている。それでも自分の嗜好を公開しても、地方公務員として生き残れる程には有能な人材だった。

「……山根って、どこの山根さんだ?」

 この地方に多数存在する名字である。ある部落では集落丸ごと山根姓で、個人の特定は下の名前か屋号(昔の名字の様な物。カドヤやニンベン、キッコーマンなどが有名)で行われている。

「この前ウチの管区で、奥さんが無くなった、梨農家の山根さんよ」


 件の山根氏は先日、伴侶を無くした高齢の男性である。妻が生きている間は、精力的に農作業も行い、彼女が作った食事も残さず食べた。しかし亡くなってからは、ほとんど畑に出ることも無く、昼間から酒を呷っている状況らしい。

「どうせ儂も長くない。バーサンが居なくなったら、畑で稼ぐ必要もなかろう。後は好きな物を喰って、吞むだけじゃ」


「山根氏は幾つになるんだった?」

「確か七十代前半の筈よ」

「それじゃあ、彼の言葉の方が正しいんじゃないか? 七十代の人間に農作業を強要するなんて、それは国の政策が間違っている」

 同僚はクッキリと二つに割れた、逞しい顎を横に振った。

「そうじゃないのよ。私には彼の緩慢な自殺を放っておけないの。それに彼が居なくなったら、香利だって困るでしょう」

「……それはそうだが」


 山根老人は梨栽培の名人で、篤農家とくのうか(ある分野の農作業で抜き出た技能のある人物)であった。近隣大学の栽培実習先や研究提携の依頼も多数受けている程である。

「かく言うボクも学生時代、実習先としてお世話になっていた。彼の技術は得難い物だ。まだまだ、若い世代に伝承して貰いたいものだ」

 そこで二人は時間を合わせて、山根宅を訪問した。二人を見て相好を崩す老人。


「ホウホウ、マツコが無感情人形を連れてきおった」

「マツコ・デラックスは分かるとして、無感情人形とはボクの事か? 随分と垢抜けたニックネームだな」

 香利は苦笑しながら山根に近づいた。濃厚に漂う酒気。昼前なのに相当呑んでいるようだ。老人はヒョイとガチムチマッチョを指差す。

「こいつが言っとった」

 その彼はソッポを向いて、鼻を穿っている。


「山根さんは、おかまを見ればマツコだと思っているみたいだけど、この世界のし好は奥が深いのよ? 私と彼女じゃ、だいぶタイプが違うんだから」

 同僚は人差し指を立てて、小さく横に振った。

「別にそんな話に興味は無いのぉ。痛たたた。神経痛が酷いから、早目に用を済ませて欲しいんじゃが」

「あぁ、それそれ。山根さんの神経痛って、脚気なんじゃない?」

 心配そうに眉を顰める同僚。彼の言葉に老人は興味無さそうに、肩を竦めるだけだった。


「本来なら保健所の医師か看護師でも呼べば良かったんだけど、それだと山根さんが嫌がるから」


 同僚は老人を野外に置いてあった、椅子に座らせ足を組ませる。組んだ足の膝小僧を小さなハンマーで軽く叩いた。それから足の表面を撫でまわし、ため息を付く。

「浮腫も酷くなっている。やっぱり脚気みたい。つまみも食べずにお酒バッカリ吞んでるでしょう?」

 彼はナップザックから、栄養指導のパンフレットをゴッソリと取り出した。中身を説明しようとした所で、山根氏は片手を振った。


「前にも言ったように、儂の事なぞ構わんでくれ。残りの余生は好きにする」

 ガチムチマッチョは、四角い顔を悲し気に顰めた。

「そんな事、言わないで頂戴。山根さんが居なくなったら、私が悲しいわ」

「何じゃ、おまいさん。まさか儂の貞操を狙って……」

「私は老け専じゃなくってよ! 中学生位の可愛らしいオトコの娘が、守備範囲なんだから」

 聞きなくも無い同僚の告白の内容を想像して、ゲンナリする香利。それからフト気が付いたように、老人に声をかける。


「昨年、大学と共同発表した新品種の原木は、ここにあるのか?」

「あぁ、庭先のアレがそうじゃな」

 指差された原木をしげしげと観察した後、彼女は同僚に話しかけた。

「大体事情は分かった。双方、言いたい事は言い終わったか? それなら帰ろう」

 香利は淡々と帰り支度を始めた。ポカンとする同僚と老人。彼女は公用車に向かって歩き出している。

「ちょっとアンタ! 何が分かったってのよ!」


 同僚の叫び声も聞かずに、香利は車のエンジンを掛ける。彼は慌てて車に向かって走り出した。

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