第26話 難民対策



 しばらくの間、興奮したジャガイモ官僚や有力貴族たちに、揉みくちゃにされたクリス。彼らと今後の予定をすり合わせる事に、結構な時間を取られてしまった。気が付くと壁際に立っていた、カトリーナの姿が消えていた。

 何処に行ったのだろうと、しばらく考えて温室に向かう青年。きっと今、彼女は植物に触れていたいのだろうと考えたからだ。


「やっぱり居た」


 温室の中では大きな育苗箱に、何かの植物の種を蒔いている彼の妻の姿があった。温室のドアが開いた事に彼女が気付き、クリスの姿を確認すると慌てて顔を背ける。普段と異なる仕草に、王族の青年は小首を傾げた。

「何だか目が赤いようだけど、気分を悪くするような事があったかな?」

「……そんな訳ないだろう。私は喜んでいるんだ」

 土の付いた手のまま、カトリーナはクリスの胸に飛び込んだ。


「あんな方法で皆を説得してくれて…… 恨みも買うし、お前の得になる事は何も無かったろう?」

 彼女の手を優しく包むと、青年は微笑む。

「ほら、こんなに手を汚して。父上も行っていたでしょう? 汚れ役は王族の役目なんだから、気にしないで。それに君の役に立てたのなら、それが一番嬉しいよ」

 人気の無い温室。言葉も無く見つめ合う二人。さて、これからという所で……


 ゴホン!


 温室の入り口でジャガイモ官僚が咳払いをする。彼の後ろにはダイアナが、苦虫を噛み潰した様な表情で立っていた。

「チッ、なに乳繰り合っているのよ! 今は国の一大事じゃなくて?」

 慌てて身体を離す二人。国王が呼んでいると、豪勢な美女は言い捨てる。彼女と官僚は威風堂々と、続く王族の二人はトボトボと温室を後にした。



「フォエフォエ。忙しいのに呼び立ててすまんの」

 愛想良く微笑むグレアムを見て、青年は警戒感を強める。猫撫で声を出す時の父親は、無理難題を抱えていると経験的に分かっているからだ。彼はカタリーナを背後に回し、国王から距離を取る。

 息子の態度を見て、哀しそうな表情を浮かべるグレアム。

「何を警戒しとるんじゃ。先ほどの演説を、誉めてやろうと呼び出したのに」

「それはありがとうございます。でも、それだけでは無いですよね?」


 目をパチクリとさせる国王。何かを誤魔化そうとするが、ため息を付いて諦めた。

「先ほど現地から報告が入った。南部のガロウェイに難民が到着した。陸路からはブリテン大王国、海路からはカムリ公国。数は現在一万人程度で、これから益々増えて行くそうじゃ」

「……遂に来ましたか。我が国が取る方策はどうされますか?」

「商業ギルドが出してくれた食料は出そう。しかし衣と住に手が回らん。それでじゃの」

 グレアムは後ろに立っている、ダイアナを指差す。


「商業ギルドと一緒に王族代表として、現地視察して貰えんかの?」



 国境に隣接するガロウェイは、ソルウェー湾を望む人口五万人規模の穏やかな、アルバ南部の町である。王宮に収めるバラなどを栽培する花卉園芸が盛んな場所で、エイディーンから馬車で南西方向へ半日程離れた所にあった。


 その穏やかな町は、多数の難民が押し寄せ大騒ぎとなっていた。現在一万人であるが最終的に十万人が予測される難民。ガロウェイの人口の二倍である。町独自での対応は不可能だ。現在でも町の人口二十パーセント規模の増加量なのである。


 食料購入をさせるさせない、宿屋の宿泊で揉めるなどは、まだ質が良い。金も無く着の身着のままで命からがら辿り着いた人々は、道端に力無く座り込んでいた。母親に抱きかかえられた幼児も、泣く元気さえなく呆然と空を見上げている。


「この町はどこも一杯で、新しい人は入れんのじゃ」

「道でも木の下でも、どこでもいい。俺たちを国に追い返さないでくれ」

 町の代表と難民たちが揉めている、その真ん中に王族と商業ギルドの馬車が乗り込んだ。その後からは救援物資を満載した、荷馬車が列をなして続く。

「皆さん、お待たせいたしました。アルバ王族のクリス様と同国商業ギルドが参りましたわよ!」


 暗い霧を祓うかのようなダイアナの声。ギルドの職員が手際良く、仮設テントや炊事場の設営を初めて行く。炊事場には即席の竃が設置され、手早く麦粥が作られて行く。カトリーナも調理の手伝いに奮闘し始めた。


 クリスは難民の人々が集まる真ん中に、立ち良く通る声を上げた。

「皆さん、アルバへようこそ。僕はクリス・スチュアート、この国の王族の一人です」

 青年は救援物資を携えて来た事。体調の悪い人は医務係に申告する事。体力があり、余裕のある人は、救援活動を手伝って欲しい事などを手際良く伝えた。

 クリスの演説が終わると周辺に、明らかにホッとした空気が流れる。難民たちを落ち着かせると、彼はガロウェイの責任者と打ち合わせに入った。



「おい、イワン。ちょっとこっちを見てもらえないか?」

 カトリーナに声を掛けられたローブの魔術師は、マクレガー家の高級馬車に拘束されていた。室内は魔道具や液体の入ったフラスコなどで一杯であり、ちょっとした実験室の様になっている。

「 ひぃ、ダイアナ様。もう少しです! もう少しですから、お待ち下さい」

 馬車の扉を開くとイワンは、室内の片隅に小さくなって固まった。


「……この短期間で、どういう教育せんのうを受けたのだか」

 ジンワリと痛む頭を押さえてカトリーナは呟く。背後から勝ち誇った様な高笑いが聞こえた。

「クリス様の腰巾着として、ガロウェイにどうしても同行したいと言うから、特製の馬車を用意しましてよ! 何度もお話ししている通り、台座の開発が一秒遅れれば、金貨一枚一ポンドが無くなると思って作業なさい」

「ひぃ、分かっています! 分かっていますから、どうかだけは勘弁して下さい」


 とは何だろうと、小首を傾げる赤髪の美女。それから思い出したように馬車の外を指差した。

「思ったよりも傷病者が多い。お前は医術も学んでいるだろう? ちょっと手伝ってくれ」

 それはそれはと頷くイワン。彼は上目使いの視線を、豪勢な美女に向けた。彼女は鼻を鳴らして横を向いた。


「そちらの方が優先事項だと思うなら、手伝って来れば良いじゃない。私は止めたりしないわよ」

「それでは出来るだけ手早く、処理してきますので失礼して……」

「チョット聞きたいんだけど、医療行為は夜もするものなの?」

「いやいや流石に、こんな設備の無い所では難しいんじゃないですかねぇ。経過観察位は必要だと思いますけど」

 ローブの魔術師の言葉を聞いて、豪華な美女はニンマリと笑った。

「分かったわ。台座の改良は夜に進めれば良いという事ね」

「ひぃ~。わ、私の睡眠時間は一体どこへ」

「ほら、早く行きなさい! 患者が待っているわよ」


 馬車から蹴飛ばされるようにして放り出されたイワンは、カトリーナと共に医療テントに赴いた。テントの下には寒さと栄養状態の悪さから、体調不良者が大勢集まっていた。

「はいはい、失礼しますよ」

 飄々とテントの中に入って行くローブの魔術師。症状の軽い患者たちに回復の魔法をかけて行く。その手が急に止まった。

「……これは!」

 何人かの患者の肌に浮腫が出ており、指で押すと窪みがそのまま戻らない。イワンは小さく首を振り、小さな声で呟いた。


(これは不味いですねぇ。非常事態です)





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