第25話 崇高な役割



 ジャガイモ官僚はカトリーナの手を取り、温室へ引っ張り込んだ。普段の温厚な彼とは思えない強引さである。

「一体全体、何をしたのですか?」

 経過観察を行っていた鉢を指差し、彼は唾を飛ばす。五個ずつある二種類の鉢。片方の麦は倍以上生長していた。草丈は変わりないが、分げつ(枝分かれの数。節毎に茎が伸びる)数が倍、違った。

「同じ種なんですよね。赤い方は三本位なのに、堆肥の入っている方は六本に近い!」


 顔を真っ赤にして、興奮しているジャガイモ官僚。クリスは小首を傾げる。

「ねぇ、カトリーナ。これって、そんなに凄い事なの?」

「そうだな…… 単純に言えば茎の先に麦穂が着くだろう。だから茎が増えれば、それだけ麦粒の増収が期待できる」

「この時期に踏圧(麦踏み)をせずに、六本とは驚きの生長です! 単純計算で二倍の収穫になりますぞ」

 興奮する官僚を往なし、赤毛の美女は肩を竦めた。


「あくまで概算だ。アルバの畑作地の地力が低いのは、分かっていたから養分を与えただけだ。この麦本来の力は、この位はあるのだろう」

「……養分というのは、例のし尿ですな」

「気味が悪いというのは分かっている。しかし今、これ以外に有効な養分供給を期待できる、手立てが思いつかないんだ。堆肥を作るのにも時間が掛かる。大規模にやるにはもう、元肥(種を蒔く前の肥料)には間に合わない」

「では土入れ(排水溝を掘り直す際の土寄せ)の時の、追肥(生長の具合を見て、後から施す肥料)になりますか」


 二人の会話をポカンとした表情で聞いていたクリス。

「麦の話は良く分からないけど問題は、し尿の堆肥で作った作物を食べてくれる人が居ないってことだよね。でも本当に食べる物が無くなれば、そんな事を気にしてられないと思うんだけど」

「そうかもしれないし、そうでは無いかもしれない」

 カトリーナは王族の青年をジッと見つめた。余りにも真剣な表情を見たクリスは、思わず顔を赤らめる。

(やっぱり僕の奥さんは、綺麗だな)


「丹精込めて栽培した作物を、嘘をついて食べて貰いたくない。納得して食べた人を、幸せにする作物を私は作りたいんだ」

(綺麗なだけじゃない。神様みたいに優しい人だ)

「おい、クリス。人の話を聞いているのか?」

 赤毛の美女は青年の頬を抓み上げる。それでもニタニタと笑っている彼をみて、ジャガイモ官僚は咳払いをした。慌てて正気に戻るクリス。


「みんなに納得してもらう事は、出来ると思うんだ。ちょっとカトリーナの力を借りる事になるけど」

 青年は新婦に耳打ちをした。驚いた表情を浮かべるカトリーナ。

「それは…… 用意は有るが、本当に良いのか?」

「やっぱり! 僕の奥さんは準備が良いなぁ」

 訝しがる農業専門家の二人を前に、クリスはニコニコと微笑んでいた。



 混乱が続く大広間。食糧が無ければ揉め、有ればあったで分配で揉め物であるらしい。グレアムも陣頭指揮を執っているが、辺りは騒然としている。そこに箱を抱えたクリスが現れ、国王に耳打ちした。

 ギロリと目を巡らすと、パチンと手を打った。急速に静まり返る大広間。グレアムは国王席に攀じ登った。

「皆の者、打ち合わせの中断を許してくれ。クリスから、大事な願い事がある」


 王座の横に進み出る王族の青年。大勢の耳目が自分に集まっていても、臆することなく微笑んでいる。

「商業ギルドのお陰で、『春の飢餓』は回避できそうな状況になった。しかし難民の増加で自国生産する農作物だけでは、自給が難しい状況になっているのは、皆も分かっていると思う」

 それを補う方策が見つかったとクリスは話す。デップリ太った有力貴族の一人があげつらうような声を上げる。

「最近ご執心の人糞のお話ですか? ゾッとしませんなぁ」


「そうだね。し尿も堆肥の原料の一部だ。君は堆肥を知っているかい?」

「わ、私たち貴族が直接農作業などするものですか! 我々にはもっと崇高な役割があるのですから、そんな下賤な……」

「領民や家族の命を護る事より、崇高な役割ってなんだ!」

 クリスは心底、怒った声を上げる。普段、彼が人前で声を荒げた事など皆無に等しい。大広間に緊張が走った。

 彼はカトリーナが用意していた箱から、件の鉢植えと堆肥のサンプルを取り出す。

 この堆肥を使えば、この鉢の麦のように、収穫量が二倍になることが見込める事。完熟した堆肥は従来から、使われている厩肥と変わりが無い事。し尿を使った作物に問題があったのは、堆肥作成方法が間違っていた事を説明する。


「それにしたって! 人糞で育てた作物なぞ口に入れたくない人間は、私を含めて多数派である筈ですぞ!」

 何とか立場を挽回したい、太った貴族が反論する。


 ポリリッ!


 彼の目の前で、クリスは生のラディッシュを噛み千切った。この野菜も、予めカトリーナが用意していたものである。青年の突然の行動に、ポカンとする貴族。

「これは、し尿堆肥で育てた野菜だ。僕がこれを食べても、身体に何の悪影響も無いのが分かると思う。飢饉の恐れが無くなったら、好きな物を食べて貰って構わない。どうか皆の領民に、この事を説得して貰えないだろうか」

 深々と頭を下げる王族の青年と、静まり返る大広間。


 パチパチパチ


 広間の片隅で顔を真っ赤にした、ジャガイモ官僚が拍手を始めた。拍手の音は大広間じゅうからチラホラと、更に割れんばかりの物へと変化する。グレアムが手を上げて制止をかけても、辺りの熱気は冷めやらないようであった。


「フォエフォエ。目の前で生産物を食べるのは、良い方法じゃな。第一、説得力が違うわい。済まんが皆、協力を頼む。あぁ、そこのお主」

 国王はデップリ太った貴族を呼び止めると、人の悪い笑顔を浮かべた。

「お主は身体がデカいから、領民の前でも沢山喰わねばならんだろう。で作った野菜を仰山送ってやるで、タンと喰うがええ。間違っても野菜を入れ替えたり、姑息な手段を使って逃げ出したりせん事じゃ。もしズルをした事が分かったら……」


 グレアムは言葉を切ると、太った貴族を黙って見つめる。国王の表情を見た彼は、震え上がって大広間を逃げ出した。


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