第22話 汲み取り姫



 尾籠な話が続いて申し訳ないが、もう少しだけお付き合い願いたい。ご存じであるとは思うがカトリーナ達が生活しているこの時代、農村部は別として都市部のトイレ事情は猖獗を極めていた。

 都市部の一般人はベッドの下にオマルを置き、それが一杯になると外に捨てている。決まった場所に捨てるのが面倒なので、窓の外から道路にぶちまけていた住人もいたそうだ。


 当然、衛生状態も悪臭も、現代社会に比べて段違いに悪い。しかし当時のエイディーンの住人は、まったく気にも留めなかった。なにしろそれが自分の生まれる前から、続いている日常なのだから。


 そんなエイディーンの路地裏に、カトリーナとクリスが荷馬車を引いて現れた。後ろにはイワンが渋々の体で付き添っている。彼らの作業は当然、し尿の回収だ。キャニックに比べると、回収量は桁違いに多かった。

 しかも提出量に応じたパンや野菜を渡すと、評判を呼びたちまち木桶が一杯になる事となった。そうなると問題になるのが、し尿運搬と堆肥の作成場所である。回収場所から近いほうが、効率は上がるが城下町では堆積場所の確保が難しい。


 堆肥を使用するのも農地であるため、回収・堆積の効率化が命題に上がった。そこで赤毛の新婦が目を付けたのが、イワンの『〇こでもドア』である。

「集めたし尿を農村の堆肥堆積場所に飛ばす事は出来ないだろうか?」

 カトリーナの提案に、ローブの魔術師は思い切り難色を示した。

「高尚なる我らが魔術を、人間の排泄物を移動させるのに使用するとは! 王室魔術師としては大反対です。更にその排泄物で作物を育てるなんて、神のことわりに反する行為ですぞ!」


 それでもクリスの懇願で、し尿回収に嫌々付き合うイワン。木桶の蓋が開く度に、彼の眉間の皴が深くなっていく。ここで更に決定的な出来事が発生した。

 回収を行う二人は汚れても良い服装で、王族である事を敢えて示さずに作業している。その二人の前に、偉そうな態度の商人が立ちはだかった。

「お前らが最近話題の『汲み取り姫』の一行か!」


 無遠慮な視線で二人と、荷馬車をジロジロと眺める。

「どうして糞なんか集めているんだ? しかも礼として食い物を渡しているんだってなぁ」

「堆肥を作る為だ」

「堆肥だぁ? まぁいい。こんな事で商売が成り立つなんて、気楽で羨ましいぜ。荷台の喰い物を全部置いていけ」

「し尿は何処にある?」

「あぁ、これでいいんだろ」


 商人は小さなオマル一つを差し出した。それを見たカトリーナは荷台から、小さなジャガイモを一つ取り出した。

「この量だと礼は、この位だな」

「何だよ。荷台には沢山喰い物が乗ってるじゃないか!」

「これはこの荷台一杯に、し尿が貯まる分の返礼品となる。それから考えると、この芋一つでも多いくらいだ」

 男は木桶と自分のオマルを見比べた。確かに要領比で言えば商人の持ってきた量では、大した足しにはならないだろう。男は舌打ちをして、容器を地面に投げ捨てた。


 ビシャ


 内容物が飛び散り、カトリーナの足元を汚した。

「ケッ! ケチ臭せぇ。気分悪りぃな。そんな芋いらねぇ……」

 商人が全てを言い終わる前に、彼は金髪の大男とローブの魔術師に囲まれていた。

「僕の妻に何をする」

「イヒヒ、ケチ臭いのはどちらでしょうねぇ。当分下痢が止まらない呪いでもかけてさしあげましょうか」

 男は正・負の両エネルギー満載の威嚇を受けて、オマルも拾わずに裸足で逃げ出した。赤髪の新婦は足元をボロ布で拭うと、また淡々と荷馬車を動かし始める。


「カトリーナ様ぁ~。もうこんな事、辞めましょうよ。『汲み取り姫』なんて馬鹿にされて! あんな失礼な奴まで、助けてあげること無いですよ」

「私がやっている事だけで、全ての人を救う事は出来ない。しかしやらない訳には行かない。私に出来る事をやるまでだ」

「もう、こんな事お付き合いできませんからね! 私だって忙しいんですから」

 イワンは両手を振って、ブーブーと不平を鳴らした。カトリーナは肩を竦めて荷馬車を進める。クリスは慌てて後を追う。ローブの魔法使いは打ち捨てられたオマルと共に、いつまでも路地裏に立ち尽くすのだった。



「結局あの後、イワンは姿を現さなかったな。気分を悪くしたのだろうか?」

「彼も色々忙しいからね。本当に用が立て込んでいたんじゃないかな」

 王宮のクリスの居室。二人はお湯で身体を流し、夕食を終えていた。夏場であれば水浴びとなるが、この寒空の下でそんな事をすればたちまち体調を崩してしまう。こんな贅沢な事が出来るのも王族だからであり、片手間なお遊びだと言われても仕方がない。カトリーナはそう考えていた。

「クリスも付き合わせて、すまなかった。明日からは私一人でも大丈夫……」

「駄目! 今日みたいな輩が出てきたらと思うと、放ってはおけないよ。君が強いのは知っているけれど、僕が護ってあげたいんだ」


 二人は暖炉の前のソファーで、身体を寄せ合っている。急に金髪の青年が彼女を抱きしめた。

「ど、どうした。まだ休むには早いだろう」

「しばらく、このままでいさせて欲しい。君はいつでも忙しい。独り占めできる時間を大切にしたい」

「お、おう」


 カトリーナも彼の背中に手を回した。そのまま二人は動かない。しばらくの間、二人には暖炉の炎は必要無い物なのかもしれなかった。


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