第18話 暗雲



 波乱万丈だった二人の結婚問題も何とか落ち着き、カトリーナの両親が王宮へ婚前の挨拶をする日を迎える。ちなみに彼女とクリスは当面、エイディーンとキャニックの二拠点生活を送る事となった。


 アルバ地方では秋が深くなると、雨の日が多くなる。その時期に珍しい晴れ間の中、王宮の中庭で二人の親族および友人らが一堂に会した。軽い軽食や紅茶、アルコールなどがそれぞれのテーブルに並べられている。王族が出席するパーティーでは最も簡易な形式であるが、それは赤毛の新婦が強固に主張した為であった。


「出席者は親族および親しい友人のみ。関係のない官僚や、有力貴族などの出席は断固拒否。飲み食いも最小限度にて。それが認められない場合、宮廷における本番の結婚式および披露宴は欠席する」

 彼女にしてみれば、堅苦しくも実質の無い儀式は一度で十分という事である。また緊縮財政を強いられている王宮で、必要のない出費は抑えるに越したことはないだろう。


「おぉ、スコット。久しぶりじゃのう」

 東屋で猿の様に萎びた老人が、にこやかに手を振った。それを見たスコットが、彼の前に片膝を着き最敬礼を行う。

「閣下、ご健勝で何よりです」

「いやいや、そんな堅苦しい挨拶は抜きじゃ。儂らは親戚付き合いをする仲に、なるんじゃからなぁ」

 ハタハタと国王は大男の肩を叩き、彼を立ち上がらせる。


「父上は国王と知り合いだったのか?」

 カトリーヌの問いに、大男は肩を竦めて答える。

「若い頃に行儀見習いで、閣下の親衛隊に所属していた事がある。ケイティと出会うズッと前の話だが」

「この王は、その頃から女好きだったのか?」

「いや、まぁその。発展家であることは否めないが……」

「これこれ。聞こえておるぞ。そういう話は本人が居ない所でするもんじゃ」

グレアムは苦笑いを浮かべる。


「そういえばクリスの母上は?」

「あぁ、彼奴の母親はの。産後の肥立ちが悪くて亡くなっておる。それでクリスは後ろ盾が居らんくなって、ソーサーくんだりの小領主となったんじゃ。その後エイディーンでは、質の悪い疫病が大流行しての。王族もバタバタ死んだんじゃから、悪い事ばかりでは無かったというところか」

 そこまで言って小男は、寂し気に肩を竦める。

「何が良くて何が悪いなぞ、人間は決める事ができないんじゃなぁ。お前たちも精々、子供を沢山作る事じゃ」

 助平ったらしい笑顔をニタリと浮かべて、国王はフラリと二人から離れて行った。


 必要最小限の参加者とは言え、王宮の中庭は華やかな人々で溢れていた。カトリーナも髪の色に合わせた、清楚な赤いドレスを纏っている。これはクリスから贈られた物で、希少な品と聞いていた。しかし彼女の場合この貴重品も、しばらくすれば箪笥の肥やしになってしまうに違いない。


 その華やかな人の輪の中で、最も大きな輪の中から、聞いたような声が聞こえてきた。

「本当に今年は農作物の出来が悪くて、困ったものですわね。不景気の上に、戦争なんて! 商売が上手く回りません」

 美しい金髪に勝気な美貌。シンプルではあるが金のかかったゴージャスな衣装に身を包み、周辺の若い男に囲まれていたのは……


「ダイアナ。君は隣国に居るんじゃなかったのか?」

 大体誰に招待されたのか分からないが、このパーティーに参加するのは幾ら何でも決まりが悪いのではないだろうか?

「そんな事を気にしていたら、商売なんてやってられないわよ」

 ゴージャスな美女は、彼女の疑問を一刀両断にした。まぁそれもそうかと納得するカトリーナ。

「隣国の有力貴族の件は、どうしたんだ」

「それなのよ!」

ダイアナは形の良い眉を、不快気に顰めた。


「ブリテン大王国は戦争状態に入ってしまったの。まだアルバから遠い場所での小競り合いだから、この国の人はまだ知らないと思うけど」

 現在、彼女と有力貴族は婚約だの何だの言えない状態となり、エイディーンに戻ってきたのだという。

「農閑期に戦争を起こすのは、常道だが今年の冬は寒さがキツそうだ。戦線が広がると食料や物資の面で、こちらまで厄介が及びそうだな」

 カトリーナは眉を顰める。それを聞いたダイアナは、ヒラヒラと片手を振った。

「今から心配しても私たちに、打てる手は殆どないわ。それよりは今日の婚前パーティーを、楽しんだ方が宜しくてよ」


 彼女の一言を期に、パーティーの時間が和やかに流れ始める。確かに今を楽しめる時には、楽しまない手はない。ブリテン大王国のある南の空から、暗くて分厚い雲がアルバに向かって流れてきた。今年も陰鬱な冬が近づいて来る。



 アルバの冬は長くて暗い。本来であれば永久凍土が、残るような寒気が国を覆い尽くす。しかし国土の三方を海で囲まれており、周りを流れる暖流のおかげで温暖な気候となっていた。そのため酪農や農産が盛んな土地柄である。

 だが、その年の冬は違った。ソーサーという寒村の北側の浜辺に、呆然と立ち尽くす三人。カトリーナ、クリス、イワンのお馴染みトリオである。


 ゴウン


 浜辺の近くには一軒家ほど大きさのある、氷の塊が打ちあがっていた。沖合を見れば同じような氷が幾つも浮かんでいる。

「これは一体なんなのかな。見たこともないんだけど」

「流氷だ。ここより北の川の水が凍って流れて来る。稀に極地の氷が崩れて来ることもあるが」


 ローブの魔術師は打ちあがった流氷を、マジマジと見つめている。片手を置いて、余りの冷たさに顔を顰める。

「これが流氷ですか。書物での知識としてはありましたが、生まれて初めて見ましたよ」

「記録に残っているということは、過去にも流氷が到達した事があるんだな?」

「えぇ。百年以上前の事らしいですけどね。その時は確か」

 イワンが流氷から手を離し、水滴を振り払う。顰めた顔は、そのままだ。


「……『春の飢餓』が発生したんですよねぇ」

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