第17話 千歯の代金



 馬車の中ではダイアナの一人語りが続いていた。赤髪の新婦は彼女の目を見つめ、頷くのみである。


 曰く


 社交界にデビューした際、知り合いのいない彼女に優しく接してくれた事。商業ギルドを下に見る貴族達に意味も無い意地悪をされた時、本気になって彼らを怒り彼女を助けてくれた事。クリスの事を好きになり、いつでも彼を目で追っていたが、彼には小さな頃から憧れている、大好きな女性がいる事に気が付いた事。


「彼に一人の女として、私を見て欲しかったの。だから無理を承知で婚約騒ぎを起こしてみたのよ。あわよくば、押し切れるかもしれないじゃない?」

「……すまない」


「でも駄目。彼の中にいるのは貴方一人だった。無理矢理結婚しても、クリスは心の底から笑ってくれない」

 だから自分の初恋は諦める事。大騒ぎした後も彼の身辺に傷が付かないように、手を回した事。自分にはこれから、アルバより大国である隣国の有力貴族と縁談が控えている事。

「少しの間、彼を独占できたことで満足する事にするわ。さぁ、新しい恋の始まりよ!」

 ダイアナは絹のハンカチで涙を拭きとると、勝気な表情で微笑んだ。

「……すまない」

「何、壊れた人形みたいに同じ言葉ばかり、繰り返しているのよ! さぁ、馬車から降りて頂戴。急いで次の仕込みをしないと!」


 カトリーナは背中を押され、無理矢理馬車から降ろされる。

「あぁ、それから『千歯』の商業権はウチで貰うから! 文句無いでしょうね?」

 言葉を継ぐことの出来ない赤髪の美女は、黙って頭を下げた。

「……何よ! 私は貴方に負けた訳じゃないんですからね。貴方の何万倍も財産を増やして、贅沢三昧の暮らしを手に入れるんだから!」

 それだけ言うと何時の間にか戻っていた御者に、ダイアナは出発の合図を出した。馬車が見えなくなるまで、頭を下げ続けるカトリーナ。


 ピー!


 梢に留まっていた青い小鳥が、夜にもかかわらず短い鳴き声を上げた。



 王宮の薄暗い廊下。赤髪の新婦は馬車が居なくなったタイミングで現れた、ローブの魔術師に先導されていた。彼の眼元がウッスラと赤い。

「イワン、お前覗いていたな」

「な、な、何の事ですやら」

 魔術師は彼女と目を合わせようとしない。天井を見上げてピーピーと口笛を吹き始めた。


「……ダイアナは強くて、素晴らしい人物だな」

「そう! そうなんです。私、彼女の事を誤解しておりました。傲慢な金持ちの娘と思っていましたが、あんなに気高く美しい心の女性であるとは!」

 ローブの魔術師はハンカチを噛み締めると、イーッと引っ張った。それを冷ややかな目で見つめるカトリーナ。

「あの梢に留まっていた、小鳥だろう? 何時から覗いていたんだ」

「カトリーナ様が馬車に乗った時から……  ところで『千歯』って何のことです?」

「初めから終わりまで見ていたんだな。この出歯亀ピーピングトムめ」


 ようやくクリスの居室の前に辿り着いた。ノックをすると、ガタンと物音がする。続いて何かをかき集めるような、カサカサという音。

「大丈夫か、クリス! 賊か」

 バタンと音を立てて扉を開ける赤髪の新婦。

「うわっ、ちょっと待って! 部屋を片付けているから!」


 室内には幼い頃から、現在までの時系列に沿ったカトリーナの肖像画に囲まれた、王族の青年が呆然と立ち尽くしていた。

「……この主にして、この従ありか」

 赤髪の新婦はジンワリと痛む、頭を片手で抑える。この従イワンは部屋の入り口でヘラヘラ笑っていた。


「つまりこの肖像画は、イワンが魔法で描いた物だというんだな」


 確かに完成度の高い絵画だった。しかもどの角度から見ても、絵の中のカトリーナと視線が外れなかったり、時々微笑んだりする。一体どんな原理で、造られた物なのだろうか?

「クリス様の誕生日の贈り物として、年に一度、私が作成しました。他の物を差し上げるより、お喜びになりましたので」

「よ、喜んでは…… いたけれど、捨てる訳には行かないだろう? それが貯まりに貯まって、こうなったんだ。」


 気持ち悪いよね。そう呟いて、ガックリと肩を落とす王族の青年。いつの間にか背はカトリーヌを遥かに追い越し、ガッチリとした体格になっていた。その身体を居心地悪そうに小さく窄めている。だから今まで誰も、この部屋に入れた事は無いんだと首を振った。



 カトリーナは前世界での、香利の部屋を思い出していた。彼女の個室は農家の実家に暮らしていた為、和風の畳敷きの部屋である。漆喰壁の至る所に筋肉質の男達のポスターが張られた、喪女の聖域。

 各種プロレス団体の集合写真から、推しのレスラー単体ポスター迄、隙間なく貼り巡らされていた。一番の推しのポスターは寝場所の天井部分に貼られており、お早うとお休みを毎日欠かさず言うほどである。その推しは、金髪短髪の巨大チェーンをネックレス代わりに首に廻した、スイーツ大好きレスラーであった。


「香利。アンタ、私以外の友達を部屋に入れた事あるの?」

「男は無いが、女子なら何人かいたぞ」

 就職浪人の決定した友人が、彼女の部屋に入った瞬間、その表情が引き攣る。

「この家、部屋は幾つも余っているのだから、もう一つ、を作りなさい。友達を呼ぶ時は、この部屋は駄目」

「駄目…… なのか?」

「この部屋に入って、友達付き合いが続いている子はいる?」

「そういえば、 ……居ないな」


 ゲッソリとした表情を浮かべていた友人。ひょっとしたら、クリスの前にいる自分も今、同じ表情をしているのかもしれない。カトリーナは苦笑を浮かべた。

「私の肖像画を大切に保管していてくれて有難う。しかしなぁ。現物が目の前にいるのだから、それを見ていた方が良いんじゃないのか?」

 赤毛の新婦の言葉に、救われたような表情を浮かべたクリス。ソッと部屋を出たイワンは、扉を閉めると何か呪文を唱えた。

「取り敢えず扉に、消音の魔法をかけておきました。中の音は外に漏れません。どうか、お楽しみあれ」


 ローブの魔術師はヘラヘラ笑いながら、暗い廊下の闇の中へ消えて行った。

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